日本文化私観 / 坂口安吾

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地名一覧

龍安寺

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龍安寺の石庭が何を表現しようとしているか。如何なる観念を結びつけようとして

龍安寺の石庭がどのような深い孤独やサビを表現し、深遠な禅機に通じていて

同時に、直接な観念なのである。そうして、龍安寺の石庭よりは、よっぽど美しいのだ。と言って、一本の椎の木

も、なければならぬ物であった。そうして、龍安寺の石庭で休息したいとは思わないが、嵐山劇場のインチキ・レビューを眺め

手賀沼

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の心を惹いているのだ。利根川の風景も、手賀沼も、この刑務所ほど僕の心を惹くことがなかった。いったい、ほんとに美しい

嵐山

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。そうして、毎日竹藪に雪の降る日々、嵯峨や嵐山の寺々をめぐり、清滝の奥や小倉山の墓地の奥まで当もなく踏みめぐっ

嵐山の渡月橋を渡ると、茶店がズラリと立ち並び、春が人の出盛りだけれど

桂離宮

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就て殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田も鉄斎も知らないの

僕は先刻白状に及んだ通り、桂離宮も見たことがなく、雪舟も雪村も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎

穴の狢なのである。この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。どちらも共

銀閣寺

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を持った人は、秀吉のみであった。金閣寺も銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。いわば、金持の風流

小倉山

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降る日々、嵯峨や嵐山の寺々をめぐり、清滝の奥や小倉山の墓地の奥まで当もなく踏みめぐったが、天龍寺も大覚寺も何か

平等院

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、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場を

大覚寺

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の墓地の奥まで当もなく踏みめぐったが、天龍寺も大覚寺も何か空虚な冷めたさをむしろ不快に思ったばかりで、一向に記憶

東照宮

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如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」の所産であり、詮ずれば同じ穴の狢

精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。どちらも共に饒舌であり、「精神の

丹波

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が降っていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城

跡へ踏みこんだ。頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。雪が激しくなり、廃墟の

亀岡

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ていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあっ

、王仁三郎の夢の跡へ踏みこんだ。頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。雪が

僕が亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代に於て、秀吉的な駄々っ子精神を、非常

新潟市

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タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・

武蔵野

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、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃の

宇治

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宇治の黄檗山万福寺は隠元の創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院

愛宕山

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嵯峨にあって、京都の空は晴れていても、愛宕山が雪をよび、このあたりでは毎日雪がちらつくのだった。隠岐の別宅から

智積院

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の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院の屏風ときては、あの前に坐った秀吉が花の中の小猿のよう

池上本門寺

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をつれて散歩のついで僕の所へ立寄って三人で池上本門寺へ行くと、英雄君をうながして本堂の前へすすみ、お賽銭をあげさせ

金閣寺

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者の精神を持った人は、秀吉のみであった。金閣寺も銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。いわば、

江戸

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ある。勿論、贋の筈はない。東京の猫八は「江戸や」猫八だからである。

祇園

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な注意を払う古都のぼんぼんに変っていた。僕は祇園の舞妓と猪だとウッカリ答えてしまったのだが――まったくウッカリ答えた

お茶屋に案内されて行ったのだが、そのころ、祇園に三十六人だか七人だかの舞妓がいるということだったが、

亀山

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をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあった所である。その城跡に、大本

天龍寺

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や小倉山の墓地の奥まで当もなく踏みめぐったが、天龍寺も大覚寺も何か空虚な冷めたさをむしろ不快に思ったばかりで、

巴里

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に避難したのはルーヴル博物館の陳列品と金塊で、巴里の保存のために祖国の運命を換えてしまった。彼等は伝統の

奈良

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より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るの

、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本

京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、車折神社

京都

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ものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなく

から翌年の初夏まで、僕は京都に住んでいた。京都へ行ってどうしようという目当もなく、書きかけの長篇小説と千枚

昭和十二年の初冬から翌年の初夏まで、僕は京都に住んでいた。京都へ行ってどうしようという目当もなく、

ならなかった。そうして、一方、舞妓の方は、京都へ着いたその当夜、さっそく花見小路のお茶屋に案内されて行ったの

まったくウッカリ答えたのである。なぜなら、出発の晩、京都行きの送別の意味で尾崎士郎に案内され始めて猪を食ったばかり

ていた友情だけしか期待していなかったのに、京都の隠岐は東京の隠岐ではなく、客人をもてなすために最も細心な注意

隠岐は僕に京都で何が見たいかということと、食物では何が好きかと

泊っていたが、隠岐の別宅は嵯峨にあって、京都の空は晴れていても、愛宕山が雪をよび、このあたりでは

酔っ払った百姓がねむり、牛が勝手に歩いて通る。僕が京都へつき、隠岐の別宅を探して自動車の運転手と二人でキョロキョロ歩いている

た。夜になると、大概、嵐山劇場へ通った。京都の街も、神社仏閣も、名所旧蹟も、一向に心をそそらなかった

然しながら、真宗の寺(京都の両本願寺)は、古来孤独な思想を暗示してきた寺院建築の

京都という所は、寺だらけ、名所旧蹟だらけで、二三丁歩くごとに大きな

ので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない

京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、

いる。東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手という小さな町でも、小田原でも、一人で

銀座

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いう新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然知らない

突然遠い旅に来たような気持になる。とても川向うが銀座だとは思われぬ。こんな旅の感じが好きであったが、ひと

銀座から築地へ歩き、渡船に乗り、佃島へ渡ることが、よく、あった

上野

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だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然

この町から上野まで五十六分しかかからぬのだが、利根川、江戸川、荒川という

東京

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学生で、あとの一二割が建築家であったそうだ。東京のあらゆる建築専門家に案内状を発送して、尚そのような結果であった

タウトが東京で講演の時、聴衆の八九割は学生で、あとの一二割が建築家

文学にとって考えても、たとえばアンドレ・ジッドの講演が東京で行われたにしても、小説家の九割ぐらいは聴きに行きは

だけしか期待していなかったのに、京都の隠岐は東京の隠岐ではなく、客人をもてなすために最も細心な注意を払う古都の

、最もさりげない世間話の中へ織込んで尋ねた。僕は東京でザックバランにつきあっていた友情だけしか期待していなかったのに、

だ。ダンスホールは東山の中腹にあって、人里を離れ、東京の踊り場よりは遥に綺麗だ。満員の盛況だったが、このとき僕

俵進呈する、とある。勿論、贋の筈はない。東京の猫八は「江戸や」猫八だからである。

で、話しかけてきたのであったが、旦那方は東京から御出張どすか、と言う。いかにも、そうだ、と答えると、

はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手

日によってその時の仕入れ値段で区々だったが、東京から来る友達は顔をしかめて飲んでいる。

全くうんざりしたが、僕は大概一ヶ月に二回ずつ東京へでて、酔っ払って帰る習慣であった。尤も、町にも酒屋は