浮雲 / 林芙美子
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大阪、神戸を過ぎ、舞子の海辺を通過する時、にぶく鉛色に光つた海が
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よ。私、引揚げてすぐ、英文タイプを習ひに行き、丸の内に勤めを持つたの。……貴女はいま何をしてゐるの?」
ばかり雨の続いた或る夕方、春子が尋ねて来た。丸の内でタイピストに通つてゐると云ふ春子は、タイピストをしてゐると云ふふれこみ
さつそく手続きをして貰ふ事になり、帰り、丸の内の農業雑誌の編集部へ原稿を持つて行つた。
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「をばさん、満洲から引揚げたのかい?」
難い宝庫であらう。朝鮮や台湾や、琉球列島、樺太、満洲、此の敗戦で、すべてを失つて、胴体だけになつた日本は、いまで
、ほとんど朝鮮人労働者ばかりでしたが、今は全部日本人で、満洲、朝鮮からの引揚げ者に変り、アカハタ新聞が、五部ばかり、此の島へ
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「うん、そればかり心配してゐたンだ。浜松の軍の工場に勤めたのも兵隊のがれだつたが、いまから思へば
、いまから思へば、夢のやうなものさ……。浜松もやられて、それからずつと百姓をしてゐたが、よく兵隊にとら
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の両州は、とくに、日本軍の開発が多いと聞くが、中部地方は、これは山脚がすぐ海にはいつてゐるので、地勢は急峻で
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ゐた。若い医者は、比嘉といふ名前で、先代は琉球の生れだと云ふ事である。或日、近所のラジオの音楽に耳を
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のださうです。その次に日本地図を見せられて、四国は何処かと聞かれた時、あいつは、九州をさつと指差したのだ
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二階の窓からは、幕を張つたやうに、大きい桜島が見え、桜島は雨で紫色に煙つてゐた。
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なつてゐる。ゆき子は、このまゝまつすぐ東京へ出て、富岡を尋ねてみようかとも思つた。富岡は運よく五月に海防を発つ
、確かめられるわけのものでもない。船が着くなり、富岡のところへ電報も打つた。三日間を引揚げの寮に過して、調べが
の故郷へ発つて行くのだ。三日の間に、富岡からは返電は来なかつた。これが逆であつてみても、同じ
を尋ねてみようと思つた。焼けてさへゐなければ、富岡に逢へるまで、まづ伊庭の処へ厄介になつてもいゝのだ。厭
へ残つたのは、富岡とゆき子だけであつた。富岡は、二階の中央にある東側の一番いゝ部屋を持つてゐた。一番
牧田氏が急に旅立つたので、富岡のランハン行きは延びたが、五日ほどたつた或日、トラングボムから加野久次郎
富岡の道楽は釣りであつた。フイモン附近には、四つの飛瀑があり、
あつた。フイモン附近には、四つの飛瀑があり、富岡はフイモンは馴染みの場所である。加野は釣りに行く気はない。そんな悠々
て、ここまで、戻つてゐるのだつた。久しぶりに富岡に逢つた事も嬉しかつたが、思ひがけない幸田ゆき子との出逢ひは、
はつてゐた。部屋へ這入ると、女中のニウが、富岡の洗濯物を整理して、棚へしまつてゐた。にぶい動作で、片づけ
のだが、今夜は松の唸りも聞えなかつた。富岡は、松の森林を瞼に描いてみた。馬尾松の房のやうに
されてゐる、日本の杉の育ちの悪さを、富岡は、民族の違ひも、また、植物と同じやうなものだと当てはめて考へ
食事を済まして、富岡は漂然と、四キロほど離れた、マンキンへ行く気になつた。安南王
聞きながら、曲りくねつた、勾配のある自動車道を、富岡は黙々として歩いた。沿道は巨大なシヒノキや、オブリカスト、ナギや
はつと驚いたやうな表情で通り過ぎて行つた。ゆき子は富岡からわざと離れて歩いてゐる。
へ這入つて、暫く行くと、何時の間にか、富岡の歩調はにぶくなり、ゆき子と肩を並べる位になつた。ゆき子は、あゝ
が通るので、あんなに大股に歩いたのかと、富岡の考へに思ひ当つた。
。内地の習慣が、遠い地に来てゐても、富岡の日本人根性をおびえさせてゐるのだ。
いつた。加野が黙つてビールを飲んでくれる事も富岡には幸だつた。山も湖も、空も亦異郷の地でありながら
山も湖も、空も亦異郷の地でありながら、富岡は、仏蘭西人のやうにのびのびと、この土地を消化しきれないもどかしさが
て、只、この場所に坐らされてゐる心細さが、富岡には此頃とくに感じられた。貧弱な手品を使つてゐるに過ぎない
の河に流したり汽車で運んだりはしてゐるが、富岡に云はせると、伐採された木材が少しも自由に動いてないので
植物誌を書いた仏蘭西人のクレボーや、シュバリヱの著述は、富岡にとつては仲々得がたいものであり、仏印の林業を知る上には、
何でもして働く気持ちもないではなかつたが、富岡に逢つてから方針をきめたいと思つた。伊庭の荷物のある部屋でよけれ
酒の配給所に電話を借りに行つた。農林省の富岡のデスクに電話を掛けてみたが、女の声で、富岡といふ人
てゐると教へてくれた。ゆき子は思ひ切つて、上大崎の富岡のアドレスを頼りに尋ねてみる気になり、出むいて行つた。目黒の駅
ゐるやうな気がした。やつとその番地を探しあてて富岡の名刺の張りつけてある玄関を眼の前にして、ゆき子は妙に気おくれ
に、ボタンやヤマモ丶や、ユーゲニヤが点じてゐて、富岡にしても、チャンボウの森林はなつかしい土地である。二人の苦力が組に
富岡にしたところで、かうしたごみごみした敗戦下の日本で、あくせく息
ゐた。イエスの故郷が本来はナザレであるやうに、富岡は、自分の魂の故郷があの大森林なのだと、時々恋のやうに
池袋の駅で富岡に別れたが、富岡はすぐ雑沓の中へまぎれ込んで行つた。ゆき子は心細い
みようかとも考へたが、東京を去るには、やはり富岡に強く心が残つてゐる。その執着は、初めて富岡に逢つてみて
富岡に強く心が残つてゐる。その執着は、初めて富岡に逢つてみて、形の違ふものになつて来てゐたが、
ものになつて来てゐたが、ゆき子は、一応、富岡に逢へた事は嬉しかつた。それにしても、ゆき子も亦、この
それにしても、ゆき子も亦、このまゝでは、富岡の重荷になるだけだと、心の中にひそかに承知してゐるところも
富岡から、ほんのわづかな小遣ひを貰つてゐたので、ゆき子は新宿へ
妻の邦子にはない、野性な女の感情が、富岡には酒を飲んだ時にだけ、ぱあつと反射燈を顔に当てられ
軈て、十時近くになり、富岡は、
富岡は信州行きがのびて、一向に田所の処の話が埒があかなかつた
をかけてゐた。そのくせ苦労人の田所は、少しも富岡に対して迷惑がつた顔色もみせないで、仏印から戻つた孤独な自分に
なつてゐた。ビロードのやうなその樹林の帯を、富岡は忘れる事が出来なかつた。もう一度、南方へ行つてみたい。
でも渡つてゆきたかつた。家の問題も、富岡にはどうでもよかつた。このまゝ消えてゆけるものならば、この息苦し
。ゆき子は自分独りで住める部屋をみつけると、急にまた富岡に逢ひたくなつてきた。ゆき子は敷蒲団の一枚をホテイ・ホテルに買
ゆき子は遅く起きて、富岡に手紙を出しに行き、銭湯へ行つた。銭湯の帰り、駅へ行つて
何処にゐても自由にふるまへる民族性に、ゆき子は富岡にはなかつた明るいものを感じた。富岡に逢つてゐる時の胸を射す
に、ゆき子は富岡にはなかつた明るいものを感じた。富岡に逢つてゐる時の胸を射すやうな淋しさはなかつた。誤まつた
事も淋しいとも思はずにゆき子は高見に立つて、富岡を見くだしてゐる気位を示してゐた。
に生きて行くものにとつて、これだけの家族は富岡にとつては、堅固な石の中に詰められて息も出ない苦しさ
富岡は駅で十分ほど待つた。
ゆき子が、駅の廂のところに立つてゐる富岡のそばへ、肩をぶつつけて来た。
富岡は、雨の街に立つて、並樹の美しい、昔の東宮御所の方を
ながら、プラスチックの緑色のハンドバッグから、外国煙草を出して、富岡に一本取らせた。
ゆき子は別に困つた様子もなく、徳利を取りあげて、富岡の盃に酒をついだ。富岡は冷えた焼きそばの上に散らかつてゐる、
思ひきつて、富岡は、ゆき子を連れて伊香保へ行つた。伊香保へは夜更けて着いた。
、女中に手拭を貸してくれないかと云つてゐる。富岡は湯にはいるのも億くうになつてゐた。躯を動かすのも
に安南の唄を口ずさんでゐる。ゆき子は、立つて、富岡のそばに行き、並んで炬燵へ滑り込んだ。富岡はそれでも唄ひ続け
多彩な世界を見学させたものだと思ふ。――富岡は、煤けた天井を眺めながら、地図のやうな汚点をみつけて、ふつ
マルコン氏のユヱの私邸によばれた時、富岡は、庭にある樹木の名前をみんな知つてゐるかと問はれて、
樹木の名前をみんな知つてゐるかと問はれて、富岡はビンラウ樹さへも云ひあてる事が出来なかつた。リム、タガヤサン、ボウデ、
気にはなれないのだ。ゆき子は、その気持ちをうまく富岡へ表現したかつたが、富岡は、心が屈してゐる様子で、
ゐる。浴槽の中は明るかつた。ゆき子はちらと、富岡の裸体から眼を外らして窓にせまつてゐる赤土の肌を眺めてゐ
毛皮の外套を着た女が、土産物屋をひやかしてゐる。富岡は褞袍だけでは寒かつたが、がまんをして時計屋を探した。
、オメガを持つて奥へ来たので、帳場から、富岡の人品を眺めて、盗品ではないかと思つたと笑つて云つた
おせいを抱いた。おせいは、息を殺して、富岡に寄り添つて、案外、富岡のするまゝに任せて、富岡の接吻に応
は、息を殺して、富岡に寄り添つて、案外、富岡のするまゝに任せて、富岡の接吻に応へてゐたが、二階
おせいは何も云はないで、裏口へ出て行き、富岡に、「暗いから、足もと気をつけてね」と云つた。
つけてねと云つた女の言葉に、なま酔ひの富岡は、急に本能の目醒めた思ひで、また、強くおせいの腰を取
強くおせいの腰を取つたが、おせいは、富岡の手をふりほどくやうにして、狭い石段を降りて行つた。四囲は暗
ゐる。電柱のそばの明るい硝子戸を開けて、おせいは富岡の降りて来るのを待つてゐたが、富岡が降りて行くと、硝子戸
せいは富岡の降りて来るのを待つてゐたが、富岡が降りて行くと、硝子戸の中で、派手な花模様のふり袖を着
来たのか、おせいは木綿の風呂敷を拡げて、富岡のぬいだものを片つぱしから風呂敷に包みこんでゐる。
富岡はさつさと、湯気のたちこめてゐる湯殿へ這入つて行つたが、六七人
ゐたが、これもすぐ浴槽へ入つて、ゆるい速度で富岡のそばへ寄つて来た。肩肉の厚い、白い肌が、赤土色の湯
さつと上つて行つたが、大柄な立派な後姿が、富岡には、いままでに見た事もない美しい女の裸のやうに思へた
、仏印での生活がいまでは、思ひがけない時に、富岡の胸のなかに酢つぱい思ひ出を誘つた。――肉桂は昔から、
洋服をぬいだ籠のところへ行くと、並べて置いた富岡の籠のものが、何時の間にか、青い木綿の風呂敷包みになつて
ふ籠ではないのかと、四囲を眺めたが、富岡の衣類の籠は見当らなかつた。そつと、風呂敷の隅から衣類をのぞいて
をのぞいてみると、妙な事には、その包みは富岡のものがそつくり包まれてゐる。軈て富岡が上つて来た様子だつた
ゆき子は冷えこんだ足を炬燵に入れて、明日、東京で富岡と別れてからの生活を考へてゐた。池袋の生活は、この一週間
、もつとひどい憂欝さで、ゆき子は自分の避難所へ富岡を連れて戻つて来た。母屋の荒物屋へ帰つた挨拶に行くと、お
ゆき子はコオヒイ茶碗を富岡のそばへ差しのべて、自分も熱いのをすゝりながら、初めて富岡の顔
た家に坐りこんでゐる妻の邦子の姿が、現在の富岡にはうつたうしくもあるのだ。そのくせ、ゆき子に対して、深い愛情
自分の周囲に張りめぐらされた気がした。ゆき子は、富岡の住所を、おせいの亭主にわざと教へてやつた。いまごろは何処かで
逢つてゐないとなると、あれは旅の行きずりの、富岡の我まゝな一種の甘つたれだけであつたのだらうか……。
の色が本当なのよと、南の流行歌を唄つた富岡の自然のつぶやきが、自分やおせいの身に、いまふりかゝつて
その後、富岡からは何のたよりもなかつた。二人で死ぬつもりで、伊香保へ行つた事
、ゆき子にとつてはどうでもいゝのであつた。富岡に死なうと打ちあけられた時、何故、あんなに妙な臆病さになつた
人間は、さうした生きものなのであらう。ゆき子は、富岡に逢ひたかつた。ちやんと、富岡とのきづなが判つてゐながら、
へ向ふ車中での、一つの運命が、ゆき子を、富岡へめぐりあはせたのであらうか。時速四二キロの直通列車で、ゆき子は
つたりしてゐた。その汽車に、やがて、ゆき子は富岡と乗る事があらうなぞとは考へもしなかつたのだ。あれはいつだつた
の生活は、もう再びやつては来ないと思ふにつけ、富岡の皮膚の感触がたまらなく恋しかつた。贅沢さは美しいものだと云ふ
つては、絶好の狩猟地でもあつた。ゆき子は、富岡との散歩で、よく狩猟家の自動車隊に行きあつたものであつた。
、高田馬場の錻力屋のバラックの二階を借りた。ずつと富岡には逢はなかつた。駅の近くで、電車の地響きが耳につくところ
が耐へられないやうな気がした。二度ほど富岡に電報を打つてみたが、富岡からは何の音沙汰もない。ゆき子
た。二度ほど富岡に電報を打つてみたが、富岡からは何の音沙汰もない。ゆき子は思ひ切つて、五反田の以前の富岡の
の音沙汰もない。ゆき子は思ひ切つて、五反田の以前の富岡の家へ尋ねて行つてみたが、今では表札も変り、出て
ゆき子は思ひ切つて、かつたるい躯を押して、富岡の新住所へ尋ねて行つてみた。思ひのほかの大きな石門のある家で
にはおせいの紫めいせんの単衣や、シュミーズや、富岡の浴衣の寝巻がぶらさがつてゐた。観音開きのダイヤガラスのはいつた
のだと思つた。富岡は本当にゐなかつた。富岡のものらしいと云へば、男物の浴衣だけである。
どうしても五六千円の金がかゝる様子であつた。富岡に別れて以来、ゆき子は、日がふるにしたがつて、富岡へ対し
音や、蝉の音を聞きながら、ゆき子は、三宿の富岡の部屋の事を考へてゐた。
会社に勤めを持つてゐると云つたが、もう一度、富岡には、農林省へ戻つて貰つて、何処でもいゝ地方の山の
手紙を出してから、五日ばかりして、富岡から五千円の為替を封入して、君に逢ふのも、もう二週間ほど
の男が、獄に投じられてゐると思ふのは、富岡にとつて、あまりいゝ気持ちのものではない。向井清吉のしよんぼり
その子供に逢ふ事もないだらうと思ふにつけて、富岡の荒さびた気持ちのなかに、その思ひ出は、郷愁をそそつた。
ゆき子は、そこへへたばるやうに坐つて、富岡に云つた。富岡は変化のない白けた表情で、
ゆき子は、富岡のそばへ行き、机の原稿をのぞきこんだ。
も違つた世界へ引き戻されたやうな日本の生活が、富岡には味気なくなつてくるのだ。海の外へ出てみたい想ひは、
富岡は三軒茶屋まで歩いて映画館へ這入つた。銀座三四郎といふのをやつて
の筋が少しもつじつまがあはない。退屈して、富岡は映画館を出たが、まだ四囲は仄々と明るかつた。
割に厚化粧をした中年の女が、あいそよく、富岡に自分の小さい座蒲団を椅子へあててくれた。
てゐる。ゆき子は、何時か、おせいの部屋で、富岡から見せられた農業雑誌を思ひ出してゐた。すぐ、をばさんに頼んで、
二回ばかり、富岡のところへ、娘は金を取りに来た事もある。――富岡は
そのどれもが、富岡には向かなかつた。火の気のない、寒い部屋に寝ながら、富岡は、
、老母が邦子の病気と、窮乏をうつたへて、富岡の部屋へ尋ねて来たりした。
ジャケツを着て、黒い洋袴をはいたゆき子は、みすぼらしい富岡を眺めて、初めは気をのまれたやうに、暫く、ものも云へない
この女との辛酸をなめた昔の思ひ出の数々が、富岡の荒凉としたハートをゆすぶつた。何も云へない気がし
を渡つて、こゝに行きついた人間の、卑しさが、富岡には苦味いものでもあつたのだ。人間は、単純なものであつ
、惜しい気もしたが、気前よく、新聞に包み、富岡の座蒲団の下へ押し込んだ。富岡は眼で感謝した。
、石油色の寒々とした空が透けてゐた。富岡の貧しさが、哀れでもあつたが、生活力のなくなつてゐる男へ
女の最後のあがきのやうな気もして来て、富岡にだけは、その愛情が安らかに求められる思ひがした。昇騰する心の
死者の思ひ出を、一切合財吹き払つてしまつた。富岡にとつて妻の邦子は、長い間他人であつた。おせいへの思ひ出
と、駅のそばの飲み屋の娘が来てゐて、富岡の蒲団にくるまつて雑誌を読んでゐた。
平凡な生活だとあなどつてゐたその当時の生活が、富岡には、いま一番自分でも美しい時代だつたと思はないではゐられない
だが、富岡には、いまはこの娘も、うるさい存在であつた。
もぎとるやうな、強い気持ちで、ゆき子は、まづ、円タクで富岡のアパートを尋ねたが、気の狂つたやうな、をかしな娘にあつて、
、をかしな娘にあつて、ゆき子は気が変つた。富岡のアパートを出て、待たせておいた円タクに乗つて、ゆき子は品川駅
もいゝのである。ゆき子は、外套もぬがないで、富岡のところへ、すぐ電報を書いて打たせた。
蜜柑を買つて宿へ戻つた。どうしても、富岡に来て貰ひたくて、ゆき子は、また電報を書いて女中に頼んだ
に寝て、ごうごうと木枯しの音を聞いてゐると、富岡への思慕が火のやうに激しく燃えたつて来る。夜半に二三度起きては
、じいんとしびれてきた。酔つて、洗ひざらひ富岡に毒づいてやりたかつた。ゆき子は、その酔ひのなかで気がつく
富岡は、高池町の林業試験場へ行くよりも、南の果ての孤島である、屋久島
た。たゞ、原生林の屋久杉の産地といふだけしか、富岡には判つてゐないのだ。
ゆき子は、富岡のそばへ這ひ寄つて行くと、富岡の胸に顔をつけて云つた。
ゆき子は、富岡のそばへ這ひ寄つて行くと、富岡の胸に顔をつけて云つた。
ゆき子が、淋しさうに、富岡の胸の中で云つた。船酔ひのやうな、佗しい二人であつた。
ホームで、お互ひに笑ひ出したが、そのまゝゆき子は富岡の部屋へついて行つた。
のやうにしがみついて行きたかつた。いま、こゝで富岡と別れる位なら、品川の駅から、伊庭のところへまつしぐらに戻つて行つて
夜、遅く、富岡の処へ戻つて来る。また、明日になれば、ゆき子は荷物をかゝ
ほど、こんな生活が続いた。一週間目に、伊庭から富岡に、何処かでお目にかゝりたいが、場所を指定してくれるやうに
何から何まで、ゆき子に吐き出させてゐる卑しさが、富岡には、息苦しかつた。新聞に騒がれてゐた、二月のストライキは
汽車はあまり長くて退屈な旅であつた。富岡は退屈もしないで、よく、むしやむしやと、食ひ散らかしてゐるゆき子
てゐる。自分に遭遇する一つ一つの事柄が、富岡には、宿命的に固い扉に押しつけられてゐるやうな気がしてき
上に、夜明けの月が、白く光つてゐた。富岡は、まだ何処も寝静まつてゐる港の街の夜明けを、じつと眺めて
を打つてゐるといふ、「東京」といふ大都会が、富岡には、世界の果てのやうに遠く思へた。
富岡にとつて、東京はなつかしい土地である。おせいの事件がなかつたら、
ゆき子には耐へられないのだ。こゝまで来て、富岡と離れる位なら、東京に残つてゐた方がよかつたのだと
が、白と黒との切紙細工のやうなのも、富岡には珍しい眺めだつた。
夜の九時まで、船が碇泊してゐるのか、富岡には不思議だつた。積荷をするにしても、桟橋には、大した
ゐたが、その中の二人は、営林署の人で、富岡を迎へに出てゐる人達である。
引き被つてゐた。はしけの渡賃を払つて、富岡が白い砂地へ飛び降りた。そして、ゆき子を濡れた外套ごと抱きかゝへて
へて降ろしてやると、営林署の出迎への人は、富岡のところへ、さくさくと砂をきしませて走つて来た。
トロッコが二度、往復してゐるといふ事である。富岡の為に、小さい官舎も用意してある様子だつたが、病人がゐて
ゐられない。こゝまで流れ着いた以上は、もう、こゝが富岡の最良の土とならなければならないのだと思つた。もう、こゝまで
畳、霧を噴いたやうな板壁、何もかもが、富岡には不吉でたまらないのだ。
して、登戸に鹿児島への電報を頼み、昼頃、富岡は宿へ戻つた。
少しでも、この薬が反響したといふ事は、富岡には、嬉しかつた。富岡はすつかり疲れてしまつてゐる。夜になつ
注射針をかたづけて、富岡はしめつた煙草に火をつけて、ぷうつとまづさうに吸ひつけながら、床の間
ゐる。榕樹に似た巨きい樹のトンネルをくゞると、すぐ富岡の声がした。
昼から、富岡は、トロッコで山へ行く事になつてゐた。一晩山で泊つて
胸のポケットの名刺にある、農林技官といふ肩書が、富岡には、なにかおもはゆい。
運転手は、驚いたやうに、富岡を眺めた。眼の下は断崖絶壁だつた。羊歯に似た、ヘゴと
断崖絶壁だつた。羊歯に似た、ヘゴといふ植物が富岡には珍しい。ダラットの奥地にもこの羊歯は到るところに繁つてゐた
堺老人は、笑ひながら、さう云つて、富岡から煙草を一本貰つて、炉の火をつけた。硝子戸は、暗く
美しいビエンホアの町だ。小さいホテルで、ゆき子は、加野と富岡と、三人で、こゝへ一泊した。仏蘭西人のホテルで、メエゾン
で、ゆき子の白い靴先が、木の卓子の下で、富岡の足とたはむれてゐる。
は、自分の胸におほひかぶさつて来た、富岡の躯の重さに、息苦しくなつてゐた。
ては、夢の中にまで現はれて来る。房々とした富岡の頭髪の手触りが、いまでもじいつと思ひをこらすと、掌のなかに
林業試験所のある、トラングボムで一寸降りて、そこで、富岡と加野は、それぞれの用事を済ませて、また、自動車は、もの淋しい鉛色の
ゐる。さうして、心ひそかに、昨日山へ行つた富岡の帰りを、心待ちにして、ゆき子は全身が待つ事に集中してゐ
山の上は、珍しく土砂降りの雨だつた。富岡は、町へ降りるのを、一日のばして、事務所のストーブにあたり、山
である。遠く外地の山林を視察した事のある、富岡の思ひ出話に耳をかたむけ、ストーブの上に煮えたつてゐるやかんのなかから、
抱き伏せてしまひたいやうな、弾力のある娘の躯が、富岡には眼ざはりでならなかつた。自分でも、このやうな気持ちになつ
た。しみじみと、人間的な、気の荒さみかたが、富岡には救ひだつた。酒の酔ひが全身にみなぎり、富岡は、自分
病人のゆき子のゐない、二人の間は、富岡には、何となく息苦しくもある。富岡は、この一ヶ月すつかり、酒に
た。夕暮れの通りを、賑やかな天文館通りへ出て、富岡は、映画館の一つ一つを眺めてまはつた。狭い往来には、
やうに犇き流れてゐる。かうした文明は、現在の富岡には、うつたうしくさへあるのだ。街裏へ這入つて、
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伊豆と違つて、東京の寒さは、骨身にこたへる程の冷たさだつ
挨拶まはりに行つたり、原稿に手を入れたりして、伊豆から戻つて、二週間目に、やつと、部屋もあけて、荷をまとめ
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「今日、横浜まで送つて行つたのよオ。どうせ、ねえ、向うには奥さんもあるンで
少しも知らない様子だつた。たまに、真佐子が子供づれで横浜の実家へ泊りに行つたりすると、杉夫は早くから寝床へ就いて、ゆき子を
を考へてか、一切のいままでの生活にそむいて、横浜で自由労働者になつてゐるとも聞いた。だが、その話は、実際
模様もない。ゆき子は、伊香保のおせいのところと、横浜の蓑沢にゐると云ふ、加野のところへハガキを書いた。
ゆき子は思ひ切つて、横浜の蓑沢に加野を尋ねて行つた。ベアリング工場とか、印刷屋だのが
ゆき子だけが、横浜まで逢ひに行つてゐる。ゆき子を傷つけた加野は、ゆき子に詫びてゐた
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「赤坂へ出て、あすこから、渋谷へ都電で出てみるのもいいぜ」
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た。駅々の広告看板で、宿の名前を読みながら、長岡といふところで降りる気になり、ゆき子はそこで網棚の荷物をおろして下車
富岡が、長岡の山吹荘へ来たのは、ゆき子が四通目の電報を打つたあと
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は、雨の街に立つて、並樹の美しい、昔の東宮御所の方を眺めてゐた。この建物も、現在はどんな方面に使はれて
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「さうですか? もう、榛名山へ登つて、湖水へ飛び込むのはおやめ?」
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貰つて、平べつたくなつてゐる。新しい蒲団の上に、種子島製の鋏がのせてあつた。
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て、四国は何処かと聞かれた時、あいつは、九州をさつと指差したのださうです。学力は小学校卒業程度に見せてね。どう
の顔も、次々に変つていつた。言葉も、九州なまりになり、四囲には、二人に関聯したものは何もなくなつて
波止場には、船客相手の、果物店が並んでゐる。九州の果てに来て、果物店の林檎の山を見ると、富岡は、不思議
富岡は医者の音楽好きなのを羨ましく思ひながら、こんな九州の果てで、いゝ医者にめぐりあへた事を嬉しく思つた。ずんぐりした医者
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選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容
てくれる筈もない。――夜更けの汽車で、ゆき子は敦賀を発つた。船で一緒だつた男の顔も二人ばかり、暗いホームで見掛け
敦賀の宿で、握り飯を一食分だけ特別につくつてくれた以外は、
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のは八時頃であつた。そこから電車に乗つて修善寺へ行つてみる気になつた。駅々の広告看板で、宿の名前を読み
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が、船で聞いたところによると、芸者達は、プノンペンの料理屋で働いてゐたのださうで、二年の年期で来てゐ
二日目の夕方、牧田氏は急用で、サイゴンからプノンペンまで事務上の用事で十日ほど出張する事になつた。丁度、帰途を
「牧田さんはうまい事したなア、サイゴンとプノンペンでは、久しぶりのオアシスだね……」
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博多へ着いたのは夜更けであつた。雨が降つてゐた。
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、得難い宝庫であらう。朝鮮や台湾や、琉球列島、樺太、満洲、此の敗戦で、すべてを失つて、胴体だけになつた日本は、
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加はつた。――病院船で海防に着き、軍の自動車で河内へ出て、河内で、三人のタイピストが勤め先きを持つた。幸田ゆき子
病院船で海防に着き、軍の自動車で河内へ出て、河内で、三人のタイピストが勤め先きを持つた。幸田ゆき子は高原のダラッ卜
かつたのだ。――二台の自動車で、一行は河内を発つたが、タンノア、フウキ、ビンと走つて、最初の夜はビン
ビンと走つて、最初の夜はビンに泊つた。河内から南部印度支那のビンまでは、自動車で三百五十キロ走つた。ビンのグランド
を発つ時は、うそ寒い陽気だつたのに、海防から、河内、タンノアと南下して来るにつれて、急に季節はまた夏の方へ
てゐる様子だつた。鉱山班の瀬谷といふ老人は、河内からずつと女連の自動車の方へばかり乗り込んで、篠井春子のそばへ腰をかける
果樹に生ずる。私が、初めてマンゴスチーンを見たのは、河内の町、プラチックに近い果物店であつた。小さい柿粒ほどの大きさで、
月頃までが出さかりと云ふ事であつたが、私が河内で求めて食したのは二月であつた。ユヱのモーラン・ホテルに二
フウトウは、河内の西北にあたり、河内から離れる事一三〇粁の地で、こゝは世界にほこる
フウトウは、河内の西北にあたり、河内から離れる事一三〇粁の地で、こゝは世界にほこる漆樹園といつても
とも、せいぜい、貴方は勝手に女をつくればいゝのよ。河内のキャンプで、私は、ベラミーつて小説を読んだけど、貴方は、あの中
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浦岳、一九三五米が聳える。永味岳、黒田岳、所謂八重岳の群巒をなし、垂直的肢節の変化に富む。海抜一○○○から
てゐるせゐか、硯のやうに、けづり立つた八重岳は見えない。ゆき子は、玄関へ出て行つた都和井の、白い足裏が
富岡は、この八重岳の山容は、仏印のアンコールトムのバイヨンに似てゐると思ひ、その頃の話
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哀れで、富岡は、昔歌舞伎で観た、朝顔日記の大井川だつたか、棒杭に抱きついて、嘆いてゐた深雪の狂乱が、瞼に
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「本所の焼跡に、一杯屋でも建てたいンだが、坪二万両として
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いゝのだ。厭な記憶しかないが、仕方がない。静岡には何のたよりもしなかつたので、自分の帰りを待つて
、おはいり下さい。伊庭さんは、三年ほど前から、静岡の方へ疎開していらつしやるンですがね」
東京へ家を持つてゐる唯一の親類さきで、ゆき子は静岡の女学校を出るとすぐ、伊庭杉夫の家へ寄宿して、神田の
たい気持ちで、事がきまるまでは、伊庭夫婦にも、静岡の母にも、姉弟にも打ちあけなかつたのだ。いよいよ、仏印行き
のだが、早晩、果実の統制がはづれる様子だから、静岡へ塩を買ひに行つて、塩を信州へ持つてゆき、信州から
、別に、誰もゆき子を待つてくれる人もない。静岡へこのまゝ戻つてみようかとも考へたが、東京を去るには
煙草や、手拭や石けんがごたごたとはいつてゐた。静岡の肉親にあてた手紙も二通ほどあつた。富岡は、軈て、また
「何時、戻つたンだい? 静岡へ何故、先に戻つて来ないンだ。やつぱりゆきちやんだつたンだ
かするンだよ。それよりも、東京へ戻つて、静岡へ知らさないと云ふのはをかしいね……。或る人から手紙で知ら
「どうして、まつさきに静岡へ戻らないンだ?」
の宮の伊庭の家へ舞ひ戻つたが、伊庭は静岡に帰つて、二三日して、いよいよ東京へ引揚げて来ると云ふので
たが、少しも心は満たされはしなかつた。静岡へ戻つてみようかとも考へないではなかつたが、折角、あの
一つになつてしまつた。ジョウから貰つたラジオは静岡へ帰る時の旅費に売り払つてしまつてゐた。
なしの、部屋代が千円と云ふのが気に入り、静岡から持つて来た行李や蒲団を運びこんで、初めて人間らしい暮しに落ちついた
ゆき子は二月の終りに、一度静岡へ帰つて、肉親に逢つたが、すぐまた上京して来た。池袋
僕が入り込んだかたちになつたンだ。――君が静岡からたよりをよこした時も、帰つて新しい部屋を見つけたのも、みんな
のよりを戻してゐた。伊庭は、妻も子供も静岡の田舎に帰してしまつて、いまでは、ゆき子の為に小さい家
つた。何処といふあてもなかつたので、只、静岡までの切符を買つたのだ。
円タクに乗つて、ゆき子は品川駅に行き、そこから、静岡行きの汽車に乗つた。何処といふあてもなかつたので、只
は、寒々とした黄昏の車窓を眺めてゐた。静岡まで帰つて、実家へ行つてみようかとも考へたが、それも退屈
なかなかやつて来てはくれない。ゆき子は、何故か、静岡へ手紙を出したかつた。継母へあてて手紙を書きたかつ
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てゐる。――サイゴンは小巴里だと云はれる程、巴里的な街だと聞いて、ゆき子は篠井春子が妬ましかつた。自分も
、図々しくみだらな話をしてゐる。――サイゴンは小巴里だと云はれる程、巴里的な街だと聞いて、ゆき子は篠井春子
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に牧田氏の自動車で引きあげて行つた。牧田喜三は、鳥取の林野局をふりだしに、農林省へはいつた人物ださうで、四十
「此の間、鳥取の林野局の友人に久しぶりに逢つたら、そんな事を云つてゐた」
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「幸田君は、千葉かい?」
「あら、千葉ぢやないわ。失礼ね……」
「え、さうかなア、千葉型だと思つたンだがね。ぢやア何処?」
語らなかつたが、看護婦の牧田さんの話では、千葉あたりの小学校の教師らしいと云ふ事である。
「私、実は、千葉のものでございますが、深い事情がございまして、どうしても、
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日は過ぎたが、富岡はやつて来なかつた。長野から戻つてゐさうなものだと思ひながらも、やつて来ないところを
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「広島の大竹港へ着いて、桟橋で、キャメルの袋が落ちてましたが
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壁ぎはに寝てゐた大津しもと云ふ、四十歳近い女が、突然云つた。
大津しもは、暫く考へてゐたやうだつたが、浴衣の上に羽織を
名刺をつくらないのだと、妙な事を云ひながら、大津しもに対して、何の興味もないらしく、
大津しもは、是非、大日向教のおこもり堂に上ると云つて、伊庭から
て、元気を出さなくちやいけない。――ところで、大津しもさんと云つたかね、あの女史やつて来て、今日で三日
蔭で、机に向つてゐるのが産院で見覚えの大津しもであつた。白粉をこつてりとつけて、紺の上着に紺
は、田舎の病院にでもゐるやうな錯覚をおこす。大津しもが、ゆき子を眼にとめると、すつと立つて来て、
大津しもは、昔からそこに坐つてゐる人間のやうに、落ちついたものごし
伊庭は、大津しもと同じ黒色のゆるい上着を着て、これも眼をつぶつてゐる
が済んだと見えて、太鼓が鳴り出した。すぐ、大津しもが、伊庭を呼びに来た。
の艶もよくなり、見違へるやうに若々しくなつた。大津しもが、専造のかくし女である如く、ゆき子はまた何時とはなく伊庭
、今日も案外遅い。一時には、教会へ行つて、大津しもと事務を代らなければならない。ゆき子は、今日こそ、あの金庫の
はいて、教会へ行き、大津しもと事務を代つた。大津しもは、今日、教主と二人で熱海へ行く事になつてゐる。ゆき子
は雪道を、伊庭の長靴をはいて、教会へ行き、大津しもと事務を代つた。大津しもは、今日、教主と二人で熱海へ
ゆき子にとつては、相当手ごたへのある金であつた。大津しもは、ちやんと計算して、教主と伊庭に報告してゐるので、
大津しもは、これからも厚化粧をして、あの金庫の前に、でん
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、もう二つばかり仕事があつたが、一つは、和歌山の高池町にある林業試験場へ、技師として勤める口であつた。
。高池町の林業試験場が、気がむかなければ、同じ、和歌山の伊都郡九度山町の、高野営林署にも、君の行くポストはあると、
いつそ、また、官吏に逆もどりするのならば、和歌山の高野山あたりに行くよりも、屋久島がいゝと思つた。地図を見る
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「鹿児島から、船に乗つて行くンだ。屋久島といふ、国境の島だ
二人は疲れてゐたが、すぐ、鹿児島行きに乗り替へた。もつと疲れ切つて、何も彼も麻痺し
鹿児島へ着いたのは、朝であつた。土砂降りの雨であつた。輪タク
ハガキを買つて、富岡は松井田の両親へあてて、鹿児島まで来て、船を待つてゐる音信を書いた。広い郵便局は、割合
来てもいゝンだ。何をするにしても、鹿児島は都会だし、便利なところだ」
「種子島で降りる位だつたら、鹿児島の方が便利だよ。此の次の船で、どうしても都合が
の姿が、はつきり見えたが、服装は、東京も鹿児島も変りはない。若い女は、このごろ流行の赤いジャケツを着てゐるの
来た。明日、山へ登る事にして、登戸に鹿児島への電報を頼み、昼頃、富岡は宿へ戻つた。
か、割合さつぱりした縞木綿の蒲団が敷いてあり、鹿児島で買つた毛布が、敷布になつてゐた。畳はふちのない坊主
三里二十七町、と云つてをりますかな……。鹿児島から、九十七哩離れてをるさうです。安房の町はぬくいところですが、
ほどのトロッコへ乗つた。丁度明日入港する船で、鹿児島へ帰る学生と、カヂをとつてくれる樵夫の若い男とで、トロッコ
な方法が書かれてゐた。のぶは、これから、鹿児島に出て、かうした医者にかゝるには、どの位の金がいる
出てみた。雨の少ない、からりと乾いた春さきの鹿児島は、まるで別世界である。まづ、富岡は、以前泊つた宿に着いた
た。富岡は、一週間程の休みをとつて、鹿児島へ出てみた。雨の少ない、からりと乾いた春さきの鹿児島は、
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。ゆき子がゐなければ、富岡は、一日位は、京都へ降りてみたいところである。
京都には朝着いた。ゆき子がゐなければ、富岡は、一日位は
ゆき子は持ちつけない金を持つたせゐか、京都でもホームに降りて、食ひ物を買つて来た。車窓へ乗り出して
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大阪、神戸を過ぎ、舞子の海辺を通過する時、にぶく鉛色に光つた海が、
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との生活の思ひ出が、ずたずたに切り裂かれてゐた。熊本で雨が少しばかりやんだ。車中の顔も、次々に変つて
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事だつた。独身のせゐか非常に若く見えた。福岡医大を出てゐる事も知つた。音楽が好きで、電蓄も自分
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ある事ではなくなつてゐる。ゆき子は、このまゝまつすぐ東京へ出て、富岡を尋ねてみようかとも思つた。富岡は運よく
ゆき子は気が変つて来た。ゆき子は、まつすぐ東京へ出て伊庭を尋ねてみようと思つた。焼けてさへゐなければ、
、じいつとその派手なつくりの女を見つめた。かつての東京の生活が、根こそぎ変つてしまつてゐる。
東京へ着いたのは、翌日の夜であつた。雨が降つてゐた
であつたが、杉夫には妻も子供もあつた。東京へ家を持つてゐる唯一の親類さきで、ゆき子は静岡の女学校を
東京を発つ時の、伊庭の家での事や、友人達との壮行会
東京を発つ時、杉夫が、仏印がいゝところだつたら、俺達も呼んで
「東京ですわ……」
「東京? 嘘つけ。東京生れには、幸田君のやうなのはないよ。あれば、葛飾、
「東京? 嘘つけ。東京生れには、幸田君のやうなのはないよ
「さうかなア、東京かなア……。江戸ツ子にしちやア訛があるよ。幸田君は
出して来て、栓を開けた。加野は富岡と同じ東京高農の出で、先輩の富岡と安永教授の引きで仏印へ森林業
「どうせ、東京へ出て来ると思つた」
静岡へこのまゝ戻つてみようかとも考へたが、東京を去るには、やはり富岡に強く心が残つてゐる。その執着は
てくれれば何とかするンだよ。それよりも、東京へ戻つて、静岡へ知らさないと云ふのはをかしいね……。或る
。私ね、結婚するつもりで、今度、それで先へ東京へ来たンです」
「うん、三四日泊つて、一寸、あつちこつち東京の友人も尋ねたり視察したりして、帰るつもりだ。一緒に戻つて
が、伊庭は静岡に帰つて、二三日して、いよいよ東京へ引揚げて来ると云ふので、六畳の茶の間と、四畳半の
。汚れた軸の山水から風が吹きあげてゐる。今朝の東京の、御所の雨が心を掠めた。
た。富岡は馬鹿々々しいと思ひながらも、亦、東京へ戻つてからの現実を考へると、落莫とした感情が鼻につい
「旦那はずつと東京ですか?」
の女房と、こんなところに家を持つたンです。やつぱり東京へ戻りたくて仕方がねえンでさア。自分は魚屋が本業なンです
夕方、二人は、勘定を済ませて、東京へ帰るつもりで、バーへ寄つてみた。客は運転手らしいのが二人
「二年ばかり。ねえ、私、東京へ行きたいのですけど、もう、こんな淋しい処は飽々しちやつた……
う? あのひとにダンス習つてンですけど……。東京でもダンスなら食べてゆけるつて云ふもンですから、私、やつてみたい
、私、魚屋つてきらひだから……。一人で東京へ行つて、私、ダンサアになりたいンです。いま、さつき戸口で逢つ
駄目ですよ。あのひとも、とてもこれぢや駄目だから、東京へ行つて、またもとの商売にとりつかうかつて云ふンですけどね
行きたいわ。とても、あのひと、うるさくて、私、仲々東京へ出られないンです……」
「でも、やつぱり東京へ行きたいわ。とても、あのひと、うるさくて、私、仲々東京へ出
亭主はもういい気持ちになり、鼻水をすゝりながら、東京へ出て一旗あげたい話をしてゐる。
三日ばかり、富岡達は厄介になつたが、ゆき子は東京へかへるのを急ぎ始めた。女の敏感さで、ゆき子は、おせい
ねえし、仲々、これで今日、容易な事では、東京住ひもむつかしいつて聞くンだが……。と云つて、何時までも、
ゐる。ゆき子は冷えこんだ足を炬燵に入れて、明日、東京で富岡と別れてからの生活を考へてゐた。池袋の生活は、
二人は、五日の夕方東京へ戻つた。
東京を去る時よりも、もつとひどい憂欝さで、ゆき子は自分の避難所
渡しておいた。おせいの心づくしの新しいパンツをはいて東京へ戻つて来たが、それはまるで他人事のやうでもあつた。
。富岡の酒の習慣が、宿命のやうにも思へる。東京も案外寒かつた。
気持ちは、その気だつたから行つたのさ……。東京へ戻つたのは、生きて、何とかなるかも知れないと思つ
、ゆき子を尋ねて来た。おせいは、ゆき子達が東京へ戻つて行つた翌朝、身一つで家を出てしまひ、いまだに
「あら、あなた、東京に出て来てゐたの?」
よ。富岡さんは、田舎の方にいらつして、東京に足溜りがないから、こゝでお泊りになるンだけど、私、その
借りる為に、父の古ぼけた外套を着て、朝早く東京へ出て、ゆき子の手紙の住所を頼りに尋ねてみた。伊庭の
富岡が東京へ戻つて来たのは、晴れた日であつた。部屋へ這入ると
をおろして下車してみた。夜更けのせゐか、東京の郊外を歩いてゐるやうな、平凡な町であつた。年寄りの宿引き
、頼みに行くよと云つて別れたが、富岡は、東京でまごまごしてゐるよりも、いつそ、思ひ切つて、もう一度、山の
五六年も暮せる人ぢやない。一年に一度位は東京へ来られるだらうから、その時は、また逢へるが、当分、出来る
、一緒の電車に乗り、三島へ出て、それから、東京行きの汽車に乗つた。
伊豆と違つて、東京の寒さは、骨身にこたへる程の冷たさだつた。ぐわうぐわ
富岡は、東京を去る日まで、まだ、ゆき子を何とか残して行きたいと考へて
なかに、いろんな誤解が生じて来るのも、この現代の東京生活であつた。
てきてゐた。一種の観念だけでは、富岡は東京で生活するのはむづかしいと思つた。自分の生活のなかに、いろんな誤解
二人が、東京を発つたのは、二月の中旬であつた。夜汽車に乗つた
長い旅路でもあつた。東京を遠く離れてみると、伊庭との生活の思ひ出が、ずたずたに切り裂かれ
。この女も東京へ電報を打つてゐるといふ、「東京」といふ大都会が、富岡には、世界の果てのやうに遠く思へた
ゐるのを眼にとめて、なつかしくなつた。この女も東京へ電報を打つてゐるといふ、「東京」といふ大都会が、富岡に
富岡にとつて、東京はなつかしい土地である。おせいの事件がなかつたら、かうした、自殺
ないのだ。こゝまで来て、富岡と離れる位なら、東京に残つてゐた方がよかつたのだと、ゆき子は、今度
の一人一人の姿が、はつきり見えたが、服装は、東京も鹿児島も変りはない。若い女は、このごろ流行の赤いジャケツを着て
ないのではないかと思へた。だが、このまゝ東京へ戻つたところで、希望的なものがあるわけでもないのだ。
もね、こんなところへ来なくてもいゝんだが、東京で乞食をする気はないからだよ……。芸は身を助けると
ぢやア食べられないからね。君こそ、少しよくなつたら、東京へ戻れよ……。えゝ?」
「そりやア、東京ぢやア食べられないからね。君こそ、少しよくなつたら、東京へ戻れよ…
、新聞紙を張つた板壁には耐へられないのだ。東京へ戻れば、あらゆる文明が動いてゐる。だが、池袋のあの物置小舎
、薯焼酎の臭いのにもいまは馴れてゐた。東京で飲む焼酎と違つて、頭にもこなかつたし、舌ざはり
、不憫でいとしくもあるのだつた。これでは、東京で、自動車に跳ねとばされるのと、何も変りはない。長く患つて亡く
にも忍びないのだ。それかと云つて、いまさら、東京に戻つて何があるだらうか……。
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、翌日の夜であつた。雨が降つてゐた。品川で降りると、省線のホームの前に、ダンスホールの裏窓が見えて、暗い
を求めなければならないのだと思ひ、ふつと、品川の駅で見たダンスホールを思ひ出してゐた。何と云ふ事もなく、
で絞殺。品川台場派出所に自首して出た。――品川署の調べによれば、向井は伊香保温泉で酒場をやつてゐる時、
内縁の妻、谷せい子(二十一)を呼びよせて、手拭で絞殺。品川台場派出所に自首して出た。――品川署の調べによれば、
品川の警察で逢つた時、清吉は、何処で暮すのも同じですよ。
連れて戻るより仕方もないと考へてゐた。二人は品川で降りた。
たかつた。いま、こゝで富岡と別れる位なら、品川の駅から、伊庭のところへまつしぐらに戻つて行つてゐる筈だ。
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学校を出るとすぐ、伊庭杉夫の家へ寄宿して、神田のタイピスト学校へ行つた。杉夫は保険会社の人事課に勤めてゐて、実直
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た古傷に、さはられたやうな痛さである。赤羽の工兵隊に召集されて、南京攻略に行つた時の、あの憂欝
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を頼りに尋ねてみる気になり、出むいて行つた。目黒の駅を降りて、切通しの下を省線の走つてゐる道添ひに
ゆき子は、目黒の駅には反対の方向へ歩いた。焼跡の昏い雑草の原にこまかい
えゝ、いゝわ。そんな事はいゝンだけど。やつぱり、目黒の、あの部屋にゐるの?」
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と誰かに聞いてゐたのを思ひ出して、富岡は池袋へ行つた。煎餅のやうな生木の薄いバラック旅館が、いくつも建ちかけ
みたが、ゆき子は何処も知る筈がない。このごろ、池袋に小さい旅館が出来てゐると誰かに聞いてゐたのを思ひ出して
池袋の駅で富岡に別れたが、富岡はすぐ雑沓の中へまぎれ込んで行つ
のひとが尋ねて来ましたと報告した。明日、池袋のほてい商会まで、お出で願ひたいと、云ひおいて戻つたと聞いて
ほてい商会と云ふのは、池袋で泊つたホテイ・ホテルの事だつた。富岡は一寸厭な気がし
ゆき子は、ふつと、池袋のホテイ・ホテルの事を思ひ出して、このまゝ伊庭と鷺の宮へ戻
「ぢやア、私は、池袋に泊るところがあるから、そこへ行くわ」
千円の金はどうしても取らないと云つて、池袋の駅で、無理矢理突つ返されてしまつたが、ゆき子が、泣き
池袋の宿屋の払ひも長く続くわけではなく、ゆき子はまた、鷺の宮
今度は、伊庭の蒲団包みを近所の運送屋に頼んで、池袋のホテイ・ホテルに運んだ。留守の人達は別にとがめだてもしなかつた
池袋の旅館で、蒲団包みを開くと、なかから伊庭の褞袍や、かなり古い
ゝア、そんな階級の女なのだなと、ゆき子は池袋の自分の小舎を思ひ出してゐた。いまごろは、尋ねて来て、扉
ではないやうに思へ、今日はこの時計を手放して、池袋の家へ戻りたいと思つた。二人の間に、仏印の記憶が、
、馬鹿云つてると云つてみたものの、ゆき子は、池袋がなつかしかつたのはたしかである。浮気でうつり気なのかなと
東京で富岡と別れてからの生活を考へてゐた。池袋の生活は、この一週間あまりの不在で、一切が片づいてゐるやうな
、肉親に逢つたが、すぐまた上京して来た。池袋の家も引越して、篠原春子の紹介で、高田馬場の錻力屋のバラックの
東京へ戻れば、あらゆる文明が動いてゐる。だが、池袋のあの物置小舎の生活はどうなつたらう……。ジョウといふ男の思ひ出
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ゆき子は新宿へ出てみた。何年ぶりかで見る新宿は、相変らずの雑沓だつた。知つた顔は一人もないのが
わづかな小遣ひを貰つてゐたので、ゆき子は新宿へ出てみた。何年ぶりかで見る新宿は、相変らずの
「私はこれから、新宿まで出るから、どうぞ、勝手に調べてみてよ」
二人は新宿へ出て行つた。伊庭はゆき子が妙にはきはきしてゐるのが不安
二人は新宿へ出て、何の目的もないので、暫く歩いて、武蔵野館で
風が吹いてゐた。露店もあらかた店をしまつた新宿は、淋しい砂漠の街のやうなところであつた。如何にも用事あり気
ゆき子は目的のない気持ちで、新宿へ出てみた。夕方で寒い風が吹いてゐた。露店もあらかた
はおせいの借りた部屋なンだ。此の五月、新宿の駅でぱつたり逢つて、無理矢理連れて行かれて、自然に、僕
「新宿のバーの女給をしてゐたンだが、二三日前から歯が
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「赤坂へ出て、あすこから、渋谷へ都電で出てみるのもいいぜ」
渋谷へ出て、ガード下の中華料理へ二人は這入つた。煉炭ストーブのそば
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づつ重ねたやうな白壁塗りの家並がつづいて、ほら、日本橋つて、屋根のある小さい橋があつたわ。あすこで写真を加野さんが
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黄昏の寒い新橋駅にゆき子は降りてみた。寒い風が吹いた。自動車乗場の方
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た。池袋の家も引越して、篠原春子の紹介で、高田馬場の錻力屋のバラックの二階を借りた。ずつと富岡には逢はなかつ
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富岡からは何の音沙汰もない。ゆき子は思ひ切つて、五反田の以前の富岡の家へ尋ねて行つてみたが、今では表札
瞼に浮んだ。富岡をつけまはつてゐる時に、五反田の家の近くで、細君に逢つた時の印象が忘れられなかつた
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ゐた。主人公の医者は昔の女にくつついてゐる銀座のやくざを、何人も相手にして河の中へ放り込んでゐる。料理屋
富岡は三軒茶屋まで歩いて映画館へ這入つた。銀座三四郎といふのをやつてゐた。昔の女が忘れられなくて医者