京洛日記 / 室生犀星
地名一覧
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宮川町のお茶屋に行つたが、茶の間に誰もゐないし呼んでも出て來
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龍安寺の相阿彌は大仙院の石庭では全く異つた複雜な、少しくらゐ煩さい位の多くの石を
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大阪の放送局から俳句のことを話して呉れと云ひ、僕は放送をしたこと
の放送局の多田不二君が來て、實は心配して大阪で聞いたが、あれなら相當聞けますと云つてくれた。君は寢床の
してゐる。どうして晝間呑むのかといふと、大阪の方に子供を置いてあるからつい淋しくて呑んでしまふと言つた。日活
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知恩院の石段をのぼりながら僕は二十五年前の、やはり寒い冬のあひだにここ
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聚光院で利休の墓を見た。
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十三、西芳寺
西芳寺は苔寺ともいはれる程、苔が庭を隙間なくたたみ込んで、いまは
ても廣大な庭一面に苔の生えてゐるところは、西芳寺だけであつた。お寺のおばさんは苔盜人の話をくどくどと大河内君
、草履代として一定にしたらどうでせう。西芳寺は一人二十錢に定めてあつたが、そのくらゐに定めたらいかゞなもの
あるので、本人の僕でさへよく判らなかつた。西芳寺などは、苔寺、茶室、お寺のおばさん、たつつき、杉苔、夢窓
薪一休寺、西芳寺、龍安寺、高桐院、――それらの庭々の苔はまるでゆめのやうに
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これだけの材料を蒐めることができたのであらうし、江戸ではかういふ秀れた石がないのである。京都に名苑が多いのは
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皆一見の價値ありどちらも四條より下なり 粟田口の青蓮院も人は餘り行かぬところなれど襖畫張つけ等もよろしく夜も小ぢんまりと
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天龍寺にはいつた時はもう暗くなつて、昨夜の薄雪がところどころに斑に殘り
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實のこぼれてゐる小徑を山の方にとると、枯山水を摸した石の大群があつた。夢窓國師の作であるこの庭の高み
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して云つた。自動車はうす雪のけはひを見せた嵐山の下を通るころ、そとは全く暗くなつてしまつた。
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呉服やの番頭のやうな男に僕は祇園の町をたづねたが、その男は女の揚代やら風俗やらをていねいに話
井川さんと多田君と僕は小ぢんまりした祇園のお茶屋で、夕方になり酒を汲んだ。成瀬無極さんを呼ばうと
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僕は小さいカフエで一人で呑んでゐた。此處は九州から出て來た人ばかりやから安心して呑みなはれ、と女が云つた
ばかりやから安心して呑みなはれ、と女が云つた。九州の女がそないに京の言葉をつかふのはよくないぞといふと、
京の言葉をつかふのはよくないぞといふと、九州から出てくるとすぐ京の言葉をおぼえたのよ、と云つた。時計
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龍安寺の山内にはいると、町の女房が一人風呂敷包を提げてゐて、結び目
龍安寺の解説のなかに昔書いた私の文章が引用されてゐるのに氣
龍安寺の相阿彌は大仙院の石庭では全く異つた複雜な、少しくらゐ煩さい
龍安寺の近くの石屋に高さ一尺くらゐの五輪塔があつて、それを購め
薪一休寺、西芳寺、龍安寺、高桐院、――それらの庭々の苔はまるでゆめのやうに、眼
詰め込んだ豐富な思ひがした。ひよつとすると龍安寺などがこんど見て來た庭のうちで最も心に澄み切つてゐるので
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(例)大徳寺
等もよろしく夜も小ぢんまりとしてよろし 是非見るべし 大徳寺相國寺建仁寺も見て損をせぬ事うけ合なり 博物館にも
納豆が出た。納豆は毎年大徳寺で作る茶菓であるらしいが、鹽氣が煮しめられて鳥渡からすみのやうな味ひ
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宇治の端れごろから、厚い緑を膨らがしてゐる茶畠が見え出した。
ことは樂しい。芥川君のあてかいな、あては宇治の生れどすといふ前書のある、「茶畠に入日しづもる在所かな」
に入日しづもる在所かな」の句を思ひ出した。宇治の村は夏蜜柑も光つて見える懷かしい在所のやうであつた。
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とお菓子が出る 一度はのんで見るも一興ならん 東山より本法寺(?)高臺寺皆一見の價値ありどちらも四條より下なり 粟田口
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に、お土産まで細心に注意して書いてあつた。「京都の宿は三條木屋町上ル中村屋といふ家へとまらるればよからん 家は
十年前に金澤にゐて京都の寺を見に出かけようとして、芥川龍之介君に手紙を出してその
京都に着いて五分も經たないあひだに、佐分さんが見えた。
つぼやき、ほこほこと書いてあつた。ほこほこといふのは京都の言葉であらうが、柔らかくゆでられたお芋の感じがまつすぐに出て
寺々の瓦はみんな立派なものであるが、或る意味で京都は瓦の都であるかも知れなかつた。どこを見ても瓦
ふた側にある低めの土塀の瓦がとても美しかつた。京都の寺々の瓦はみんな立派なものであるが、或る意味で京都は瓦
あてもない、松の木と苔と、ななめに射した京都どくとくの寒々とした薄い冬の日ざしを眺めた。私のやうな人間
あつたが、只、それだけでよかつた。こんどから京都に來るならお茶をひととほり心得て置かないと、參ることが
、江戸ではかういふ秀れた石がないのである。京都に名苑が多いのは何と言つても石が豐富であるからで
石材を集める爲には、相當に苦心をしたであらう。京都だからこれだけの材料を蒐めることができたのであらうし、江戸で
のへりが細かい好みを表はしてゐた。それに京都どくとくの煙とも霧ともつかないよごれた空氣がこの新しい庭をよく
と私はふるへて云つたが、私も寒がりでして京都はこれでこまりますと大河内君は赤い頬をして云つた。自動車はうす
松吹く底冷えのする皓々たる風が寒かつた。何ちう京都は寒いところだと私はふるへて云つたが、私も寒がりでして
放送してくれてもいいからといふので、僕は京都見物かたがた出掛けて行つた。明治大學の講師になつて一ぺんきり講義を
たことがないからと此前も斷つたが、こんどは京都の放送局が靜かでいいから其處から放送してくれてもいいからと
ゐてさへ電話をかけたことのない僕は、分らない京都の言葉と、自働電話の手續きが判らないので、箱の中
の中で豫習をしながら行くと、朝の遲い京都の町家はやつと起きたばかりらしかつた。例によつて制服の下役
して、そして何時の間にか止んでゐる。けふは京都を立つ日なので旅館の奧さんが次の間に來て、お約束の
京都に來てから毎日雪がふらぬ日はない、時雨の都であるだけ
な調子だつた。京都に流れて來てゐる女はたいてい京都の人をなめてゐるやうである。
生れだといかにも人をなめたやうな調子だつた。京都に流れて來てゐる女はたいてい京都の人をなめてゐるやうである
飛雲閣の庭は久しく箒を入れないらしく、京都の庭らしくなく荒れたままであつた。子供がはいると見え五六枚の
やらいふと、お客さまはそのまゝ默つてゐなはれ、と、京都はお※さんまで優しい言葉つきだつた。結局あとで、來るやうにと運
いふのをまだ一時間あるから、それだけ一人で呑んで京都に別れたい、あなたは先におかへり下さいといふと、そんなら四條の
よつて、醉ざめがはりのソーダ水をのみにはいると、京都のインテリ階級の若い男女があつまつてゐるのに、面喰つた。落着い
つちやになつてゐた。斷髮で洋服を着た女が京都の言葉でしやべつてゐると、少しも似合はなかつた。何を言つ
て、僕は十分間ぐづついて呑んでゐた。京都のカフエの女たちは温和しいのと、さうでないのと、ごつちや
京都のお寺の拜觀料は心づけとしないで、草履代として一定
京都に寺院や庭を見に來る人は大抵二日くらゐで歸つてしまふが
。空氣や濕度、不快活な日光などがどれだけ、京都の庭をよく育てゝゐるかも知れないのだ。
京都の市中の家々の庭などで小さいものでかなりによく出來たものも
ないが、旅籠屋の靜かな部屋のなかでは一入に京都の女の人の言葉が優しく聞える――殊に僕などのやうに滅多に
京都の女の人は大てい言葉つきから或る親しみが感じられるが、實際は言葉
の長崎屋といふ喫茶店で會ふことに時間を定め、ぶらぶら京都の町を歩いて見ようといふことにした。
した。一しよに朝の食事をすますと、多田君は京都の放送局にちよつと寄りたいと言ひそれなら四條の長崎屋といふ喫茶店で會ふ
の中の寒いことや、冷え切つてゐる空氣は、京都特有の底冷と相俟つて人氣がすると、それにしがみつくやうな
た。東京にゐると日南ぼつこをしてゐるが、京都へ來て一週間は日光のある町を歩いてゐても、ゆつくり日南
ここだけは、早春のやさしい淺い色を見せてゐた。京都はサンドヰッチもやすく出來るやうに思はれ、僕は一皿みんなたべ、多田君
結びつけ、どれも不健康な顏色をしてゐた。昨夜、京都から乘り合はした大學生風な三人づれが、隅の方で
風景はなかつた。關東の平野の平凡さにくらべると、京都の風景はしみじみしてゐて古い時代との關係以外に、いつも懷しい
、何所か見覺えのある道路であつた。これほど京都に來たといふ感じのする風景はなかつた。關東の平野の平凡さに
の堂や廊下や築地の塀などが映つて來て、京都に行つてよかつたと思うた。永い間の願ひも叶うたやうな
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は白紙に包まれて家苞にしてくれた。これを東京にかへつて酒のさかなにしようと竊かに考へた。
て自働電話の箱の中にはいつて行つたが、東京にゐてさへ電話をかけたことのない僕は、分らない京都の言葉
東京の放送局の多田不二君が來て、實は心配して大阪で聞いた
を言ふと女中は泣くやうな顏をしたので、東京から送るといふ約束をした。
云つた。言葉が東京者らしかつたので、きみは東京ものかといふと、淺草の生れだといかにも人をなめたやうな
五本ばかり呑んだと青い眼をすゑて云つた。言葉が東京者らしかつたので、きみは東京ものかといふと、淺草の生れ
たやうな美しい女の人を見たが、どの人も東京者のやうにせか/\してゐないやうであつた。
た。私の田舍にさういふ風俗があつたが、東京でそんな浴客を見たことがなかつた。それからもう一つ驚いたこと
、私は辭退しずに貰つてかへつた。湯殿は東京とくらべると暗い、そして二人ばかり藥湯にはいつて上つた人が板の
の優しさが性格にあるかどうか分らない。たゞ、東京辯の鋭い調子ばかり聞いてゐる僕などは、ひつそりと入つて來て
昨夜おそくに東京から多田不二君が來たので、離れにあんないして寢るやうに
さ一尺くらゐの五輪塔があつて、それを購めて東京に送るやうに托んだが、子供の供養塔らしく、形の纒つた工合
まま、眼をとぢて少し居眠りしようかと思うた。東京にゐると日南ぼつこをしてゐるが、京都へ來て一週間は
、多田君は醉うてうとうととし出した。あんたら東京のお人やが、何をしてゐるお方やと女だちが言ひ
いふ雲母のやうに光を見せてゐる砂であつた。東京ではその南蠻砂をしいた庭を見たことがなかつた。
て、それを電車の上から見てゆく氣持は、とても東京の郊外などでは見られない景色であつた。