瀑布 / 林芙美子
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そこですつかり体をこわしたので、遠い親類にあたる、千葉市の図書館の近くにある、旅館と料理屋を兼ねてゐる家へ、手伝ひかた
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てしまつた事。終戦の前に、舞田の世話で、熊谷に疎開してゐたが、こゝでも焼け出されて、終戦と同時に、
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行つた。弟の隆吉は、少年航空兵に志願して霞ヶ浦に行つてゐて、父と継母だけが残つてゐた。代書の仕事
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ほとんど父の厄介になる事もなかつたが、直吉は、牛込の若松町に住んでゐる頃、近所の喫茶店の女給だつた女を知つ
てしまつた。直吉はその頃、大学をやめて、牛込の榎本印刷の営業部の事務の方へ勤めを持つてゐたが、或日
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の厄介になる事もなかつたが、直吉は、牛込の若松町に住んでゐる頃、近所の喫茶店の女給だつた女を知つた。学生
ものを感じるのだ。妙なめぐりあひであり、あの若松町からのつながりが、今日まで、何処かで結ばれてゐたのだと不思議
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、あわたゞしい生活を送つたが、或日、久しぶりに淀橋の父のもとへ帰へつてみると、思ひがけなく、冨子の妹の里子
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を半年ほどしてたゝみ、里子の郷里である、千葉の山武郡の、N町へ戻つて行つた。貧しい家だつたので、
上京して来るなり、姉に叱られて、今日にも千葉へ追ひ返へされはしないのかと、それが心配で、押入れ
よかつた。直吉は、時々、冨子に頼まれて、千葉の里子や両親に、為替を送る手紙の代筆を頼まれたりした。
二年ばかりの兵隊生活を送つた。直吉は冨子や、千葉の、里子に感傷的な手紙を送つてゐたが、里子の筆で、
来て、暫くは里子の消息も判らなかつたが、千葉へ問ひあはせてみて、里子が何となくあいまいな職業に就いてゐる
。――直吉は戻つて一ヶ月ほどして、里子から千葉の里子の消息を聞くと、返事を貰つた。直吉からは、簡単
やうに云つた。舞田の世話になつてゐる事から、千葉で空襲にあつた事、二十年の三月九日、下町の大空襲で
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半年ばかりしてゐるうちに、直吉は召集を受けて、宇都宮の、戸祭分院の衛生兵になつて、二年ばかりの兵隊生活を送つた
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浦島太郎になりきつてゐる直吉にとつては、今宵の銀座の街は幻の街だつた。さつきの、河底の広告マンの必死の
に肌寒い夕方である。直吉はきびすを返へして、銀座の方へ歩いた。疲れてゐた。薄暗い河の上の生ける骸
かで死者を葬つてゐる毎日の、人間の営みが銀座の四辻には、一向感じられない。みんな永遠に生きてゐられるやうな
「銀座のあの場所は、人に渡るンですか?」
、寺の住職と知りあひになり、この住職の世話で、銀座に事務所を持つてゐる前田純次の仕事を手伝ふ事になつた。表向き
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中に流れてゐる。平板な敗者の安心感だけで、どの東京人の顔も、懐疑的な表情で歩いてゐるものはない。嘔吐をし
、思ひ出してゐたのだ。あんなに恋ひこがれた東京へ戻つて来ると、妙な事には、時々ノボオシビルスクの夢を見て
を尋づねて来たのよ、困つちやふわア。東京で奉公をしたいつて云ふンですけどねえ」押入れの中では、
が子守に明け暮れする里子にとつては、姉の冨子の東京での生活が羨しくてたまらなかつた。「里子、何時までも押入れに
はゆかなくて、子守ばかりさせられるのが厭で、東京で喫茶店勤めをしてゐる姉の冨子を頼つて、何処かへ奉公する
て出来やアしないのに、此のひとつたら、東京へ出てくれば、明日からでも、田舎へお金が送れるみたいな安直
「東京で何をするつもりで出て来たの?」
、里子に逢へる愉しみだけを考へてゐたのだ。東京は廃墟になつてゐると聞かされてゐたが、千駄ヶ谷のあの二階
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直吉が山の手線で、巣鴨の駅へ降りた時は四囲はとつぷり暮れてゐた。待ち合せる場所
芸者に出てゐたが 親切なひとがあつて、巣鴨に部屋をみつけて貰つて、いまは通ひの芸者になつて浅草
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「さア、此辺、何処かあるかしら……大塚まで行けば、何かあつたわね、お蕎麦みたいなものでもいゝ
まづい朝飯を食つて、直吉が大塚の駅に里子を送つて行つた時は、もう十時を過ぎてゐ
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が続いて来ると、自分の気持ちも荒み勝ちになり、浅草暮しの派手さが忘れられず、誰にともなく、また頼つて
里子から手紙が来てゐた。正月に上京して、浅草で雀と云ふ名前で芸者に出てゐるから、ひまがあつたら寄つて
―直吉はすぐその日のうちに里子を尋づねて浅草へ行つた。まだ昼前であつた。田原町で市電を降り、番地を
ほどくすねて、それを売り飛ばして、六月の或る夜、浅草に出掛け、何時か里子にここへ呼んでほしいと云はれた志茂代と
。里子の、その時のしどけない姿が空想された。浅草の花屋の芍薬を思ひ出して、直吉は友人の家の庭から、芍薬の
直吉は、それから二月位は浅草に行く折もなかつた。金もなかつたが、仕事も段々激しくなり、
ある苦労もした。あわたゞしい世の中だつたので、浅草からの追手もそのまゝになり半年もするうちには、里子は平気で
みつけて貰つて、いまは通ひの芸者になつて浅草に出てゐると打ちあけて話してくれた。芸者になつたとは云つ
も焼け出されて、終戦と同時に、舞田と別れて、浅草の以前働いてゐた家のものに出逢ひ、暫くバラツク建ての待合で
た事、二十年の三月九日、下町の大空襲で浅草も焼けてしまつた事。終戦の前に、舞田の世話で、熊谷に
直吉は、戦争中の浅草の待合で、里子が、芸者と兵隊の心中を話してくれた、なつかしい
行かなくても、もう少し、ビールを飲むのつきあつて、浅草へ行きアいゝンだらう。泊らなくてもいゝ。さつきは泊るつもりで
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してから、里子は、直吉と世帯を持つてゐた千駄ヶ谷の家を半年ほどしてたゝみ、里子の郷里である、千葉の
は外出もしなかつた。直吉は寮を出て、千駄ヶ谷の里子の処へ同居するやうになり、里子の配給なしの生活を見
なく約束しておいたとほりに、里子を連れ出して、千駄ヶ谷の友人の二階に里子をかくまつてしまつた。売れツ妓だつ
かつた。間もなく直吉は再度の召集令状が来て、千駄ヶ谷の二階借りから満州へ出征して行つた。
になつて勤めてゐる。おまけに里子は、とつくに千駄ヶ谷をたたんでゐた。直吉が戻つて来て、暫くは里子の消息も
判然り云へば、心が本当にこもらないのだし、千駄ヶ谷で家をたゝんだ時が、もうお互ひの終りだと思つて
東京は廃墟になつてゐると聞かされてゐたが、千駄ヶ谷のあの二階で、里子は、直吉の帰へりを待つてゐるものと空想
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の落ちつき先きを知ると、直吉は友人を誘つて、初めて新宿遊廓に遊びに行つた。波江に聞いた浮舟楼を探して、入口の
もなく過ぎたのだ。――冨子は間もなく、新宿の遊廓に身を沈めて、冨勇と名乗つて女郎に出てしまつ
で、三鷹の飛行機工場の庶務課へ勤めを持つた。新宿の浮舟楼にも、冨勇の思ひ出をしのんでは時々登楼した。里子
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でくれてゐたので、直吉は里子も連れて、上野へ行き、秋の広小路の賑やかなところや、松坂屋などをぶらぶら歩いて、
―その翌朝、直吉は里子と約束したとほりに、上野まで里子を送つて行つてやつた。冨子も、かへつてそれを喜んで
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ともなく忘れてしまひ、軈て日米戦争が始まり、直吉も三鷹の寮に這入つたりして、二年ばかり、あわたゞしい生活を送
手伝ふのは厭だつたので、知人の世話で、三鷹の飛行機工場の庶務課へ勤めを持つた。新宿の浮舟楼にも、
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尋づねて浅草へ行つた。まだ昼前であつた。田原町で市電を降り、番地を頼りに探して行つた。旅館とも料理屋とも
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ンだけど、本当にやつちやつたのね。兵隊さんは赤羽の工兵隊の人ですつて、お家は商売してるつて云つてた
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てしまつてゐたのだ。――直吉は省線で有楽町へ出て行つた。籍の事にこだはつてゐる里子の生活が