わが精神の周囲 / 坂口安吾

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地名一覧

伊東

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伊豆の伊東へきて、もう九日になった。ちょうど一週間目に体重をはかったら

なった。ちょうど一週間目に体重をはかったら、私は伊東へきて四キロふとり、六十七と八を上下する体重になっているので

は温灸のせいかも知れないと考えた。この温灸は伊東へついた翌日、尾崎士郎の奥さんが教えてくれたのである。

私が二年前に伊東へ遊びに来たとき、尾崎士郎が妙なお灸をすすめた。

伊東へ来て、一週間。七日のうちに、色々なことを、めまぐるしく、

私は伊東へ来るようになったソモソモのことを明確には心得ていないのである

行きをすゝめたのは南雲さんであった。南雲さんは伊東に親戚の旅館もあり、二人の坊ちゃんが間借りの避暑にきていた

にきていた。この間借りをたゝんで帰るために伊東へ行くから、一しょに行かないか、しばらく転地して保養した方がよい

長畑さんも私の家に一泊して、翌日一しょに伊東まで来てくれた。その翌日は大井広介の奥さんが乳癌で手術することに

伊東へきて三日目の朝であった。旅館の縁側で私と話を

そうでしたが、足の方が、ひどかったですね。伊東へ来た日、尾崎さんの前の河で、なんべん、ころんだか、

私は伊東へくる車中で、人と喧嘩をしようとした。私は何より喧嘩など

伊東へつく。一行は直ちに尾崎士郎を訪ねて酒をのむ。私は酔っ払って、

伊東の海は岬の奥に湾入して、概ね波が静かであるが、音無

この時刻になると、伊東の海にはイワシ船が勢ぞろいをし、見張り船に誘導されて、所定

今もって私に分らないのは、伊東へ出発の前夜、南雲さんと長畑さんがなぜ来合わせていたか、八木岡君

こういうことは、いまだに例のないことで、それから伊東へ出発する日の前夜まで、私の記憶が失われているのである。

伊東に来て以来、私は親しい友人たちの愛情にかこまれて、これ以上に

菅平高原

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の温灸というのは、由来書の通りに云えば、菅平高原から採取している十何種かの高山植物と、動物のホルモン等々をねり合せた

伊豆

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伊豆の伊東へきて、もう九日になった。ちょうど一週間目に体重を

京都

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、すべてが架空の人物であるから、それらの人々に京都弁を喋らせて、各自に言葉の個性をもたせることは容易の業

た。それだけに多少の心得はあったが、反面、京都弁のむつかしさも心得ていた。特にこれを個性的に表現することが

ほど以前に、「吹雪物語」を書いていたとき、京都に一年半滞在していた。それだけに多少の心得はあった

章の「その二」及び第二章の殆ど全部が、京都が舞台になっているからであった。私も十三年ほど以前に、

すゝめることが出来ない障碍が行く手にあった。それは京都の言葉であった。第一章の「その二」及び第二章の

すゝめてゆくうちに、もどかしさに、たまらなくなった。京都弁を表現し得ないもどかしさに。

私は昨年の暮に東京をたち、この正月を京都で送った。すでにもう小説は「その二」を終って、第二章

逸しはしないか、と考えたからである。私は京都の標準語を習うことが目的でもないが、特に私流にアンバイして

私は東京で京都育ちの何人かを助手に雇えばよかったのである。ところが、当時

あった。しかし私は勇気を落さず、不自由を忍び、京都弁につかえながら、第二章を書きすゝめた。だが、私の頭

寒気と吐き気に苦悶し、半死半生のていであった。京都の旅館へついて、そのまゝ正月の一週間をねこんでしまった。体力的

にふるえ、絶え間なく流れでる洟汁と、こみあげる吐き気に苦しんだ。京都へついた私は、まったく船酔いに似て、寒気と吐き気に苦悶し、

かの言葉の個性を発明しようと考えた。そして私は京都へ向った。そして、この旅行が失敗に終った。言葉の発明に失敗

私は助手を雇わずに、京都のまんなかへ潜在して、出来るかぎり多くの人物と語り合い、多様な言葉を

私は京都で、たった二日のうちに、十五貫から十七貫五百になったことが

東京

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私は昨年の暮に東京をたち、この正月を京都で送った。すでにもう小説は「その二」

私は東京で京都育ちの何人かを助手に雇えばよかったのである。ところが

ねこんでしまった。体力的に消耗しきって、落武者の如く東京へひきあげたが、この旅行への期待と希望が大きかっただけに、私

とて、気のむかん時には、してはやらぬ。東京の人はひねくれておる。素直なところが欠けておる。これが何より

は私が職業上の制約をうけておらず、時に東京へ一年半、時に取手へ一年、又、小田原へ一年と

第二日目は、早朝に長畑さんが手術のために東京へ戻り、私たちは南雲さんの案内で、一碧湖へ遊びに行った。

て、勝手な理窟をこねるタチであった。あげくは、東京の人は理窟が多い。ハイハイと言う通りにきかないから治療がきかない

、仕事をしていないということである。私は東京を去るとき、二人の医師のはからざる出現に困惑し、意識の欠如に

が、いま帰って行くところである。昨夜おそく、女房が東京から「にっぽん物語」の未定稿を持って帰ってきた。私は常に