北支物情 / 岸田国士
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、客側として、日本人が四五人、そのなかに、満洲を本拠とする御用商、五十嵐組の若主人なる人もまじつてゐる。
「君は満洲から来たの?」
わるくなつたらしくてね。それも、姉とわたしとで満洲へ行つたことをなにか日本のためのやうに書いたのが致命的だつ
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た乗客がひと纏めに集められてゐる。隣には、比叡山の従軍僧、向ひにはT書記生と支那人Fといふあんばいである
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新楽の南端に沙河といふ河があつて、その鉄橋がまだ修復できないのである。河向ふ
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上海の外国租界では、かうは行かぬらしい。殊に香港では、うつかり日本人などは街を歩けないといふ話も聞いた。いや、
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保定、大同、徳州などいふ城市も一見の価値があらう。
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つゝあるものを探り得るとすれば、それは、単に、日支両国民の共通の希望となるべき将来の文化的工作が如何なる意図と方法によつて
さもなければ、両国民の伝統的な生活感情は、種々相距る外貌をもつに拘はらず、少くとも、異
「今度の事変は国民と国民との争ひではないと、両国の政府は声明してゐますが、私もそれを信じた上で今度の旅行を思ひたちま
関瑾良氏が日支両国語のそれぞれ翻訳をしてくれることになつてゐ、同氏は座談会のための速記
ると私は信じたい。少くとも、さういふ信念をもつて、両国民の不幸を見つめ、その前途を憂へてゐる日本人、殊に、知識層の大部に、
至つても、なほかつ仇敵の間柄ではないといふことを、両国の政府がはつきり声明し、国民も亦それぞれ、その点を深く認識してゐるこ
、専ら、文化的な部門についてであります。例へば日中両国民の提携による平和百年の事業が、果してどんな基礎の上に築かれなければ
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十一日の正午神戸を出る塘沽行の船に、もう部屋がとつてある。(十月
船が神戸を出る時、私はなるほどこれが天津に向ふ船だなと思つた。
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貪るやうに堀内氏の話に耳を傾けた。氏は鹿児島の産であることが私にはすぐわかつた。勿論、現役の軍人で
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長に敬意を表したいと思つたのは、私が嘗て巴里滞在中、国際聯盟の仕事でしばらく同じオフイスにゐたことがあるからで
ぬ。大通りを挟んで蜿蜒数丁に亙るこの光景は、巴里蚤の市の比ではない。私は疲れた。一軒で絨毯をひろげて
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その少年は、眉目秀麗な、幼年校の服の似合ふ、和歌山弁の、忙がしく瞬きをする癖のある少年である。
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間に叔父は物故し、従弟の春料は科挙の為め京都に流寓する。それで春登の叔母宋氏は家政を壟断し、春登から
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行つてかう曲つたとこだと教へられ、われわれは植民地の銀座通りを想像しながら、暗い通りをその方角へ歩いて行つた。
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「留守宅は東京だつたね。何かことづけはないか?」
話は飛んで私が東京へ帰つた翌日であつたが、何気なく新聞の記事に眼を通すと
柯政和(東京音楽学校卒業、北京地方維持会専門委員、華北教育総会総務組組長、北平