安吾巷談 07 熱海復興 / 坂口安吾
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彼女らにとっては天下いたるところ青山ありである。火事場を逃げたその足で、伊東のパンパン街へ移住した
ない。全国いたるところ、自分の選択のままであり、みんな青山というわけだ。だから彼女らは、はかの職域人にくらべて、クッタク
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彼らは夕方熱海についた。起雲閣というところへ旅装をといて、散歩にでると、埋立地が火事だと
のはツレナイことかも知れないが、石川淳の逃げだした起雲閣という旅館は、隣まで焼けてきたがちゃんと残っているのであった
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八十戸焼失の火事であったが、山を越えて、伊東からも火の手が見えた。もっともヨカンボーというような大きな建物がもえ、焼失地域
火の手が高くあがったのかも知れない。このときも、伊東の消防が出動した。三島からも、小田原からも、消防がかけつけてい
熱海は先日の火事であわてているなと思い、又、伊東の消防は熱海の味が忘れられないと見えるワイ、とニヤリとわが家へもどり
「また、熱海だとさ。ソレッというので、伊東の消防は自分の町の火事よりも勇んで出かけたんだろうな」
伊東の街々では門前に人々が立って熱海の空を見ている。自転車で
見舞いに行く伊東の親類だというんだよ。林屋は伊東の玖須美の出身だからね」
電車は伊東から、すでにヤジウマで満員だ。同じ箱にのりこんだ周囲の十数人から知っ
火の原にかこまれた山上でも、伊東と同じく、微風が吹いているにすぎなかった。
から仕方がない。終電車の一つ前の電車にのって伊東へ戻った。満員スシ詰め、死ものぐるいに押しこまれて来ノ宮へ吐きだされ
伊東へついて、疲れた足をひきずり地下道へ降りようとすると、
私の住む伊東では、風教上よろしくないというので、遊興街を郊外へ移しつつある
だいたい伊東というところは、団体客専門の旅館ばかりで新婚旅行や、私たちのようにそこ
「伊東に温泉博物館と図書館をつくるという案があるのですが、そういった文化
いたるところ青山ありである。火事場を逃げたその足で、伊東のパンパン街へ移住したのもタクサンいた。
、肩を入れて糸川復興に援助を与えはじめたから、伊東その他へ移住した女たちも、みんな熱海へ戻り、熱海の女でない
にすぎないのである。地域的にも小さくて、むしろ伊東のパンパン街が大きい。
法案とかなんとかいうものが生れて、熱海と伊東と別府、三ツの温泉都市を選び、国家の力で設備を施して、日本
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走る。火元は埋立地だという。銀座が焼けた。糸川がやけてる。国際劇場へもえうつった。市役所があぶない等々。街々を噂が走る
で熱海がこの焼跡から何を悟ったかというと、糸川の復興なくして熱海の復興はあり得ずということなのである。
、熱海復興の様相をさぐれということで、熱海復興は糸川から、と叫んでいるぐらいだから、糸川見物にでかけることにした。
糸川の女たちも、糸川が復興するとは思わず、これで熱海は当分オサラバ
糸川の女たちも、糸川が復興するとは思わず、これで熱海は当分オサラバと思ったろう。私が
思ったろう。私が火事を見物している時にも、糸川の女だけがホガラカで、ハシャイでいる唯一の人種であった。彼女らの
となって人気をよび、熱海人士に、市の復興は糸川からと悟らせ、肩を入れて糸川復興に援助を与えはじめたから、伊東
私は土地の人の案内で、糸川のパンパン街へ遊びにいった。私はそこで非常に親切なパンパンにめぐりあっ
どういうわけで熱海の糸川があれほど名を売ったか知らないが、実質はきわめてつまらぬ天下どこに
つの大きな看板だ。熱海市のお歴々が、熱海の復興は糸川から、と、今さらいと真剣に考えはじめ、しかめつらしい顔をそろえてパンパン街の
これに比べれば糸川の復活は木と紙とフトンとネオンサインによって忽ち出来上るカンタンなものである
よって忽ち出来上るカンタンなものであるから、熱海の復興は糸川から、お歴々がこう叫ぶのは筋が通っているのである。
しかし糸川が復興したころは、散在した街娼の方が熱海の名物になって
官邸に於ては、大臣どもが閣議をひらいて、日本の糸川の建設計画について、ケンケンガクガクせざるを得ないようになるだろうからで
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O氏が編輯長として九州からよびよせたHという新聞記者出身の柔道五段がいた。柔道五段
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。自転車で人が走る。火元は埋立地だという。銀座が焼けた。糸川がやけてる。国際劇場へもえうつった。市役所があぶない等々
。全部が坂だといってもよろしい土地であるが、銀座から来ノ宮へかけては特に急坂の連続だから、火の手は近いが
平地はすでに全く焼け野となって燃えおちているのである。銀座もなく糸川べりもない。そのとき八時であったが、当日の被害
はムリであるから、仕方なく、大迂回して、風下から銀座の真上の路へでる。眼下一帯、平地はすでに全く焼け野となって燃えおち
風下の坂の上から、風上の銀座方面へ突入するのは、女づれではムリであるから、仕方なく、大
銀座のビルの一室をかりて、なにがしという綜合雑誌のようなものをだし
焼け残った銀座の国民酒場で、私はよく彼とぶつかった。我々は一パイのウイスキー
は半身不随で、熱海は現に魂のない人形だ。熱海銀座と糸川がなくなると、この町は心臓を失ってしまうのだ。
私はよく思うのだが、銀座の近くに公娼の宿があるといいなと思う。終電車に乗りおくれて
させるというが、これも狙いは正しく、すくなくとも熱海銀座はそのように復活することによって、一つの名物となりうるで
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がわるく、夜はメクラ同然、相撲がとれなくなって、人形町でトンカツ屋をはじめたのである。醤油樽を弁当箱のように軽々と
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新川は新聞狂で、東京の新聞をあるだけとっている。あの当時十いくつあったそれを三畳
が東京の火を消しとめるとは期待していない。すでに東京はあの通りだ」
「下駄ばきでも不都合ではない。誰もお前が東京の火を消しとめるとは期待していない。すでに東京はあの通りだ」
屋では頭抜けたもので、小田原も三島も及ばぬ。東京も、ちょッとこれだけのウナギを食わせる店は終戦後は私は知らない
しかし、東京のような大都会に於ては、長い年月をかけて、やがて「時間」が
しかし熱海はすでに東京の一部であり、日本の熱海であるような性格をおのずから具えつつある
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、公娼のところへ眠りに行くのが例である。むかし浅草で飲んでたころも、吉原へ眠りに行った。どちらも電車の便
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私は新宿へ飲みに行くと、公娼のところへ眠りに行くのが例である。
で、だいたい外へも出たがらないようなのが多い。新宿で私が眠りに行きつけの家も、終戦後十何人と変った女の
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私は三年ぐらい前に有楽町の当時五人の姐御の一人の「アラビヤ」という三十五ぐらいの姐