『井伏鱒二選集』後記 / 太宰治
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、はじめてその作品を発表なさって、当時、北の端の青森の中学一年生だった私は、それを読んで、坐っておられなかっ
さえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さん
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ではないか? 太宰は、よく法螺を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の
長兄も次兄も三兄もたいへん小説が好きで、暑中休暇に東京のそれぞれの学校から田舎の生家に帰って来る時、さまざまの新刊本を
ところを発見できなかった。その兄が、その夏に、東京の同人雑誌なるものを、三十種類くらい持って来て、そうしてその頃
東京からやって来て、しばらく私たちと一緒に滞在し、東京の文壇のありさまなど、ところどころに嘘をまぜて(この兄は、冗談が
があって、その時、一番下のおしゃれな兄が、東京からやって来て、しばらく私たちと一緒に滞在し、東京の文壇のありさま
私はそのとき以来、兄たちが夏休み毎に東京から持って来るさまざまの文学雑誌の中から、井伏さんの作品を捜し出して
、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり、東京の大学へはいるとすぐに、袴をはいて井伏さんのお宅に伺い、
一つしか空いて居りませんが、それは、きょう、東京から井伏先生という方がおいでになるから、よろしく頼むと或る人から
れたことがある。その南伊豆の温泉に達するには、東京から五時間ちかくかかるようだったが、井伏さんは女将にそう言われて
おっしゃっただけで、またも釣竿をかつぎ、そのまま真直に東京の荻窪のお宅に帰られたことがある。
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た)私たちに語って聞かせたのである。かれは上野の美術学校の彫刻科にはいっていたのであるが、彫刻よりも
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と記憶しているが、井伏さんが銀座からの帰りに荻窪のおでんやに立寄り、お酒を呑んで、それから、すっと外へ
だけで、またも釣竿をかつぎ、そのまま真直に東京の荻窪のお宅に帰られたことがある。
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、その頃のことと記憶しているが、井伏さんが銀座からの帰りに荻窪のおでんやに立寄り、お酒を呑んで、それから
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私は、阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶
で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、(阿佐ヶ谷には、井伏さんの、借りのきく飲み屋があった。)改札口を
当惑した御様子で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、(阿佐ヶ谷には、井伏さんの、借りのきく飲み屋があった
界隈の下宿街は、井伏さんに一生つきまとい、井伏さんは阿佐ヶ谷方面へお逃げになっても、やっぱり追いかけて行くだろう。