肝臓先生 / 坂口安吾
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歩いて疲れを知らぬ足そのものでなければならぬ。天城山の谷ふかく炭やく小屋に病む人があれば、ゲートルをまき、雲をわけて、走ら
天城山の炭やく小屋にオーダンをやむ男あれば箸を投げうってゲートルをまき雲をひらいて
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戦争以来伊東へ疎開している彫刻家のQから速達がきて、右のような次第で
をもてなすために酒肴の用意をととのえて待っておられる。伊東市は温泉町ではあるが、半分は漁師町だ。烏賊虎さんは南海の
をヒタ走りに走って、急を伊東海岸につたえた。伊東の町が時ならぬアジの大漁に賑ったのは彼の一大功績であり
生水のほかに米と塩しか積むことができないし、伊東は元来山地であるから、耕作すべき畑に乏しく、陸上の日常に於て
Qのつくった巨大な肝臓を見ることができるはずだ。伊東市のどこ、どの街角ということをシテキすることはできない。それは名
てある筈がない。先輩にきいてみると、それは伊東の風土病だろうという返事であった。
なつかしの伊東の町に叫びてあらむ
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後二年目の八月十五日のことであるが、伊豆の伊東温泉に三浦按針祭というものが行われて、当日に限って伊東市
、まさに亡国病たるの惨状である。この病菌と闘い、伊豆の辺地、曾我物語発祥の地、久須美荘園の故地のみは、自らの必死の
をやわらげ、一日もすみやかな治癒にのみ腐心して、伊豆の辺地の何百人かの人々の手足となってあげることが大切なのだ
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とすると、言葉も終らないかにスックと立ったのは長崎医大の角尾教授である。この教授はその後原子爆弾で死なれた由で
た。赤城先生は穴にはいりたい思いをしたが、長崎医大の角尾教授、あそか病院の大角院長、いずれも肝臓に関する権威者
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先生は東京の医者の学校の物療科というところを出た人だ。これだけは
、先生の診察室では動かしがたい事実となっていた。東京の友人や先輩から、先生に宛てた紹介状をもたせて患者を送って
の便をとり、毎日毎日、風雨ニマケズ、これを執拗に東京の軍医学校へ送る。軍の威信にかけても、どうしても従業員
便をあつめて、毎日の二番列車でせッせと東京の軍医学校へ運んで検査する。これをつづけること五十余日。ついにチフス菌