フランケンシュタイン 02 フランケンシュタイン / シェリーメアリー・ウォルストンクラフト 宍戸儀一
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て、そのあいだに何里も歩いたりしたあとで、ストラスブールに着き、そこで二日クレルヴァルを待ち合わせた。クレルヴァルはやって来た。
私たちはストラスブールからロッテルダムまで、ボートでライン河をくだり、そこからロンドンへ渡航することに相談
の美しい都会を見た。マンハイムには一日滞在し、ストラスブールを立ってから五日目にマインツに着いた。マインツから下流のラインの河筋
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て、歩きつづけた。雷鳴はサレーヴ、ジュラ山脈、サヴォアのアルプス等にこだましたが、その電光の鮮かなひらめきは私の眼をくらませ
白い輝かしいピラミッドと円屋根が群山の上にそば立っている大アルプスのおかげで、よけいに荘厳に見えた。
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焼きつくす火のなかにあるような気がする。ギリシアやローマの男らしい英雄的な詩とは、なんと違っていることだろう!
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ドイツとフランスを訪れた。最初の子である私は、ナポリで生れ、赤ん坊のまま両親の漫遊に伴れられていった。数年間は子どもと
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ば、六年は夢のように過ぎ去ってしまったが、インゴルシュタットへ立つ前に父と最後に抱擁したあの同じ場所に私は立った。
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の多い島々を過ぎ、いくつかの美しい都会を見た。マンハイムには一日滞在し、ストラスブールを立ってから五日目にマインツに着いた
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こういう苦痛にみちた精神状態で、私はローザンヌに二日滞在した。私は湖を眺めた。水面は静かで、あたり
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「フェリクスは逃亡者を案内してリヨンに行き、モン・スニ峠を越えてイタリアのリヴォルノ市に出、そこで商人は、トルコ領のどこか
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私の生れはジュネーヴで、私の家柄はこの共和国でも指折りの一つだ。私の先祖は
にし、友人の埋葬を済ませてから、その娘をジュネーヴに伴れて行き、それをある親類の保護に託した。この出来事があって
生活を切り上げて、自分の故国に定住した。私たちはジュネーヴに家をもち、市から一里ばかり離れた湖の東岸のベルリーヴに別荘を
な友情のきずなで結ばれた。アンリ・クレルヴァルは、ジュネーヴの商人の息子で、珍らしい才能と空想をもった少年だった。冒険的事業
起ったのは、ふしぎとおもわれるかもしれないが、ジュネーヴの学校できまりきった教育の課程を踏んでいるあいだにも、自分の好き
――訳註)の大学に入れることに決めた。それまでジュネーヴの学校に通っていたが、父は私の教育をしあげるために、私
こんなふうにして二年過ぎたが、そのあいだ一度もジュネーヴに帰らず、やろうと望んでいるある発見の探求に、心身をあげて没頭
ので、その態度がずっと上品ですし、ずっと道徳的です。ジュネーヴでの召使は、フランスやイギリスでの召使と同じことを意味してはおり
「さてヴィクトル、あなたはきっと、ジュネーヴの善良な人たちに関するささやかな噂話が聞きたいでしょう。あのきれいなミス・
あなたのお好きな学校友だちルイス・マノアールは、クレルヴァルがジュネーヴを離れてから後、いろいろ不しあわせな目に会いました。けれども、もう
ことに没頭しているうちに、夏が過ぎ、私がジュネーヴへ帰るのはこの秋の終りときまったのであったが、いろんな出来事の
「すぐジュネーヴへ帰る。だから、いっしょにそこまで行って馬を頼んでほしいんだ。
うちに、だんだんおちついてきたので、私はまた、ジュネーヴへ向けて旅を続けた。
ジュネーヴの近郊に着いたときには、すっかり真暗であったが、町の門が
殺人のおこなわれた晩は、エリザベートの許しを得て、ジュネーヴから一里あまりの所にあるシェーヌ村の叔母の家で過ごした。その帰り
閉まり、それ以後湖に残ることができないことには、ジュネーヴの城壁の内に住んでいた私はすっかり閉口していた。それが
わたしの旅も終りに近づき、それから二箇月後にはジュネーヴの郊外に着いた。
夜が明けたので、私は休息もしないでまっすぐジュネーヴへ帰った。私は、自分の心のなかでさえ、私の気もちを言い表わす
ジュネーヴへ帰ってから幾日も幾週間も経ったが、仕事にかかる元気は湧い
スコットランドに居る人から手紙を受け取ったが、この人は以前ジュネーヴに私たちを訪れたことのある人であった。自分の国の美しさを
一つの包みを持って来た。そのなかには、ジュネーヴからの手紙と、帰って来てほしいというクレルヴァルの手紙が入ってい
をたぐって、自分の全生涯を、家の人たちとジュネーヴに住んでいたころの穏かな幸福、母の死、自分のインゴルシュタットへの
エリザベートの手紙が着いてから一週間ほど後に、私たちはジュネーヴに戻った。エリザベートは曖かい愛情で私を迎えた。それでも私
私はジュネーヴに着いた。父とエルネストはまだ生きていたが、父は私かもたらし
ジュネーヴを去ってます最初にやることは、あの悪鬼のような敵の足とりの手がかり
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ダービーからさらに北に向って旅をつづけ、カンバーランドやウェストモアランドで二箇月ほど過ごした。すると今度は、スイスの山々に居るの
ようやくカンバーランドとウェストモアランドのいくつかの湖水に行き、土地の人たちにもなじみができた
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二週間か三週間経ってから、アルハンゲリスクへ向って立ち、そこで船を借りるつもりですが、これは持ちぬしに保険料さえ
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ケルンを過ぎれば、オランダの平野に出る。そこで二人は、それから先の道
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、三月の二十七日にロンドンを立ち、二、三日ウィンザーに滞在して、そこの美しい森のなかを散歩した。これは私たちの
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が、私は立ち上って、歩きつづけた。雷鳴はサレーヴ、ジュラ山脈、サヴォアのアルプス等にこだましたが、その電光の鮮かなひらめきは私の
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イングランドなるサヴィル夫人に
イングランドなるサヴィル夫人に
イングランドなるサヴィル夫人に
は、いまアルハンゲリスクから帰航しようとしている一商船が、イングランドにとどけてくれるでしょう。もしかしたら何年も母国の土を見ないか
高緯度に達していますが、今は夏の真盛りで、イングランドほど暖かではないにしても、僕がこうも熱心に到達したがって
イングランドなるサヴィル夫人に
私たちがイングランドに着いたのは十月初めで、今は二月だった。そこで、
たりしがなら、わたしは人目を忍んで歩いて来た。イングランドの荒地やスコットランドの荒野に何箇月も住んだ。言いようのない疲労と寒
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私たちはストラスブールからロッテルダムまで、ボートでライン河をくだり、そこからロンドンへ渡航することに相談を決め
美しい景色から生ずる興味を失ったが、数日後にはロッテルダムに着き、そこから海を渡ってイギリスに向った。ブリテンの白い崖をはじめて
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僕はもう、ロンドンのずっとずっと北に居るのです。そして、ペテルスブルグの街を歩きながら、頬を
はストラスブールからロッテルダムまで、ボートでライン河をくだり、そこからロンドンへ渡航することに相談を決めた。この舟旅のあいだ、私たちは、柳の
さえ聞いたことのある所も見えた。おしまいには、ロンドンの無数の尖塔、あらゆるものの上に聳え立つセント・ポール寺院、イギリスの歴史の
ロンドンはさしあたりの休息地であった。私たちは、このすばらしい有名な都会に数箇月滞在
ロンドンで何箇月か過ごしたあとで、私たちは、スコットランドに居る人から手紙を受け取っ
私たちは、三月の二十七日にロンドンを立ち、二、三日ウィンザーに滞在して、そこの美しい森のなかを
手紙には、自分がこの土地でむなしく過ごしていること、ロンドンでできた友人たちから、インド関係の仕事のことで取りきめておいた相談を
自分は出発をこれ以上延ばすわけにいかないのだが、ロンドンへ行けば、ばあいによってはいま臆測しているよりも早く、すぐまた
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脱出の好機会をつかむようなことがあっても、サフィーはリヴォルノの尼寺に寄宿生として残していってもらう、ということに話を
トルコ人は、娘の部屋に入って来て、自分がリヴォルノに住んでいることがばれたと思われるふしがある。そしたらフランス政府
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でそいつを谿底目がけてまっさきに突き落すことができるなら、アンデス山脈の最高峯までも出かけて行きたかった。そいつの頭にありったけの憎悪を叩きつけ、
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「フェリクスは逃亡者を案内してリヨンに行き、モン・スニ峠を越えてイタリアのリヴォルノ市に出、そこで商人は、
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。わたしがここに着く数箇月前までは、この人たちはパリと呼ぶ豪奢な大都会に住んでいて、友人たちに取り巻かれ、相当の資産
た。この父親というのは、トルコの商人で、永年パリに住んでいたが、わたしの知らない何かの理由で、そのとき政府
本人は監房から脱出して、夜が明けないうちにすでにパリから遠く離れていた。フェリクスは、父と妹と自分の名まえで旅券を
を口実にして自分の家を出、娘といっしょにパリの人目につかぬ場所に身を隠して、その芝居に協力してくれた
ていけるようなさまざまな計画を決めた。その計画は、パリから来た便りのおかげでやりやすくなった。
を取り決め、それから、愛するアラビア娘と別れて、大急ぎでパリに帰り、そうすることでド・ラセーとアガータを釈放してもらうことを望ん
航海は終った。私たちは上陸してパリへ行った。私は自分が体力を酷使してきたこと、これ以上旅
パリをあとにしてスイスへ向う数日前に、エリザベートからのつぎのような
「ヴィクトルさま――伯父さまがパリでお出しになった手紙を受け取りまして、とても嬉しうございました。あなた
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ことに決めた。この長途の旅に際して私たちは、エディンバラへの大道を通らず、ウィンザー、オクスフォード、マトロッタ、カンバーランド湖水地方などに寄るつもり
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ロンドンで何箇月か過ごしたあとで、私たちは、スコットランドに居る人から手紙を受け取ったが、この人は以前ジュネーヴに私たちを訪れた
はこの旅の終点に着くことに決めた。私は、スコットランドの北部山地のどこか人知れぬ片隅で、自分の仕事を仕上げることに決め
に行き、土地の人たちにもなじみができたころ、スコットランドの友人との約束の期限が近づいたので、そこをあとにして出発
に念を押した。「僕はね、自分の知らないスコットランドの人たちといるくらいなら、君の一人旅についていきたいよ。それ
友と別れてから、スコットランドのどこか遠い所へ行って、そこでひとりになって仕事をしあげようと決心
わたしは人目を忍んで歩いて来た。イングランドの荒地やスコットランドの荒野に何箇月も住んだ。言いようのない疲労と寒さと飢えに