安吾の新日本地理 02 道頓堀罷り通る / 坂口安吾
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私が上京のたびに泊る小石川の「モミヂ」は今の東京では第一線の旅館なのだろう。毎晩玄関前
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、場末のバア。いかにも、そういう感じであった。北海道の山奥なんぞに、金鉱かなんぞが発見されて突如として人口二三万の
OKという喫茶店ができるような気がするな。それが北海道の山奥にはなくて、大阪の目貫きの街にあるんだね。する
の街にあるんだね。するとつまり、大阪には北海道の山奥に住むのが然るべきようなゴールド・ラッシュ派の山男的存在がタムロして
は、てんで驚かないのだからね。イヤ、大阪出身、北海道の山奥みたいなところが、たしかに、あるね。ゴールド・ラッシュの夢をえがいて人
夢をえがいて人がひしめいているのは、アラスカだの北海道の金鉱区にかぎったことではないのだね。大阪が一面そういう町
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てホコリをかぶっているのだから、シルクハットかなんかかぶって宮城へでかけて、この勲章をもらって、女房よろこべ、感激してわが家へ立ち帰るよう
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千日前という賑やかな盛り場がある。劇場だのウマイ物屋が並んでいて、
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。東京発行の選手名鑑の選手の実力鑑定はいい加減で、関西や九州四国など東京人の知らない土地の選手については特にいい加減である
関西の雑誌や名鑑はこうではない。私の見たのは競輪ダービーという
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しかし、この新聞はオモロイな。これを大阪のエゲツナサというのであろう。「いきなりグサッ!」という見出しのついた記事
ないなア。それを日本語で因果物などとも言うよ。大阪のさるお嬢さんが教えてくれた言葉に、エロがかったエゲツナサを特に「エズクロシイ
まわらねえや。昨年来「新大阪」を愛読したおかげで、大阪のエゲツナイ話やエズクロシイ話は、大阪へ行かないうちから、相当心得があった
愛読したおかげで、大阪のエゲツナイ話やエズクロシイ話は、大阪へ行かないうちから、相当心得があったのである。
ナンバーワンからテンまでに勲章を授与した。そう云えば、大阪のストリップは始まる前に軍艦マーチをやるよ。我ながらクダラン所は実によく
とにかく大阪はオモロイや。私は大阪でどこかの新聞記者に会うたびに、きいた
とにかく大阪はオモロイや。私は大阪でどこかの新聞記者に会うたびに、きいたものだ。勲章授与した
のためには何でもやろうという大コンタンは、とにかく大阪のものだ。東京の方から遠く望見していただけでは想像のつか
などゝ理窟ッぽく推理を働かせる必要にせまられるが、大阪という都会の心臓の中へまきこまれると、あんなこと、なんでもあらへん
大阪はエゲツなく、エズクロシイが、同時にそれに対して軽率な反動を常備する本能が
大阪では電車の起点だか終点だかを「ターミナル」と言います。正しい英語
かを「ターミナル」と言います。正しい英語の由。もっとも大阪の「ターミナル」は、その起点終点駅周辺のマーケット地帯、新発生の盛り場を
て一列縦隊かなんかで歩かせてやろうというコンタン、大阪の人間は一足外へでると赤ん坊なみ、全然ソノ筋の信用ゼロらしいや。
ウロウロと心のおもむくままに歩かせてはどうかね。大阪の人間は勝手に歩かせておくと、東京のメクラのように衝突してケンカ
だが、大阪の競輪場は面白い。私の行ったのは日曜日で、数万の人間がギッシリ
ここが大阪のよいところだ。実質的で、お体裁のところがない。ターミナルのバリケードや千日前
この実質精神や合理精神は大阪の長所であろう。誤植だらけの競輪雑誌が通用するような庶民精神の存在は
ところが、大阪は新世界のジャンジャン横丁を歩いたら、おどろいたね。ここはホルモン焼きの天国だ
を食う人はみんなムシャぶりついてしまうらしいね。浅草の染太郎と大阪のジャンジャン横丁を周遊してごらんなさい。一方は畳の上だし、一方は
いるのである。世道人心に害があるというので大阪の警察が目隠ししたのだろうと考えたら(そう思うのは当然さ。駅前
吉原の娼妓が逃げそこなって集団的に焼死したので、大阪に大火があったら女郎がみんな死ぬやないか、人道問題やで、ほんまに
の楼主だけだろうか。その目的は違うにしても、大阪の警察精神が、こういう塀をブッたててスッポリ遊廓をつつむようなコンタンを
ナ、ということが頭に浮かんで仕方がなかった。大阪へ一足降りて以来、人民取締り精神というものがヒシヒシ身にせまって、どう
裏通りの値段のヒラキは次第に大きくなりはしたが、大阪のジャンジャン横丁界隈の如きものは天下の特例であろう。もっとも、病気を貰えば
大阪の新開拓者、檀一雄先生、すすんで案内役を志し、いそがしい仕事をほッたらか
旅館に泊っていた。雀右衛門夫人の経営するところで、大阪では一流中の一流旅館だそうである。
私は大阪は全然知らないし、文藝春秋新社にも大阪通は一人もいない。案内役
。案内役の徳田潤君は、東京の大通であるが、大阪は殆ど知らないのである。仕方がないから、読売新聞の大阪支社に万事
旅館が京家であった。大臣の泊るところで、現在の大阪ではツレコミ宿でない唯一の旅館だろうという物々しい話。巷談師には上等
こと旅館に関する限り、東京と大阪はアベコベのようだ。江戸ッ子は保守的で渋好みであるが、そういう土地で
京家が、進歩的で、新しいもの、豪壮なものの好きな大阪で格式をもっているのは意外であった。もっとも旅館にツナガリをもつの
物を云うはずであろう。するとこういう保守的な一面も大阪にはあるのだろう。
温泉などとちがって、土地名題のウマイ物店がタクサンある大阪だもの、食べ物は客の好みにまかせ、専門の料理店にまかせるのが至当。
ンなのである。彼が到着した夜は、私は大阪へ持ちこした仕事のために徹夜しなければならず、外出できないし、酒
とでも答えたら、これは奇ッ怪千万なものだ。大阪の言い廻しやアクセントではそれが奇ッ怪でないばかりか、シミジミと耳に快い。
タンカをきるのが好きであるが、ポンポン云いまくる言い方は大阪がはるかに進んでいるし、表現が適確でもある。人を罵倒する無数
東京の罵言が紋切型であるのに比べて、大阪のは、その物、その場に即して、写実的であり、臨機応変即物的に豊富
大阪役者の人情劇とストリップと漫才をやる小屋で、最も大阪的な小屋の一ツなのであろう。
、エゲツないことを云うと的確にエゲツナサだけに終るけれども、大阪の言い廻しは断定的でなく、逃げ路や抜け路や空気孔のようなもの
お尻をだして必死に前と後を押えているのは大阪だけかも知れん。停電を見こしてこういう型、つまり危くズリ落ちそうな
こんどの大阪旅行は苦しかった。二月はじめに身体を悪くして仕事に支障をきたし、
大阪へつくと大雪。実は東京がさらに大雪だった由であるが、そういう
、そういうこととは知らないから雪を呪いつつ未知の大阪をうろついて、ようやく自動車をひろって、読売支社へ。それから京家へ落ちついた
て、読売支社へ。それから京家へ落ちついたが、結局大阪でたった一軒静かな旅館だというここへ泊ったことは幸運であった
小説新潮も、文春別冊も、書きあげることができたし、大阪見物にも支障がなかった。この忙しい最中にも住之江競輪へのしてたった
から。四百円もうけて四百円損したからタダだ。大阪滞在を通じていくらも眠らなかったが、京家の一大犠牲的奉仕によって
もね。諦めきった侘び住居というようなのが、大阪第一級の旅館として現存しているというのは、実際どうもここ
いる限りは、山中深く居るようなもので、生気盗れる大阪の街を思いだすこともできないような時間の逆転、異様だなア。全く、
だなア。全く、どうも、現代というものがない。大阪にお伽話が実在しているようなものだ。焼けなければ、これに類する古風
私は声楽家の山本篤子さんに依頼して、大阪の戦後派の(悪い意味ではなく、むしろアベコベの意味の)ソウソウたる代表的な
大阪はコセコセしているというが、どうだろう。非常に積極的な実利主義と同時
。私のお目にかかったお嬢さん方の多くは、大阪は好き、しかし大阪の男はキライや、という。なぜだろうねえ、大阪の
にかかったお嬢さん方の多くは、大阪は好き、しかし大阪の男はキライや、という。なぜだろうねえ、大阪の男は立派ですよ
しかし大阪の男はキライや、という。なぜだろうねえ、大阪の男は立派ですよ。
大阪にミジメなものがあるとすれば、東京に対する対立感が強すぎることだ
考えることは二流人の自覚でしかない。東京の人間は大阪に負けないなどゝ考える必要は毛頭ないのである。もっとも、アメリカはこうだ
大阪にミジメなものがあるとすれば、東京を意識しすぎるということだけだ
大阪の男は狂おしいほどあやつられていますね。あの言葉がそうだ。彼ら
怖しさが分るし、理への反逆も起るのだ。大阪の言葉は怖ろしいまでに的確でありながら、同時にモヤモヤと、感性的なの
ありながら、同時にモヤモヤと、感性的なのである。大阪の言葉はファルスをつくるに最もふさわしい言葉の一ツであろう。だいたいファルス(道化
の女でも、郷土の男を嫌いがちだが、別して大阪はその傾向が激しいかも知れん。それは男が多くの袋を負いすぎ
しかし、大阪の御婦人方は面白いや。私と徳田君はいっぺん京家をでたことが
占領することがツレコミ宿の方針にそわなかったことと、大阪のたいがいの宿がツレコミ宿であったせいだ。私たちが読売支社を訪れて
悪いのさ。こういうアラレもないことを口走るお嬢さんは大阪だけとは限らない。百花園千歳のF子嬢は東京の下町娘だが、
私は大阪のお嬢さん方に会って、一番感心したのは、どれもこれも凡庸
はいりこめるようである。私が彼女らと会ったのは、大阪を立ち去る三時間半前ぐらいで、ゆっくり話もきけなかったが、ミス大阪はじめ
あった。こういうお嬢さん方に会ってみると、あの大阪の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ること
てみると、あの大阪の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ることのできない混雑である。盛り場はいくつ
また、己れの快的な愉しみに従事しているね。大阪は凡人の街なんだね。そして女が男よりも美しい街だ。なぜ
ね。そして女が男よりも美しい街だ。なぜなら、大阪の男は凡人であるよりも、もっと悲しい凡夫だからさ。自分の袋を
一ツだけ残ったのが三ツ寺なんだね。大阪の人は「三ツデラサン」という。鉄筋コンクリートだから形が残るよ。そして
ような屋根である。真言宗だかのお寺ですよ。大阪の凡夫は狂おしく頭をしぼって、こういうお寺をつくるから、袋を背負わ
たのを見ると、メトロというキャバレーだったそうだ。大阪新名物だと今のところ大騒ぎだが、イヤハヤ、馬鹿々々しく大きいね。
で仕上げをするというのが普通のコースであるが、大阪はバアに代るのがキャバレーという訳でもない。カルピスジンでは仕上げになり
大阪は食道楽だというが、現在の大阪はそうではないね。フグ料理
大阪は食道楽だというが、現在の大阪はそうではないね。フグ料理は大阪では一般に普及した大衆的
が、現在の大阪はそうではないね。フグ料理は大阪では一般に普及した大衆的な食べ物だ。ジャンジャン横丁的なフグ料理屋すら
ようなものが、実は一番うまいのかも知れない。大阪で一番美味を味っているのは、あまりゼイタクのできない人たちであるか
ドカドカやっているキャバレーだ。コンパという店名であった。大阪は妙なところで、メトロのようにバカバカしく華美な装飾を施したのがある
なのは、とても東京では見かけることができない。しかし大阪には、こういう殺風景なのがタクサンあって、コンドルも殺風景だし、OK
気がするな。それが北海道の山奥にはなくて、大阪の目貫きの街にあるんだね。するとつまり、大阪には北海道の
の目貫きの街にあるんだね。するとつまり、大阪には北海道の山奥に住むのが然るべきようなゴールド・ラッシュ派の山男的存在が
横丁ごときには、てんで驚かないのだからね。イヤ、大阪出身、北海道の山奥みたいなところが、たしかに、あるね。ゴールド・ラッシュの夢を
北海道の金鉱区にかぎったことではないのだね。大阪が一面そういう町なのだ。金鉱町はバラックであるが、大阪という
そういう町なのだ。金鉱町はバラックであるが、大阪という町にも、表通りはとにかくとしで、どこかしらにゴールド・ラッシュ的山男人種の
だのジャンジャン横丁だのキャバレーだのと、ロクでもない大阪ばかり見物し、会見した人物といえばお嬢さんだけとは怪しからん、と
私も大阪のしかるべき代表的名士に三四会見を申込んだが、一応は承諾したのち、
さん方だけであった。そういう次第なのである。大阪のお嬢さん方は、巷談師安吾の如きにはビクともしないのである
な軽い気持で、実に彼女らは天真ランマンですわ。大阪の実業家だの名士というのは、やっぱり二流だね。一流の魂があれ
また、大阪では、あやしい所を遍歴するたび、警察の人にまちがえられて、大いに困っ
予定では、大阪といっしょに神戸もまわる筈であったが、時間がなくて、まわることが
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道頓堀罷り通る
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ないかね。相互に良識を信頼し合うという表情は大阪市には見られない。ただ取締りと号令で、街の表情は戦時めき怖るべき
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同人雑誌の院外団格のようなおとなしいお嬢さんである。戦争中鹿児島へ疎開して、女学校三年生の三月ばかり前田純敬先生の授業を
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の優越によって日本を否定します。桑原武夫先生はじめ京都のお歴々は主としてそうだ。
東京を否定せずに日本を否定します。東京に対する京都の優越はないからだ。何よりも自分の優越がないのだ。国境
京都の学者がそうである。東京を意識しすぎ、対立感をもちすぎる。
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予定では、大阪といっしょに神戸もまわる筈であったが、時間がなくて、まわることができなかった
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送られてくるが、本社から直接来るのじゃなくて、東京支社から送られてくる。おまけに伊東の宛先の新番地が大マチガイと
たという記事をデッチあげた朝日の記者にしても、東京にいて考えると記者の心理分析だのそこまで追いつめられた事情などゝ
でもやろうという大コンタンは、とにかく大阪のものだ。東京の方から遠く望見していただけでは想像のつかん何かが
どうかね。大阪の人間は勝手に歩かせておくと、東京のメクラのように衝突してケンカして仕様がないのかなア。ちょッと
の競輪場が、全然木造ばかりだなア。今は取り払われた東京の盛り場の最悪のマーケットよりも汚らしい飲食店が並んでいたり、どっちを見
目的以外の行楽精神の発露による遊山客が多いらしい。東京方面の競輪場にもこういう遊山客はいるけれども、その人数に於て
知らない土地の選手については特にいい加減であるが、東京附近の選手でも、手近かな資料だけで大ザッパに間に合せた
名鑑の選手の実力鑑定はいい加減で、関西や九州四国など東京人の知らない土地の選手については特にいい加減であるが、東京附近
誤植だらけの競輪雑誌などは意味をなさないのである。東京発行の選手名鑑の選手の実力鑑定はいい加減で、関西や九州四国など東京
、選手名鑑などを取り寄せて熟読ガンミしたことがある。東京の競輪雑誌は誤植がひどい。一頁に誤字がいくつあるか見当がつか
として厳正をきわめるらしい。損をしても諦めやすい東京人とちがって、大阪人は競輪雑誌や名鑑を基に車券を買って
。碁将棋会所が軒なみに溢れたっているような風景も東京には完全にない。いずれも労働者たちであるが、金十円という
大阪通は一人もいない。案内役の徳田潤君は、東京の大通であるが、大阪は殆ど知らないのである。仕方がないから
私が上京のたびに泊る小石川の「モミヂ」は今の東京では第一線の旅館なのだろう。毎晩玄関前へ集ってひしめいている高級
こと旅館に関する限り、東京と大阪はアベコベのようだ。江戸ッ子は保守的で渋好みであるが、そう
と私が云うと、これに対する彼女の答え。これを東京の言葉に飜訳するとこうなる。
、三人前でございますね、と云うだけであろう。東京式の理にかった言い方で、理由も知らずに、
東京にはこんな時にこんな返事の仕方はない。ハイ、かしこまりました、と
東京の罵言が紋切型であるのに比べて、大阪のは、その物、
エゲツないことを言い易いのも、このせいかも知れない。東京の言葉は理づめで、断定的であるから、エゲツないことを云うと的確に
言い廻しのややこしい敬語で云うから、エゲツナイことは確かだが、東京の言葉の世界では現すことも感じとることも出来ないナンセンスを現す。その
大阪へつくと大雪。実は東京がさらに大雪だった由であるが、そういうこととは知らないから雪
一人酒量のほどは分らなかったが、しとやかの点では東京軍惨敗。
て男子以上の飲ン平というお嬢さんは、私も東京に二人知っている。文藝春秋に一人。新潮に一人酒量のほどは分ら
負けまい、と考えることは二流人の自覚でしかない。東京の人間は大阪に負けないなどゝ考える必要は毛頭ないのである。もっとも
最善をつくせば足るものであるが、東京はこうだ、東京に負けまい、と考えることは二流人の自覚でしかない。東京の人間
。人生は己れの最善をつくせば足るものであるが、東京はこうだ、東京に負けまい、と考えることは二流人の自覚でしか
大阪にミジメなものがあるとすれば、東京に対する対立感が強すぎることだ。人生は己れの最善をつくせば足る
志すと、東京を否定せずに日本を否定します。東京に対する京都の優越はないからだ。何よりも自分の優越がないの
ことだ。そこで彼らが優越を示そうと志すと、東京を否定せずに日本を否定します。東京に対する京都の優越はない
京都の学者がそうである。東京を意識しすぎ、対立感をもちすぎる。学問や芸術に国境はないの
大阪にミジメなものがあるとすれば、東京を意識しすぎるということだけだ。それは己れを二流にするだけに
は大阪だけとは限らない。百花園千歳のF子嬢は東京の下町娘だが、アラレもないことを口走ることでは代表選手の趣き
と徳田君が東京へ戻って、まだ冷汗をかいてるような顔をしたが、誰だ
てコンドルという織田作にゆかりのバーへ立ち寄ったが、東京の娘だと肩を怒らして堅くなるようなこういうところへ来ても
の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ることのできない混雑である。盛り場はいくつもあるが、なん
心斎橋や道頓堀界隈にはバアというものがないようだ。東京の飲んだくれは小料理屋で一パイのんでバアかなんかで洋酒で仕上げをする
必ずしも美味ではないのである。街々には、まだ東京には復活しない甘栗があった。食べてみると、昔と同じの
も知れないが、名の知れた店ではあるらしい。東京のフグ料理とは比較できない不味である。第一にフグの品質が
広さの目立つこと夥しい。こういう殺風景なのは、とても東京では見かけることができない。しかし大阪には、こういう殺風景なのが
が、なんとなく、なつかしいや。しかし、この店などは東京で云うと、どういう種別にはいるのだろう。やっぱり、バアかね。バア
魂があれば、巷談師ごときに怖れるところはなかろう。おそらく東京だったら、私が会見をもとめた政治家や実業家は悠々と会うかも知れ
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がある。劇場だのウマイ物屋が並んでいて、浅草と同じようなところである。道幅は五六間。人の賑いでゴッタ返し、
屋さんの芸名。そのオカミサンのやってるオコノミ焼き屋で、浅草の芸人たち愛用の安直な店。
浅草の「染太郎」では、よく「ホルモン焼き」というものを食わせる。
そこでホルモン焼きを食う人はみんなムシャぶりついてしまうらしいね。浅草の染太郎と大阪のジャンジャン横丁を周遊してごらんなさい。一方は畳の上
で一度の食事ができるのである。労働者の天国だ。浅草が安いたって、とても、こうはいかない。ジャンジャン横丁には碁将棋会所が
ふざけた外題とは大ちがいのクスグリの一ツない大悲劇。浅草の即製品の軽演劇役者とちがって、曾我廼家式に年期を入れているらしく
昔、吉原だの浅草の遊女屋が、西洋風に改築するのが流行したことがある。外側は
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驚くべき一劃である。飛田遊廓なるものの広さが、銀座四丁目から八丁目まで東西の裏通りもいれてスッポリはいりそうな大々的な区域で
戦後の日本では、たとえば銀座の一流店と場末の裏店と飲食の値段が殆ど変らないというのが
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誰に隠すこともなく、これ見よがしの淫売風景大陳列場。上野の杜とちがって、飲食店であり旅館であるから、逃げ隠れのコソコソという
山本篤子 上野音楽学校卒業。松阪屋文化教室の先生。