東京八景 (苦難の或人に贈る) / 太宰治
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よそ行きの着物を一まい受け出し、着飾って旅に出た。甲州の山である。さらに思いをあらたにして、長い小説にとりかかるつもりで
あらたにして、長い小説にとりかかるつもりであった。甲州には、満一箇年いた。長い小説は完成しなかったが、短篇は
市の生活は、荻窪の下宿から、かばん一つ持って甲州に出かけた時に、もう中断されてしまっていたのである。
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翌朝、私たちは早く起きて芝公園に出かけた。増上寺の境内に、大勢の見送り人が集っていた。カアキ色の団服を
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伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとる
と、ペン、インク、原稿用紙を持って、いさんで伊豆に旅立った。伊豆の温泉宿に到着してからは、どんな事になった
、原稿用紙を持って、いさんで伊豆に旅立った。伊豆の温泉宿に到着してからは、どんな事になったか。旅立ってから
伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、
伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスにゆられて南下し、
原稿用紙を持って、いさんで伊豆に旅立った。伊豆の温泉宿に到着してからは、どんな事になったか。
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ことし四月四日に私は小石川の大先輩、Sさんを訪れた。Sさんには、私は五年前の
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は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも、すぐに
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。私は無一文で婚礼の式を挙げたのである。甲府市のまちはずれに、二部屋だけの小さい家を借りて、私たちは住んだ。その
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材木屋の二階、八畳間に移った。私は北海道生まれ、落合一雄という男になった。流石に心細かった。所持のお金を
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呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるの
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戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼
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さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝ったり
その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝ったりしていた。
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、之は中々の事業であった。そのとしの初秋に東京市外、三鷹町に移住した。もはや、ここは東京市ではない。私
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てもらい、身のまわりの物だけを持って、日本橋・八丁堀の材木屋の二階、八畳間に移った。私は北海道生まれ、落合
に聞いてみたら、わかる事だと思った。いそいで八丁堀、材木屋の二階に帰って来たのだが、なかなか言い出しにくかった
共に卑屈に笑いながら、私たちは力弱く握手した。八丁堀を引き上げて、芝区・白金三光町。大きい空家の、離れの一室を借りて
の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。
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共は、私を俗化したと言っている。毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。ぶるぶる煮えたぎって落ちている。私は、夕陽の見える三
東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。あと七景を
蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は至難であった。
「さすがに、武蔵野の夕陽は大きいですよ」
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不潔な時期だ。私は、この女を誘って一緒に鎌倉の海へはいった。破れた時は、死ぬ時だと思っていたの
だとて、その方面では、人を責める資格が無い。鎌倉の事件は、どうしたことだ。けれども私は、その夜は煮えくりかえっ
。書いて置きたい事が一ぱい出て来た。まず、鎌倉の事件を書いて、駄目。どこかに手落が在る。さらに又、一作
来た、と思った。私は三月中旬、ひとりで鎌倉へ行った。昭和十年である。私は鎌倉の山で縊死を企てた
ひとりで鎌倉へ行った。昭和十年である。私は鎌倉の山で縊死を企てた。
やはり鎌倉の、海に飛び込んで騒ぎを起してから、五年目の事である。
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自分に教えた。熱海で、伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、バスに
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七歳であった。兄の死後も、私は、その戸塚の下宿にいた。二学期からは、学校へは、ほとんど出なかった。
て来た。七年前に父を喪った兄弟は、戸塚の下宿の、あの薄暗い部屋で相会うた。兄は、急激に変化して
戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝
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ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の
ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、
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芝公園で、ちょっと面会出来るそうです。明朝九時に、芝公園へ来て下さい。兄上からTへ、私の気持を、うまく伝えて
から、「いよいよTが明日出発する事になりました。芝公園で、ちょっと面会出来るそうです。明朝九時に、芝公園へ来て下さい
翌朝、私たちは早く起きて芝公園に出かけた。増上寺の境内に、大勢の見送り人が集っていた
Tが明日出発する事になりました。芝公園で、ちょっと面会出来るそうです
明朝九時に、芝公園へ来て下さい。兄上からTへ、私の気持を、うまく伝えてやって下さい。
私たちは早く起きて芝公園に出かけた。増上寺の境内に、大勢の見送り人が集っていた。
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されていた。一層倹約をしなければならぬ。杉並区・天沼三丁目。知人の家の一部屋を借りて住んだ。その人
家は、私の入院中に廃止せられて、Hは杉並区・天沼三丁目のアパートの一室に住んでいた。私は、そこに
一層倹約をしなければならぬ。杉並区・天沼三丁目。知人の家の一部屋を借りて住んだ。
私の入院中に廃止せられて、Hは杉並区・天沼三丁目のアパートの一室に住んでいた。
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は癒着した。けれども私は伝染病患者として、世田谷区・経堂の内科病院に移された。Hは、絶えず私の傍に
けれども私は伝染病患者として、世田谷区・経堂の内科病院に移された。
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昭和十一年の秋に私は自動車に乗せられ、東京、板橋区の或る病院に運び込まれた。一夜眠って、眼が覚めてみると、
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東京八景
十年間、はじめての事であったのである。私が東京で生活をはじめたのは、昭和五年の春である。そのころ既に
を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰に
書いてみたいと思っていた。十年間の私の東京生活を、その時々の風景に託して書いてみたいと思っていた
東京八景。私は、その短篇を、いつかゆっくり、骨折って書いてみたい
東京八景。私は、いまの此の期間にこそ、それを書くべきである
東京市の大地図を一枚買って、東京駅から、米原行の汽車に乗っ
たのだ。私はその夜、暗い電燈の下で、東京市の大地図を机いっぱいに拡げた。
というものを拡げて見る事か。十年以前、はじめて東京に住んだ時には、この地図を買い求める事さえ恥ずかしく、人に、田舎者
幾年振りで、こんな、東京全図というものを拡げて見る事か。十年以前、はじめて東京に住ん
「美しき事を夢みて、穢き業をするものぞ」東京とは直接に何の縁も無い言葉である。
では、此の蚕に食われた桑の葉のような東京市の全形を眺めても、そこに住む人、各々の生活の姿ばかり
ある。私は昭和五年に弘前の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学した。仏蘭西語を一字も解し得なかった
、なんの情熱も無かった。遊民の虚無。それが、東京の一隅にはじめて家を持った時の、私の姿だ。
の取調べが一段落して、死にもせず私は再び東京の街を歩いていた。帰るところは、Hの部屋より他に無い
ていた。十円、二十円の金を借りに、東京へ出て来るのである。雑誌社の編輯員の面前で、泣いて
命をいじくり廻してばかりいる。そのとしの秋以来、時たま東京の街に現れる私の姿は、既に薄穢い半狂人であった。その
て、昭和十一年の秋に私は自動車に乗せられ、東京、板橋区の或る病院に運び込まれた。一夜眠って、眼が覚めてみる
した。もはや、ここは東京市ではない。私の東京市の生活は、荻窪の下宿から、かばん一つ持って甲州に出かけた
東京市外、三鷹町に移住した。もはや、ここは東京市ではない。私の東京市の生活は、荻窪の下宿から、かばん
、之は中々の事業であった。そのとしの初秋に東京市外、三鷹町に移住した。もはや、ここは東京市ではない
とかして守って行くつもりだ」その時に、ふと東京八景を思いついたのである。過去が、走馬燈のように胸の中で
繰ってみた。併しこの場合、芸術になるのは、東京の風景ではなかった。風景の中の私であった。芸術が私
つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。あと七景を決定しようと
は東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京
ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに
、私も新橋駅まで一緒に歩いた。途中で私は、東京八景の計画をSさんにお聞かせした。
Sさんと、その破門の悪い弟子の姿を、私は東京八景の一つに編入しようと思った。
たけれども、結納の直後にT君は応召になって東京の或る聯隊にはいった。私も、いちど軍服のT君と逢って
のようにゆったりと腕組みした。すると、私自身が、東京名所の一つになってしまったような気さえして来たので
いる筈である。乗っているのかも知れない。この東京名所の増上寺山門の前に、ばかな叔父が、のっそり立っているさま
で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。東京名所は、更に大きい声で、
引きしぼったような気がした。それから数日後、東京市の大地図と、ペン、インク、原稿用紙を持って、いさんで
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いた荻窪の下宿屋の一室を思い出した。その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。けれども、この蒲団
がした。三年まえに、私が借りていた荻窪の下宿屋の一室を思い出した。その下宿屋は、荻窪でも、最下等の
は東京市ではない。私の東京市の生活は、荻窪の下宿から、かばん一つ持って甲州に出かけた時に、もう中断さ
満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は
三年まえに、私が借りていた荻窪の下宿屋の一室を思い出した。
その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。
一丁目の市場の裏に居を移した。荻窪駅の近くである。誘われて私たちも一緒について行き、
ここは東京市ではない。私の東京市の生活は、荻窪の下宿から、かばん一つ持って甲州に出かけた時に、
板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、
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。私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも
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見えて来た。私は、二重に絶望した。銀座裏のバアの女が、私を好いた。好かれる時期が、誰に
への支払いは、増大する一方である。私は白昼の銀座をめそめそ泣きながら歩いた事もある。金が欲しかった。私は二十人
の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い
」という映画の試写を一緒に見せていただき、後に銀座へ出てお茶を飲み一日あそんだ。夕方になって、Sさんは
「画になるね」と低い声で言って、銀座の橋のほうを指さした。
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ある。Hはのんきな顔をしてやって来た。五反田の、島津公分譲地の傍に三十円の家を借りて住んだ。H
五反田は、阿呆の時代である。私は完全に、無意志であった。
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に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も
そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、
戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。
そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に
戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。
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て預かってもらい、身のまわりの物だけを持って、日本橋・八丁堀の材木屋の二階、八畳間に移った。私は北海道
身のまわりの物だけを持って、日本橋・八丁堀の材木屋の二階、八畳間に移った。
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少しは金になる可能性があったのである。私が阿佐ヶ谷の病院や、経堂の病院に寝ている間に、友人達の奔走に
に悪かった。地獄の大動乱がはじまった。私は、阿佐ヶ谷の外科病院にいた時から、いまわしい悪癖に馴染んでいた。麻痺剤
を呼んだ。私は蒲団のままで寝台車に乗せられ、阿佐ヶ谷の外科病院に運ばれた。すぐに手術された。盲腸炎である。
私は蒲団のままで寝台車に乗せられ、阿佐ヶ谷の外科病院に運ばれた。
地獄の大動乱がはじまった。私は、阿佐ヶ谷の外科病院にいた時から、いまわしい悪癖に馴染んでいた。
少しは金になる可能性があったのである。私が阿佐ヶ谷の病院や、経堂の病院に寝ている間に、友人達の奔走に依り、
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の事業であった。そのとしの初秋に東京市外、三鷹町に移住した。もはや、ここは東京市ではない。私の東京
そのとしの初秋に東京市外、三鷹町に移住した。もはや、ここは東京市ではない。
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の重い口調で、そうも言われた。自動車で一緒に上野に出かけた。美術館で洋画の展覧会を見た。つまらない画が多かった
自動車で一緒に上野に出かけた。美術館で洋画の展覧会を見た。つまらない画が多かった。
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Sさんは新橋駅前の橋の上で立ちどまり、
夕方になって、Sさんは新橋駅からバスで帰ると言われるので、私も新橋駅まで一緒に歩いた。
Sさんは新橋駅前の橋の上で立ちどまり、「画になるね」と低い声で言って、銀座の橋のほうを指さした。
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絵模様。私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつ
私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。
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伊東行の汽車に乗りかえ、伊東から下田行のバスに乗り、伊豆半島の東海岸に沿うて三時間、
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東京駅から、米原行の汽車に乗った。遊びに行くのでは、ないんだぞ。
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その原稿料を持って、熱海に出かけ、一箇月間、節度も無く酒を飲んだ。
入院前の山ほどの負債は、そのままに残っていた。熱海で、いい小説を書き、それで出来たお金でもって、
つくづく自分を、駄目な男だと思った。熱海では、かえって私は、さらに借銭を、ふやしてしまった。
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そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に
戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。
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その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝ったりしていた。
同朋町、和泉町、柏木、私は二十四歳になっていた。
二箇月分の生活費を一度に送ってもらい、それを持って柏木を引揚げた。
本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。
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八丁堀を引き上げて、芝区・白金三光町。大きい空家の、離れの一室を借りて住んだ。
これで、おしまいだという意味なのである。芝の空家に買手が附いたとやらで、私たちは、
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八丁堀を引き上げて、芝区・白金三光町。大きい空家の、離れの一室を借りて住んだ。
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一層倹約をしなければならぬ。杉並区・天沼三丁目。知人の家の一部屋を借りて住んだ。
夕方には図書館を出て、天沼へ帰った。Hも、またその知人も、私を少しも疑わなかった。
やがて、天沼一丁目。三丁目は通勤に不便のゆえを以て、知人は、そのとしの春に、
首筋が赤く爛ただれたままの姿で、私は、ぼんやり天沼の家に帰った。
私の入院中に廃止せられて、Hは杉並区・天沼三丁目のアパートの一室に住んでいた。
私は天沼のアパートに帰り、あらゆる望みを放棄した薄よごれた肉体を、ごろりと横たえた。
八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。
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けれども私は伝染病患者として、世田谷区・経堂の内科病院に移された。
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昭和十一年の秋に私は自動車に乗せられ、東京、板橋区の或る病院に運び込まれた。
天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。
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私は、この女の為に、本所区東駒形に一室を借りてやった。大工さんの二階である。