ある夫婦の歴史 / 岸田国士
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のない胸騒ぎを感じた。それは、十数年前にパリで知合つて、わりにちかしく交際をした一人のフランス人、ロベエル・コンシャアルから
た。そしてその回想は、いきほひ、十年前のパリ生活につながるのである。デュトオ街のアパルトマンから、近所のパストゥウル研究所に通ふ
また一方では、いひしれぬものうい気分にとらはれた、あのパリの生活である。
君にいつか話したことがあるかもしれないが、パリで知り合つたコンシャアルつていふ男が、近いうちに日本へやつて来るさうだ
た。サン・ミシェル通りを二人で夜おそくまでほつき歩き、パリの学生生活の裏をはじめてのぞかせてくれたのもこの男である。ひと夏
ず顔をほてらした。マダム・ホチムスキイとは、彼がパリで最後まで一緒に暮してゐたユダヤ系の年増女であつた。彼の下宿
は、工夫をこらした妻の手料理にも満足した。パリの日本料理にはみられない垢ぬけのした献立を、いちいちもつたいをつけて
「私のパリからの友達、ドクトルでプロフェッサア」
はいまいましく思つた。ロベエル・コンシャアルの行動が、どうやら、パリにおける自分のそれを、そのまま示してゐるやうに、妻の眼に
「それは、たしかに約束したわ。でも、やつぱりパリにゐるんでせう? あと二年は、ゐるはずでせう?
さうよ、トオキヨオにゐる奥さんのことは知つてるわ。パリに来る奥さんなんて、あたし、知らないわ」
「パリの奥さんは、あたしぢやないの。あんたのパリの生活は、あたしがそばに
「パリの奥さんは、あたしぢやないの。あんたのパリの生活は、あたしがそばについてゐて、はじめてできるのよ。あなたが
そばについてゐて、はじめてできるのよ。あなたがいよいよパリを引上げる時は、あたし、笑つて送つてあげるつもりよ。ほんとに笑へるか
知らないけど……。とにかく、美しい別れかたをするわ。パリの女の別れかたよ。でも、二年たたなけれや、いや……」
「ヘマなことさへしなければいいんだわ。パリでは、さういふ内証事がどんなに安全に行はれてるか知つてる?
といふお前の気持は察せられなくはない。しかし、同じパリにゐて、いつまでもお前に会へないとは、どうしても信じ
とする行動にひとつの支へが必要なのだ。パリをしばらく離れる支度に一週間はかかる。その間だけ、自分のそばにゐて
が生れてゐなかつたにしても、君が今このパリへ来てどんな生活ができるか。小生は朝早くから夜おそくまで、研究所に
パリは決して人の言ふやうな花の都ではない。東洋の一留学生にと
の都ではない。東洋の一留学生にとつては、パリの生活そのものは、石畳のやうに冷たく、灰色です。その憂鬱を君と
わけではないが、それは結局、小生のエゴイズムです。パリが世界に誇るものは、たしかにその伝統のなかにあるでせう。しかし
「パリの屋根の下……」
「マダム・ウツミはね、ムッシュウ・ウツミが、パリでアミと一緒に暮してゐたことをご存じなのよ。いいこと、それ
ないものとして、それぢやお答へしませう。パリの女としては、別に目立つほどのひとではありません」
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かかつてもと思つたからです。マダムは二三日前から、チュニスへ行くんだつて、荷物の支度なんかしてゐたやうです。部屋は出来
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・コンシャアルと、ほとんど三日にあげず会ひ、日光や箱根へ連れだつて遊びに行つたといふ事実を、真帆子がかぎつけたのは、それ
こないだ来てくだすつたんだつてね。あん時は、箱根までのしたの。よけいな路をてくつたりして、くたびれちやつた」
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大学の門を一歩踏み出すと、焼け残つた本郷の通りが、彼を現実の埃のなかに引きもどす。込み合ふ電車、表情
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ゐる暇は自分にはないと思ふ。一ヶ月後には東京に向つて出発する。ある貿易商の秘書兼通訳の資格でといへば、
、僕ときちや、頼りにならない友達だからなあ。東京の街を連れて歩いたこともないんだぜ」
よ。どこへ連れてけばいいんだい? 僕が東京で、彼に見せたいものといへば、この廃墟以外にはない。しかし
男は、大阪風に、いきなり『どや?』と来るか、東京風に理窟を並べるか、どつちにしても、照れかくしがすべての邪魔
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炎で入院をしたことを知つた。それが、目白にあるカトリックの病院であることもわかつた。
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志村鈴江の代々木の家は、やつと接収を免れた洋風の小じんまりした住宅で、もともと
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なぞさげて行く気はしないのである。そこで、銀座へ出て、虎屋で羊羹を一本包ませる。