乳の匂ひ / 加能作次郎

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地名一覧

大阪

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次男に生れたのだが、十六の時家を飛出し、大阪で何とかいふ侠客の乾分になつたりして、十年ばかりもごろ/

が、私が行つた時分には、養子の惠三郎(大阪の新町の芸者屋の息子)は兵隊になつて伏見の聯隊に入営してゐた

から代書人の書生になつたり、弁護士の事務員になつたり、大阪へ行つて郵便局に勤めたり、あつちに半年こつちに一年と転々として

七条

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ごろ/\してゐた後再び京都に舞ひ戻り、七条の停車場前にうどん屋を開いたのが当つて、それから後はとん/

五条

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当つて、それから後はとん/\拍子に発展し、五条に鳥屋、西石垣に会席料理屋、木屋町に席貸し、先斗町に芸者屋、それから四条

後、私は七条新地の通りを歩いてゐた。五条の大橋際から下の方へ、鴨川の流れを背にした狭い、穢

四条

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……その頃、伯父は四条の大橋際に宿屋と薬屋とをやつてゐた。祇園の方から鴨川を

京都でも一番目貫きの四条の大通りを、私はそんな恰好でよち/\歩いて行つたのだつ

に会席料理屋、木屋町に席貸し、先斗町に芸者屋、それから四条に宿屋といふ風に次々と手を拡げ、妾の四五人も持つて、

伯父も衰運の一途を辿つてゐて、店も最後の四条の宿屋兼薬屋を剰すのみとなり、女も一番新しいお雪さんだけみたいに

かいな。この前京へお出なはつた時、四条の家にも二三日泊つてお行きやしてな。たしか浅はん言は

清水へ行つてから足掛け三年目の春、伯父は再び四条へ戻つて、今度は宿屋の代りに洋食屋を始めた。そして私は下足番

或日私は四条から清水と、思ひ出深い少年の日の生活の跡を訪ね※つた後、宮川町

人で、常々お雪さんを好く言つてゐなかつた。四条の家を潰し、伯父の跡を絶やして了つたのも、みなお雪さん

祇園

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四条の大橋際に宿屋と薬屋とをやつてゐた。祇園の方から鴨川を西に渡つて、右へ先斗町へ入らうとする向ひ角

さんは旦那を持つて、養母のお文さんと共に祇園の方に一戸を構へ、三味線の師匠をやつてゐた。二十七八

いつて承知しないので、まさか眼と鼻の先斗町や祇園から出すわけにもいかず、或る縁故から福知山へやつたのださうだ。

話したやうに、伯父の養女分だつた一人で、以前祇園の方に三味線の師匠をしてゐたが、その頃、程近くの宮川町

横浜

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。少し病気してゐて、船で寝たまゝずつと横浜まで通したので、京都へは立寄れなかつたこと、森田の両親の家に

丹波

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へん、眼つぶりもつてでも楽に行ける。えら行けの丹波行けや。」

した面長の美人だつた。それからお高さんは、丹波の福知山で芸者になつてゐた。自分から好き好んで是非なりたいといつて

宮川町

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思ひ出深い少年の日の生活の跡を訪ね※つた後、宮川町のお藤さんを訪ねて見た。お藤さんは前に話したやうに、伯父

の師匠をしてゐたが、その頃、程近くの宮川町へ引越して、小さな煙草屋の店を開いてゐた。

六条

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時父が京詣りの時一緒に連れられて来て、六条の伯母の家に滞在中、或日一人でうか/\その辺へ遊び

を背にした狭い、穢なくるしい一筋街で、丁度六条の宿への途すがらであつた。同じやうな格子造りの二階家が南側

清水寺

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するとそれが清水寺の方へ上つて行つたのと殆どすれ違ひに、上からまた一台やつ

鳥取市

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なかつた。上海から帰つて、暫く森田の任地だつた鳥取市に住んでゐたが、二年程前に森田に死なれて、間も

京都

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私は十三歳の夏、この伯父を頼つて京都へ行つたのだつた。中学へでも入れて貰ふつもりで行つ

京都でも一番目貫きの四条の大通りを、私はそんな恰好でよち/

それぞれさういふ商売をやらせるといふ豪勢さで、一時は京都の遊び人社会でも、「浪華亭はん/\」といはれて、相当

て、十年ばかりもごろ/\してゐた後再び京都に舞ひ戻り、七条の停車場前にうどん屋を開いたのが当

がお信さんと直接会つたのは、私の数年間の京都生活中、後にも先にも、たつた二度しかないのである

一人あつて、その姉も三年前矢張り十三の年に京都へ来て、六条の伯母の家(これも宿屋だつた)に奉公

とかで、三十前の独身者だが、毎月一度位京都へ出張して来て、その都度浪華亭を宿にしてゐたの

、船で寝たまゝずつと横浜まで通したので、京都へは立寄れなかつたこと、森田の両親の家に同居してゐること、

ゐたが、その年の夏休みに帰郷する時、久し振りに京都へ※つて一週間ばかり遊んで行つた。

行かぬことだつた。お信さんはもう十年も前から京都に居なかつたではないか。

下谷

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時まで、ちやんと記憶に止めて居たのであつた。下谷区御徒町二丁目××番地といふのであつた。

東京

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交つて客座敷へも出るやうになつたが、その中東京の者で森田といふ男と恋仲になり、遂にその男の胤を宿し

お信さんは内地へ帰つたといふ通知を寄越した。而も東京からだつた。少し病気してゐて、船で寝たまゝずつと横浜

郷里に帰つて小学校の教師になり、更に志を立てて東京へ遊学に出ることになつたのであつた。二十一歳の秋のこと

見る気になつた。私は不思議にも、お信さんの東京の住所を知つてゐた。上海から帰つて伯父の所へ寄越した

私は東京でのお信さん訪問の一条を打明けようとしたが、妙に言ひそびれ

御徒町

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、ちやんと記憶に止めて居たのであつた。下谷区御徒町二丁目××番地といふのであつた。

目白

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飼つてあつたが、或時もやつて来てその目白が餌を食べたり水を浴びたり高音に囀つたりしてゐるのを見

た人だつた。私達が清水に居た時分のこと、目白が二三羽飼つてあつたが、或時もやつて来てその目白