新釈諸国噺 / 太宰治
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して、讃岐一国を狭しとして阿波の徳島、伊予の松山、土佐の高知などの夜宮角力にも出かけて、情容赦も無く相手
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義理 (摂津) 武家義理物語、四十七歳
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二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多の海が青く展開するのを夢のように眺めて、なおも飲まず食わ
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それから、関、亀山、四日市、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油、吉田、蛸は大威張りで駕籠
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は、すりばちをさかさにして持って来て、これは富士山の置き物で、御出家の床の間にふさわしい、安くします、と言い、あまりに
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それから、関、亀山、四日市、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油、吉田、蛸は大威張りで駕籠にゆられて居眠りしながら旅を
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。物語の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
むかし讃岐の国、高松に丸亀屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛とて生れ落ちた時から骨太く
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無分別を起して出家し、眼夢とやら名を変えて吉野の奥にわけ入った九平太は、いまどうしているかしらんと、さだめし一座
如く、いまはつくづく無分別の出家遁世を後悔いたし、冬の吉野の庵室に寒さに震えて坐って居ります。思えば、私の遁世は
歎きわび世をそむくべき方知らず、吉野の奥も住み憂しと言へり
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と思ったからである。物語の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
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が更に面白いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫し
人魚の海 (蝦夷) 武道伝来記、四十六歳
「当り前さ。蝦夷が島の端でもいい、立派なお屋敷で、そんな栄華のくらしを三
お許しになるので、いよいよ増長し、ついに或る時、蝦夷とはどのような国か、その風景をひとめ見たい、と途方もない事を言い
家来たちがなだめると尚更、図に乗って駄々をこね、蝦夷を見ぬうちはめしを食わぬと言ってお膳を蹴飛ばす仕末であった
にこの縁談をとりきめ、十七の娘は遠いあずまのそれも蝦夷の土地と聞く陸奥へ嫁がなければならぬ身の因果を歎き、生きた
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ていられないくらいの猛吹雪になっても、金内は、鬼界ヶ島の流人俊寛みたいに浪打際を足ずりしてうろつき廻り、夜がふけても村
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たからである。物語の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
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於いて死なせたる苦しさ、さりとては、うらめしの世、丹後どのには他の男の子ふたりあれば、歎きのうちにもまぎれる事もありなん
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それから、関、亀山、四日市、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油、吉田、蛸は大威張りで駕籠にゆられて居眠り
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面白いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
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の舞台も蝦夷、奥州、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
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な大井川か。淀川の半分も無いじゃないか。国元の猪名川よりも武庫川よりも小さいじゃないか。のう、蛸。これしきの川が渡れぬ
を横目で見てにやりと笑い、「私などは国元の猪名川を幼少の頃より毎日のように馬で渡ってなれて居りますので、
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それから、関、亀山、四日市、桑名、宮、岡崎、赤坂、御油、吉田、蛸は大威張りで駕籠にゆられて居眠りしながら旅をつづけた
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て、きっと女には好かれますよ。上方へ行って島原などの別嬪さんを泣かせるなんてのは、男と生れて何よりの果報だろう
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むかし都の西陣に、織物職人の家多く、軒をならべておのおの織物の腕を競い家業に
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貧の意地 (江戸) 諸国はなし、西鶴四十四歳刊行
遊興戒 (江戸) 西鶴置土産、五十二歳(歿)
にござった、また別の一書には、或る人、江戸より船にてのぼりしに東海道の興津の沖を過ぎる時に一むらの黒雲虚空
泣き、手下の乱暴な東北言葉に胆をつぶして泣き、江戸を過ぎてようよう仙台ちかくなって春とはいえ未だ山には雪が残って
荒っぽい遊びを風聞してあこがれ、或るとし秋風に吹かれて江戸へ旅立ち、途中、大笑いの急がぬ旅をつづけて、それにしても世の中
みたいものさ、などと天を恐れぬ雑言を吐き散らして江戸へ着き、あちらこちらと遊び廻ってみても、別段、馬の目を抜く殺伐
、馬の目を抜く殺伐なけしきは見当らず、やはりこの江戸の土地も金次第、どこへ行っても下にも置かずもてなされ、甚だ
下にも置かずもてなされ、甚だ拍子抜けがして、江戸にもこわいもの無し、どこかに凄い魔性のものはいないか、と懐手
ず平気で買って行く人が次々とあるので、やっぱり江戸は違う、上方には無い事だ、あの十両の金魚は大名の若様
へ来て買うのであろうな、いかさま武蔵野は広い、はじめて江戸を見直したわい、などと口々に勝手な事を言って単純に興奮し、これ
を言って単純に興奮し、これを見ただけでも江戸へ来たかいがあった、上方へのよい土産話が出来た、と互いに
ぼうふらを売って、ほそぼそと渡世している人もある。江戸は底知れずおそろしいところだ、と苦労知らずの三粋人も、さすがに感無量
てなあ。上方の遊びもつまらなくなって、こうして江戸へ出て来たが、お前と一緒でないと、どこの遊びも面白くない
引受けたは笑わせやがる。でもまあ昔の馴染甲斐に江戸の茶碗酒でも一ぱい振舞ってやろうか。利左は落ぶれてもお前たち
谷中の秋の夕暮は淋しく、江戸とは名ばかり、このあたりは大竹藪風にざわつき、鶯ならぬむら雀の
ありげな顔になって宿へ帰り、翌る日から殊勝らしく江戸の神社仏閣をめぐって拝み、いよいよ明日は上方へ帰ろうという前夜、宿の
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猿塚 (筑前) 懐硯、四十六歳
むかし筑前の国、太宰府の町に、白坂徳右衛門とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女
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国元を出発したが、京を過ぎて東路をくだり、草津の宿に着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになってい
丹三郎の不仕鱈には限りが無かった。草津、水口、土山を過ぎ、鈴鹿峠にさしかかった時には、もう歩けぬとわめき
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畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮に参り、八幡宮のお札をもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、
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「なんだ、これがあの有名な大井川か。淀川の半分も無いじゃないか。国元の猪名川よりも武庫川よりも小さい
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鎌倉山の秋の夕ぐれをいそぎ、青砥左衛門尉藤綱、駒をあゆませて滑川を渡り、
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吉野山 (大和) 万の文反古、歿後三年刊行
、ひとりで噴き出したりして、やめてしまいます。立ち上って吉野山の冬景色を見渡しても、都の人たちが、花と見るまで雪ぞ
まで、とにかく名前を思い出し次第、知っている人全部に、吉野山の桜花の見事さを書き送り、おしなべて花の盛りになりにけり山の端毎にかかる
来て下さい、と必ず書き添えて、またも古人の歌「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」と思わせ
も里人に頼んで都に送り、わがまことの心境は「吉野山やがて出でんと思ふ身を花散る頃はお迎へたのむ」というような馬鹿げた
かかるせつなき真赤な嘘もまた出家の我慢忍辱と心得、吉野山のどかに住み易げに四方八方へ書き送り、さて、待てども待てども人
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中堂金内は、ほどなく松前城に帰着し、上役の野田武蔵に、このたびの浦々巡視の結果をつぶさに報告
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せずまたこの店へ来て買うのであろうな、いかさま武蔵野は広い、はじめて江戸を見直したわい、などと口々に勝手な事を言って単純
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時、飛騨に一身両面の人出ずる、天武天皇の御宇に丹波の山家より十二角の牛出ずる、文武天皇の御時、慶雲四年六月
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むかし讃岐の国、高松に丸亀屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に
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を狭しとして阿波の徳島、伊予の松山、土佐の高知などの夜宮角力にも出かけて、情容赦も無く相手を突きとばし張り倒し、多く
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、讃岐一国を狭しとして阿波の徳島、伊予の松山、土佐の高知などの夜宮角力にも出かけて、情容赦も無く相手を
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いよいよ増長して、讃岐一国を狭しとして阿波の徳島、伊予の松山、土佐の高知などの夜宮角力にも出かけて、情容赦
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な東北言葉に胆をつぶして泣き、江戸を過ぎてようよう仙台ちかくなって春とはいえ未だ山には雪が残っているのを見
命じて熊の毛皮をぬがせ頬被りを禁じて紋服を着せ仙台平の袴をはかせ、これを引連れて都にのぼり、自分は東の
だ、と無遠慮に批評するのを聞いてにやりと笑い、仙台には美人が少く候、と呟いて何やら溜息をつき、山賊に似合わ
年間、陸奥一円にかくれなき瀬越の何がしという大賊、仙台名取川の上流、笹谷峠の附近に住み、往来の旅人をあやめて金銀
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(例)昭和十九年晩秋、三鷹の草屋に於て
昭和十九年晩秋、三鷹の草屋に於て
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かね、勝手口から走り出て、自身の兄の半井清庵という神田明神の横町に住む医師の宅に駈け込み、涙ながらに窮状を訴え、助力
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むかし江戸品川、藤茶屋のあたり、見るかげも無き草の庵に、原田内助というおそろしく鬚
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、と懐手して三人、つまらなそうな様子で、上野黒門より池の端のほうへぶらりぶらり歩いて、しんちゅう屋の市右衛門とて当時有名な