島原一揆異聞 / 坂口安吾

島原一揆異聞のword cloud

地名一覧

有馬

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尤も、一揆三万七千余人すべてが殺されて、有馬、有家、口之津、加津佐、堂崎、布津等の村々は住民全滅、現在の村民

は合流して島原城を攻撃したが戦果なく、いつたん有馬へ退いて評議した。

その時、有馬の庄屋半左衛門といふ者が、いつたん異国へ逃れ、時節を見て日本へ帰り

島原城

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即ち、南高来郡の諸村に蜂起した農民は合流して島原城を攻撃したが戦果なく、いつたん有馬へ退いて評議した。

島原

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島原の乱に就て、幕府方の文献はかなり多く残つてゐる。島原藩士

漸く十六名の者を島原へ連行して、暫く牢舎の後斬首した。その後、この事件の跡

を張り、島原方面へも働きかけてゐたけれども、然し島原の一揆はこの陰謀とは無関係に、農民によつて爆発した。爆発し

有馬村

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一例をあげれば、一揆の発端は有馬村の村民が切支丹の絵を祀つて拝んでゐる所へ役人が踏みこんだので

が「高来郡一揆之記」によると詳細を極め、有馬村の角蔵三吉といふ両名の者が殉教した父親の首と切支丹の絵を

右衛門が嗅ぎつけ、翌廿一日代官本間九郎右衛門と林兵左衛門を有馬村へ遣はし、又諸村の代官を残らず支配の村へ配置、廿四

長崎

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ひとつぐらゐはないものかといふ儚い希望をもちながら、長崎や島原半島や天草を歩き廻つた。

さうして、長崎図書館で、やゝそれらしい写本を一種読むことができた。

、これはいはゆる講談本と同種であり、恰度僕が長崎へ出発の数日前大井広介氏が送つてくれた「天草騒動」

住民の手になつた記録であるに相違ない。僕は長崎図書館へ通ひ、僕の外には一人の閲覧者もゐない特別室で