明治開化 安吾捕物 16 その十五 赤罠 / 坂口安吾
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チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西とちがって関東の者は概ね松茸についてファミリエルな鑑賞にはなれていない。ホンモノと毒茸
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てくるてえ寸法さね。このタクラミが見破れなくて、神楽坂から市川在までの埃ッぽい道を御大儀にも三度も四度も
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知らないし、チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西とちがって関東の者は概ね松茸についてファミリエルな鑑賞にはなれていない
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をきいたとたんにハネ起きて装束をつかんで走っている江戸の火消人足じゃアありませんか。こうと見てとれば誰が止めようと火
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などとは、とんでもない。ですが、もう一ヶ所だけ、善光寺へ参詣のつもりで、牛にひかれて下さいな」
新十郎の善光寺は、木場のヤマ甚という旦那のところであった。喜兵衛や太兵衛と同年輩
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、チヨはせがまれるままに子供たちに食事を与えた。ちょうど京都の松茸が本宅から届いていたから、これを鯛チリの中へ入れ
が山キの家法のようなものだ。秋の季節の京都ならば松茸と、云わずと定まっているようなものであった。
この松茸は京都方面へ出張した若い番頭の二助が買ってきたものだ。喜兵衛は
だけ毒茸が混入していたのである。そこで、京都の松茸の売店も、それを買ってきた二助にも罪がなく、
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が、したがって先代以来、ここの番頭は主として秋田生れの者を使っていた。
山キは喜兵衛の先代が秋田の山奥から出てきて築いた屋台骨であるが、したがって先代以来、
まず大番頭は、先代が秋田から連れてきた番頭の二代目で、重二郎と云う。元来、遠縁
に出世が約束されている。この五名もそろって秋田地方の出身であった。
、特に松茸にそッくりで、タテにさける。これは秋田の山間の限られた地域に見かけることができるもので、山キの主従
身辺は最も深く当局の洗うところとなったが、彼が秋田からヘップリコを取りよせたような時間もツテもなく、彼がそれを混入し
「お加久さんは秋田生れですか」
たということである。また喜兵衛によく似た老人が秋田山中に隠棲してヘップリコを食うこともなく大正末期に至るまで長生きした
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深川は木場の旦那の数ある中でも音にきこえた大旦那山キの
のあるところで、花廼屋は大そうな為永春水ファン。深川木場は「梅ごよみ」の聖地、羽織芸者は花廼屋のマドンナのよう
その日、清作はふとなにがしの用を思いついて、珍しく深川の本宅へ顔をだした。実に珍しいことであったが、これを
所轄の警察のほかに、急報をうけて駈けつけたのは深川警察の精鋭。かねて舟久の話によって、先代コマ五郎が喜兵衛の
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着かざった人々の群が三々五々つづいて通る。一見して東京も下町のそれと分る風俗。芸者風の粋な女姿も少からず
、地方で育った小番頭や小僧は云うまでもなく、東京生れの喜兵衛も重二郎も生地名題の毒茸の知識はあった。台所の
は東京以外を知らないし、チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西とちがって関東の者は概ね松茸についてファミリエルな鑑賞
見破る能力ある者が一人もいなかった。病身の清作は東京以外を知らないし、チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西と
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ものであるから、彼と妻子は本宅に住まずに、向島の寮に住んでいた。その近所には海舟の別邸もあり、そこ
なものであった。喜兵衛はこれを近隣へ進物し、向島の寮へも届けさせた。
て、向島へ届けるのはこれと定まってから、それが向島に届くまでの間に何者かが毒茸を入れたのだろうと考えられた
がなく、松茸の荷を解き、いくつかに分けて、向島へ届けるのはこれと定まってから、それが向島に届くまでの間に
、本宅に残った中にも毒茸は存在しなくて、向島の寮へ届けた小量の中にだけ毒茸が混入していたので
ところが運わるく向島の寮には、この毒茸を見破る能力ある者が一人もいなかった。
たオタネ婆さんに怪しむべきところはなかったし、それを向島の寮へ届けた半助(十五歳)にも怪しげな節はない。
それを持って出発するまでと、向島に至る道中、及び向島の寮の者に渡されてのち料理されるまでの間には、誰
に渡され、半助がそれを持って出発するまでと、向島に至る道中、及び向島の寮の者に渡されてのち料理されるまで
お返しの半紙など受けとって、順ぐりに五軒をすまして向島に辿りついたものだ。
までに他の五軒に松茸を届けている。もっとも、向島の分だけは進物用とちがってミズヒキなどがかけられていないから、
半助は向島へ至るまでに他の五軒に松茸を届けている。もっとも、向島の
の子にもしものことがあってはとの心づかいで、向島の寮に居残り、重二郎は木場の本宅に留守を預っているから、
「番頭さんは葬式の前日の午後二時ごろ向島の寮からの使いが来て、そッちへ出むいたようです」
「向島の寮でござんす」
次に新十郎の一行は向島の寮を訪問した。寮にはチヨと二人の若い女中のお鈴
「そうさ。向島の寮をでて市川の別荘へ向い、あとの行方が知れないとあれ