薄明 / 太宰治
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な長い総を形成しかけていた時に、にわかに甲府市中が騒然となった。攻撃が、中小都市に向けられ、甲府も、
妹は、あすの私たちの食料を心配して、甲府市から一里半もある山の奥の遠縁の家へ、出発した。私たち
れて、安眠している。親たちは、ただぼんやり、甲府市の炎上を眺めている。飛行機の、あの爆音も、もうあまり聞えなくなった
その日は、甲府市の郊外にある義妹の学友というひとのお家で休ませてもらう事にし
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で、妻の里の甲府へ、一家は移住した。甲府の妻の実家には、妻の妹がひとりで住んでいたので
の住居を爆弾でこわされたので、妻の里の甲府へ、一家は移住した。甲府の妻の実家には、妻の妹
昭和二十年の四月上旬であった。聯合機は甲府の空をたびたび通過するが、しかし、投弾はほとんど一度も無かった。まち
当然の事であって、また私にしても、そんな甲府の家の財産やら何やらには、さっぱり興味も持てないので、そこ
た。その娘が、海軍に行っている男の子と手紙で甲府の家の事に就いてしょっちゅうこまごまと相談し合っている様子であった。
、三年前に大学を出てすぐ海軍へ行き、いま甲府の家に残っている者は、その男の子のすぐ上の姉で、私
の無かったような、いろいろの特殊な苦労も味った。甲府の妻の里では、父も母も亡くなり、姉たちは嫁ぎ、一ばん
が深夜でも絶える事なく耳についた。それはもう甲府も、いつかはやられるだろうと覚悟していたが、しかし、久し振りで
騒然となった。攻撃が、中小都市に向けられ、甲府も、もうすぐ焼き払われる事にきまった、という噂が全市に満ち
甲府へ来たのは、四月の、まだ薄ら寒い頃で、桜も東京より
も、きっと焼けるに違いない、また他の病院も、とにかく甲府には、医者が無くなる。そうすると、この子は失明のままで、
の攻撃はこれまでの東京の例で見ても、まず甲府全市にわたるものと覚悟しなければならぬ。この子のかよっている医院
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(例)三鷹
東京の三鷹の住居を爆弾でこわされたので、妻の里の甲府へ、一家
と、もう一つは気不精から、いつまでも東京の三鷹で愚図々々しているうちに、とうとう爆弾の見舞いを受け、さすがにもう東京
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東京の三鷹の住居を爆弾でこわされたので、妻の里の甲府へ
ているうちに、とうとう爆弾の見舞いを受け、さすがにもう東京にいるのがイヤになって、一家は妻の里へ移転した。
無いのと、もう一つは気不精から、いつまでも東京の三鷹で愚図々々しているうちに、とうとう爆弾の見舞いを受け、さすがに
、しかし、投弾はほとんど一度も無かった。まちの雰囲気も東京ほど戦場化してはいなかった。私たちも久し振りで防空服装を解いて
たのであるが、しかし、私は酒飲みであり、また東京から遊びに来るお客もちょいちょいあるし、里の権利を大いに重んずるつもりでい
疎開は、するな。家がまる焼けになる迄は、東京にねばっているほうがよい。」
と私はその頃、東京で家族全部と共に残留している或る親しい友人に書き送ってやった事
たのは、四月の、まだ薄ら寒い頃で、桜も東京よりかなりおくれ、やっとちらほら咲きはじめたばかりであったが、それから、
いう事になる。さらにまた聯合機の攻撃はこれまでの東京の例で見ても、まず甲府全市にわたるものと覚悟しなければなら