乞食学生 / 太宰治
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私は頑張った。「こんな学生を、僕は、前に本郷で見た事があるよ。秀才は、たいてい、こんな恰好をしているよう
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て来ない。私は、家の方角とは反対の、玉川上水の土堤のほうへ歩いていった。四月なかば、ひるごろの事である
ようやく気が附いた。私は、やはり以前の、井の頭公園の玉川上水の土堤の上に寝そべっていたのである。見ると、少年佐伯は、
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「そうさ。娘が、この春休みに北海道へ旅行に行って、そうして、十六ミリというのかね、北海道の
行って、そうして、十六ミリというのかね、北海道の風景を、どっさり撮影して来たというわけさ。おそろしく長いフィルムだ。
は、大声で笑ってしまった。「いいじゃないか。北海道の春は、いまだ浅くして、――」
代りに僕が参りましたと挨拶して、「早春の北海道」というその愚にもつかぬ映画を面白おかしく説明しなければならなくなっ
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身軽くするする流れてゆく。万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩き
旗色は呆れる程に悪く、やりきれず、遂には、その井の頭公園の池のほとりの茶店に案内するという段取りになるのであった。
な程の、ほんのささやかな思いつきに過ぎないのである。井の頭公園の池のほとりに、老夫婦二人きりで営んでいる小さい茶店が一軒ある
聞える。ようやく気が附いた。私は、やはり以前の、井の頭公園の玉川上水の土堤の上に寝そべっていたのである。見ると、
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何も無い。ひらめく直感が何も無い。十九世紀の、巴里の文人たちの間に、愚鈍の作家を「天候居士」と呼んで唾棄
むかし、フランソワ・ヴィヨンという、巴里生まれの気の小さい、弱い男が、「ああ、残念! あの狂おしい青春
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ので、私は奇妙に拍子抜けがした。いやしくも熊本君ともあろうものが、こんな優しい返事をするとは思わなかった。青本
。あがってもいいかあ。」少年佐伯のほうが、よっぽど熊本らしい粗暴な大声で、叫ぶのである。
を見ると、やはり、青本女之助に違いなかった。熊本という逞しい名前の感じは全然、無かったのである。白くまんまるい顔で
佐伯は、すぐに笑いを鎮めて、熊本君のほうに歩み寄り、
。」笑いもせずに、そう言い放って、その文庫本を熊本君の膝の上にぽんと投げてやった。
「読書かね?」と、からかうような口調で言い熊本君の傍にある机の、下を手さぐりして、一冊の文庫本を
熊本君は、気の毒なほど露わに狼狽し、顔を真赤にして膝の
の様を笑いながら眺めていたが、なんだかひどく熊本君が可哀想になって来て、
な古典ですね。日本的ロマンの、」鼻祖と言いかけて、熊本君のいまの憂鬱要因に気がつき、「元祖ですね。」と言い直し
熊本君は、救われた様子であった。急にまた、すまし返って、
「軽蔑し給うな。」と再び熊本君は、その紳士的な上品な言葉を、まえよりいくぶん高い声で言って
「熊本君。」と語調を改めて呼びかけ、甚だ唐突なお願いではあるが、制服
と帽子? あの、僕の制服と帽子ですか?」熊本君は不機嫌そうに眉をひそめ、それから、寝ころんでいる佐伯のほうに
「なんですか。」熊本君は、私たちが言い争いをはじめたら、奇妙に喜びを感じた様子で、
「もういいんだ。僕は、熊本なんかに、ものを頼みたくないんだ。」佐伯は、急に立ちあがった
引きとめた。「君には、帰るところは無い筈だ。熊本君だって、制服を貸さないとは言ってないんだ。君は、
熊本君は、私が佐伯をやり込めると、どういうわけか、実に嬉しい様子で
「そうですね。」熊本君も、腕をうしろに組んで、私の姿をつくづく見上げ、見下し、
の帽子は、決して小さいほうでは、ありません。」熊本君はもっぱら自分の品物にばかり、こだわっている。「僕の頭のサイズ
が暮れる迄には、まだ、だいぶ間が在る。私は熊本君から風呂敷を借りて、それに脱ぎ捨てた着物を包み、佐伯に持たせ
には、私も佐伯も共に、噴き出してしまった。熊本君も、つい吊り込まれて笑ってしまった。部屋の空気は期せずし
熊本君の意外の主張には、私も佐伯も共に、噴き出してしまった
「さあ行こう。熊本君も、そこまで、どうです。一緒にお茶でも、飲みましょう。
は勉強中なんだ。」佐伯は、なぜだか、熊本君を誘うのに反対の様子を示した。「これから、また、ぼちぼち
「熊本は勉強中なんだ。」佐伯は、なぜだか、熊本君を誘う
「僕は、かまいません。」熊本君も、私たちと一緒に外出したいらしいのである。「なんだか
男女も、そんなに私の姿を怪しまないようである。熊本君は、紺絣の袷にフェルト草履、ステッキを持っていた。なかなか気取っ
どこかで、お茶でも飲みましょう。」私は、熊本君に伺った。
ねえ。せっかく、お近づきになったのですし。」と熊本君は、もったいぶり、「しかし、女の子のいるところは、割愛しましょう。
「それは、どういう意味なんですか。」熊本君は、くるりと背後の佐伯に向き直って詰め寄った。「へんな事を
仲が悪いんだ。佐伯の態度も、よくないぞ。熊本君は、紳士なんだ。懸命なんだよ。人の懸命な生き
で、ゆっくり話そう。」興奮して蒼ざめ、ぶるぶる震えている熊本君の片腕をつかんで、とっとと歩き出した。佐伯も私たちの後から、
「佐伯君は、いけません。悪魔です。」熊本君は、泣くような声で訴えた。「ご存じですか? きのう留置場
の椅子に、どかりと坐った。私と向い合って、熊本君も坐った。やや後れて少年佐伯が食堂の入口に姿を現した
大いに笑った。佐伯は、ナイフを持ち直した。その時、熊本君は、佐伯の背後からむずと組み附いて、
。返してやるよ。」と自嘲の口調で言って、熊本君の顔を見ずにナイフを手渡し、どたりと椅子に腰を下した
だか、ものを言うのが再び、いやになった。熊本君は、ちゃんと私たちと向い合って坐っていて、いましがた死力を尽して奪い返し
たまらぬ楽しみを味わうつもりでいるらしかった。佐伯は逸早く、熊本君の、そのずるい期待を見破った様子で、
或は一致点に到達できるかも知れませんからね。」熊本君は、私たち二人に更に大いに喧嘩させて、それを傍で分別顔
熊本君は、もう既に泣きべそを掻いて、
私は、熊本君のその懸命の様子を、可愛く思った。
「そうだ、そうだ。熊本君は、このとおり僕に制服やら帽子やらを貸してくれたし、謂わ
瞬間、当惑した。「どうしましょう。」と小声で熊本君に相談した。
「待っていましょう。」熊本君は、泰然としていた。「ここは、女の子がいないから
「僕は、飲みませんよ。」熊本君は、またしても、つんと気取った。「アルコオルは、罪悪です
「君は、飲むつもりですか?」熊本君も、こんどは、なかなか負けない。「止し給え。僕は、忠告し
て、三人の前に順々にコップを置くが早いか熊本君は、一つのコップを手に取って憤然、ぱたりと卓の上
な態度ばかりは、失いたくありませんからね。」と熊本君にまで卑しいお追従を言ったのである。
「そうですとも。」熊本君は、御機嫌を直して、尊大な口調で相槌打った。「私たちは
「なるほど、」と熊本君は小声で呟き、「佐伯君には、そんな遠大な思いやりがあって
いる。」ビイルの酔いに乗じて、私は、ちくりと熊本君を攻撃してやった。
、そんな事には敏感なんだ。よく気が附く。熊本君は、それと反対で、いつでも、自分の事ばかり考えている
「いや、それは、」熊本君は、思いがけぬ攻撃に面くらって、「そんなことは、主観の問題です
「信じられませんね。」と熊本君は、ばかに得意になってしまって、私を憐れむように横目で
「そうですね。」熊本君は、ほっとした顔をして、佐伯の言を支持した。
な嘆きには一も二も無く共鳴したい。たかが熊本君ごときに、酒を飲む人の話は、信用できませんからね、
注いだ。決然たる態度であった。「乾杯だ! 熊本も立て。喜びのための一ぱいのビイルは罪悪で無い。悲しみ、苦悩を
「では、ほんの一ぱいだけ。」熊本君は、佐伯の急激に高揚した意気込みに圧倒され、しぶしぶ立って
「いや、ちがいます。」熊本君も、こんどは敢然と報いた。「僕は、物事を綿密に考え
「よせ、よせ。」私も立上り、「熊本君は、てれているんだ。君の、おくめんも無い感激振りに辟易
「乾杯します。」と熊本君は、思いつめた果のような口調で言った。「僕は、ビイル
熊本君は笑わず、ビイルのコップを手にとって目の高さまで捧げ
「ありがとう。」佐伯も上品に軽くお辞儀をして、「熊本が、いつもこんなに優しく勇敢であるように祈っています。」
「佐伯君にも、熊本君にも欠点があります。僕にも、欠点があります。助け合って
、それから三人ぐっと一息に飲みほした。途端に、熊本君は、くしゃんと大きいくしゃみを発した。
熊本君は、さかんに拍手した。佐伯は、立ったまま、にやにや笑って
「士族のお生まれではないでしょうか。」熊本君は、また変な意見を、おずおず言い出した。
「熊本君、ここに二十円あります。これで、佐伯の制服と制帽と靴
「いや、君にあげるわけじゃないんだ。熊本君の友情を見込んで、一時、おあずけするだけだ。」
「わかりました。」熊本君は、お金を受け取り、眼鏡の奥の小さい眼を精一ぱいに見開いて
「へんな事を聞くようだが、君の友人に熊本君という人がいないかね? ちょっと、こう気取った人で。
「熊本?――無いね。やはり、工科かね?」
じゃないんだ。みんな夢かな? 僕は、その熊本君にも逢いたいんだがね。」
で行って、確めてみたいとさえ思ったが、やはり熊本君の下宿の道順など、朦朧としている。夢だったのに違い
銭紙幣は、やはりちゃんと残って在る。佐伯君にも、熊本君にも欠点があります。僕にも、欠点があります。助け合って
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れているのだ。それに、この川の水は、東京市の水道に使用されているんだ。清浄にして置かなくちゃ
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営んでいる小さい茶店が一軒ある。私は、私の三鷹の家に、ほんのたまに訪れて来る友人たちを、その茶店に案内する事
手を引かんばかりにして井の頭の茶店を立ち出で、途中三鷹の私の家に寄って素早く鬚を剃り大いに若がえって、こんどは可成り
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それから一時間のち、私は少年と共に、渋谷の神宮通りを歩いていた。ばかばかしい行為である。私は、ことし三十二
いう答を得て、ただちに吉祥寺駅から、帝都電鉄に乗り、渋谷に着いた。私は少し狂っていたようである。
くれるような親しい友人はいないか、と少年に問い、渋谷に、ひとりいるという答を得て、ただちに吉祥寺駅から、帝都電鉄に乗り
た。私は、このまま三人一緒に外出して、渋谷のまちを少し歩いてみたいと思った。日が暮れる迄には、
僕が、そそっかしいんだよ。君は、はじめから僕が渋谷へなど来るのをいやがっていたんだものね。」大きい溜息が
は、知らなかった。私は二人の学生と、宵の渋谷の街を酔って歩いて、失った青春を再び、現実に取り戻し得た
という私の祝杯の辞も思い出された。いますぐ、渋谷へ飛んで行って、確めてみたいとさえ思ったが、やはり熊本君