斜陽 / 太宰治
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私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引越して来たのは、日本が無条件降伏
「どうなさったの? 伊豆へ行きたくなくなったの?」
「かず子がいるから、かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ。かず子がいてくれるから」
てもう、この永年住みなれたお家から出て行って、伊豆の小さい山荘で私とたった二人きりで、わびしい生活をはじめなければならなくなっ
られて、もう荷物はほとんど発送してしまったし、きょう伊豆に出発、とお言いつけになったので、お母さまは、しぶしぶコートを着て
は、障子をあけ、お母さまと並んで坐り、硝子戸越しに伊豆の雪を眺めた。
気がする。私は本当は、引越し間際になって、伊豆へ来るのが、どうしても、なんとしても、いやになって
でない、それで、直治が帰って来たら、すぐこの伊豆の山荘に引取って、どこへも出さずに、当分ここで静養させた
。かず子がいるから、かず子がいてくれるから、お母さまは伊豆へ行くのですよ、とおっしゃったじゃないの。かず子がいないと、死ん
二日目に、その手紙と行きちがいに、師匠さんご自身、伊豆の温泉へ仕事に来た途中でちょっと立ち寄らせていただきましたとおっしゃって、
そうして、三宅さまは、その日は伊豆の長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで、看護婦さんと一緒にお
、直治がひとりで、半熟卵をたべていた。たまに伊豆のこの家にいる事があっても、夜はきまってお咲さんのところへ
叔父さまたちのお世話で、お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして、それからまた直治と私は、伊豆の
本葬は東京ですまして、それからまた直治と私は、伊豆の山荘で、お互い顔を合せても口をきかぬような、理由の
お家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引越して
「どうなさったの? 伊豆へ行きたくなくなったの?」
伊豆の小さい山荘で私とたった二人きりで、わびしい生活を
きょう伊豆に出発、とお言いつけになったので、お母さまは、
三島で駿豆鉄道に乗りかえ、伊豆長岡で下車して、それからバスで十五分くらい
お母さまと並んで坐り、硝子戸ガラスど越しに伊豆の雪を眺めた。
伊豆へ来るのが、どうしても、なんとしても、いやになってしまったの。
私は支那間の硝子戸越しに、朝の伊豆の海を眺ながめ、
すぐこの伊豆の山荘に引取って、どこへも出さずに、
かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ。
師匠さんご自身、伊豆の温泉へ仕事に来た途中でちょっと立ち寄らせていただきました
その日は伊豆いずの長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで、
たまに伊豆のこの家にいる事があっても、夜はきまってお咲さんのところへ
お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして、
直治と私は、伊豆の山荘で、お互い顔を合せても口をきかぬような、
東京で飲み疲れると、伊豆の山荘へ大病人のような真蒼まっさおな顔をしてふらふら帰って
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その頃、師匠さんは軽井沢の別荘のほうにいらしたので、そのお別荘へお断りの御返事をさし上げ
「あの、お断りの手紙、いまごろ軽井沢のほうに着いている事と存じます。私、よく考えましたのですけど
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それでもって薬屋への借りを全部支払って、それから塩原の別荘へでも行って、健康なからだになって帰って来るつもりなの
ものだが、弟の手紙の誓いは、いつも嘘で、塩原の別荘にも行かず、薬品中毒はいよいよひどくなるばかりの様子で、お金を
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その他、パリ近郊の大地図、直径一尺にちかきセルロイドの独楽、糸よりも細く字の
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? みなウソだ。牛島の藤は、樹齢千年、熊野の藤は、数百年と称えられ、その花穂の如きも、前者で最長九
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無関係なあさましい虚勢だ。高等御下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、じっさい華族なんてものの大部分は、高等御
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ので、私は、いやでいやで仕様が無かった。関西の多額納税の学友が、「いい頸巻してはるな」と、おとなびた口調で
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「いいえ、叔父さまがね、ほら、あの、駒場の」
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「また長岡です。予約してありますから、ご心配無用。このご病人は、ひとの
失礼だし、この近くには、ろくな宿もないし、長岡の温泉にだって、二部屋も三部屋も予約は出来ない、つまり、僕
そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取り敢えず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、
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お昼すこし過ぎにおでかけになり、夜の八時頃、松山さんに送られてお帰りになった。
翌る日、もとの運転手の松山さんにお伴をたのんで、お母さまは、お昼すこし過ぎにおでかけになり、
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の先生は、もうだいぶおとし寄りのようで、そうして仙台平の袴を着け、白足袋をはいておられた。
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だったようです。光琳という画家も、むかし私どもの京都のお家に永く滞在して、襖に綺麗な絵をかいて下さったの
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「仕様がねえな。福井さんのとこへでも、たのんでみようかな。チエちゃん、連れて行っ
福井さんとかいうお方のお宅では、みなさんがもうおやすみになっ
「電報、電報。福井さん、電報ですよ」
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の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の遊廓の客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。こないだも、
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私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引越して
玄関にはいってみると、もう東京からのお荷物が着いていて、玄関からお部屋からお荷物で一ぱいに
「空気のせいかしら。陽の光が、まるで東京と違うじゃないの。光線が絹ごしされているみたい」
もし万一、入院などしなければならぬようになったら、東京へ電報を打つように、と言い残して、ひとまずその日に帰京なされた
ちょっと楽しいような気分がしたけど、薄暗くなったら、もう東京がこいしくて、胸がこげるようで、気が遠くなってしまったの。
させるというわけにはいかぬ、いまのこの混乱の東京で働いては、まともの人間でさえ少し狂ったような気分になる、
ぬと言って背広に着換え、お母さまから、二千円もらって東京へ出かけて行ってしまった。それっきり、もう十日ちかくなるのだけれど
お昼すぎに、直治は、東京のお友達や、文学のほうの師匠さんなどに逢わなければならぬと
あの小説家の上原さんなんかと一緒に東京中を遊びまわって、東京の狂気の渦に巻き込まれているのにちがいない、と思えば思うほど
しているのだろう、あの小説家の上原さんなんかと一緒に東京中を遊びまわって、東京の狂気の渦に巻き込まれているのにちがいない
口数もめっきり少く、とても私は気がかりで、直治はまあ、東京で何をしているのだろう、あの小説家の上原さんなんかと一緒に東京
にあったもの全部を、ここに持ち運び、いまに直治が東京から帰って来たら、直治の好きな位置に、箪笥本箱などそれぞれ据える事
東京劇場の裏手のビルの地下室にはいった。四、五組の客が、
にお移りになった事を直治から聞きまして、よっぽど東京の郊外のそのお宅にお伺いしようかと思ったのですが、お母さまが
にいちどは、私たちの衣類を売ったお金を持って東京方面へ御出張です。でも、くるしいのは、こんな事ではありませ
、でも、なるべくならおひとりで、そうして直治が東京に出張した留守においでになって下さい。直治がいると、あなた
要りません。お逢いしとうございます。私のほうから、東京のあなたのお宅へお伺いすれば一ばん簡単におめにかかれるのでしょうけれど
直治は相変らずの東京出張で、もう十日あまり帰らない。私ひとりで、心細さのあまり和田
していらした三宅さまの老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらして下さった。
がとまった。和田の叔父さまが、叔母さまと一緒に東京から自動車で馳せつけて来て下さったのだ。叔父さまが、病室にはいっ
大丈夫だろうという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。
して、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に見舞いのお金包
は出版業の資本金と称して、お母さまの宝石類を全部持ち出し、東京で飲み疲れると、伊豆の山荘へ大病人のような真蒼な顔をし
たちのお世話で、お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして、それからまた直治と私は、伊豆の山荘で、お互い
「きょう、私、東京へ行ってもいい? お友だちのところへ、久し振りで遊びに行って
東京郊外、省線荻窪駅の北口に下車すると、そこから二十分くらいで、あの
駅へ行き、切符を買い、東京行きの省線に乗り、阿佐ヶ谷で降りて、北口、約一丁半、金物屋
「これから東京で生活して行くにはだね、コンチワァ、という軽薄きわまる挨拶が平気
ふわと毛布がかかり、僕は薄目をあけて見たら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、奥さんはお嬢さんを抱いてアパートの
とにかくここへ一緒にやって来てみたら、姉さんは東京のお友達のところへ出掛け、その時ふと、僕は死ぬなら今だ、
へ来たのは、女に旅行をせがまれ、僕も東京で遊ぶのに疲れて、この馬鹿な女と二、三日、山荘で
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お話をする必要もあると思われるから、明日、とにかく銀座の私の事務所までおいでを乞う、という文面で、
なく心配になり、一日、お能からの帰り、自動車を銀座でかえして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノアパートを訪ねた。
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と小声でわびて、お茶の水駅のほうに歩いて、振り向いてみると、そのお友達は、やはり橋
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「荻窪ですの。駅の前の、白石というおでんやさんへおいでになれ
また、逆もどり。阿佐ヶ谷から省線で立川行きに乗り、荻窪、西荻窪、駅の南口で降りて、こがらしに吹かれてうろつき、交番
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「阿佐ヶ谷ですよ、きっと。阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐにいらして、そうですね、一
駅へ行き、切符を買い、東京行きの省線に乗り、阿佐ヶ谷で降りて、北口、約一丁半、金物屋さんのところから右へ曲っ
また、逆もどり。阿佐ヶ谷から省線で立川行きに乗り、荻窪、西荻窪、駅の南口で降りて、
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また、逆もどり。阿佐ヶ谷から省線で立川行きに乗り、荻窪、西荻窪、駅の南口で降りて、こがらしに吹かれてうろつき、交番を見つけ
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とても出来ませんから、お金は、お関に言いつけて、京橋の×町×丁目のカヤノアパートに住んでいる、姉上も名前だけはご存じ
帰り、自動車を銀座でかえして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノアパートを訪ねた。
事でなく、私の事で、お願いがあるのです。京橋のアパートで罹災なさって、それから今の御住所にお移りになった
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外は、初冬の夕暮。風が、つめたかった。隅田川から吹いて来る川風のような感じであった。上原さんは、その川風
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西片町のおうちの奥庭で、秋のはじめの月のいい夜であったが、
十年前、お父上が西片町のお家で亡くなられてから、
私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆いずのこの、
叔父さまと私と三人、西片町のお家を出た。
私たちの人生は、西片町のお家を出た時に、もう終ったのだ
西片町のあのお家に、一日でも半日でも永くいたかったの。
軍服みたいなものを着た男が、西片町のお家へやって来て、私に徴用の紙と、
山木さまのお家から出て、西片町のお家へ帰って来た時、
とにかく昔、西片町のお家の直治のお部屋にあったもの全部を、
私どもの西片町のお家の近所に住んでいましたので、
お妾にだけはなるものじゃないって、西片町のじいやと乳母が話合っているのを、
僕は昔から、西片町のあの家の奥の座敷で死にたいと思っていました。
けれども、西片町のあの家は人手に渡り、いまではやはりこの山荘で死ぬよりほかは