北海道の性格 / 岸田国士

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地名一覧

旭川

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父が九州小倉の師団から旭川へ転任になり、一家を挙げて新任地へ移って行ったので、当時

高商出の佐竹佐武郎の許に嫁した末の妹は、旭川で生れたといふので、父が朝子と命名した由来も知ってゐる

北海道

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北海道の性格

私が最初に北海道の土を踏んだのは、今から四十いく年か前のことで、たしか

たわけである。従って、父の在任中、ふた夏を北海道で過す機会を得たので、いくぶん土地との親しみもついてゐる。

、私の場合は、少年時代から今日までに捉へ得た北海道のすがたは、断片的な印象としてではなく、土地全体の概念とし

ところが、北海道となると、特にこれといって懐しい思ひ出があるわけでなく、とり立てて礼讃

て帰国を想ふ情ともむろん同じではない。第一、北海道は、私の郷里でもなんでもないのである。

のこと、ある雑誌社主催の講演会で、たまたま、久しぶりに北海道へ渡ったことがある。今でもはっきり覚えてゐるが、たゞの講演旅行

その時、私が一番楽しみにしてゐたのは、北海道がどんなに変ったらうか、といふことであった。

そのつぎに北海道を訪れたのは、昭和十七年の二月であった。真冬の北海道が

のは、昭和十七年の二月であった。真冬の北海道が一番北海道らしいにちがひないと思ったので、わざわざ用事をつくって出掛けた

昭和十七年の二月であった。真冬の北海道が一番北海道らしいにちがひないと思ったので、わざわざ用事をつくって出掛けたのである

わざわざ用事をつくって出掛けたのである。この時も、北海道がどんな土地になってゐるかを、できるだけ自分の眼でたしかめたかった。

、さういふわけで、今年の六月、かねがね娘たちも北海道を見たいと言ってゐるので、私は、彼女らの希望をかなへる

娘たちに、それとなく見せておきたかったのは、北海道といふ土地が、日本の一地方でありながら、どれくらゐ、ほかの土地と

かういふ風に述べて来れば、私の北海道といふ土地に寄せてゐる関心が、どういふたぐひのものであるか

狭くして、老いた国土の一隅に、なほ、北海道なる若く、力強い土地を残してゐることは、われわれ日本人にとって、なんたる幸

三度の北海道旅行で、私のなし得た観察の範囲は、まことにお話にならぬ

だけのものは見たつもりである。現代の日本人が、北海道といふ素材から、何を創り出しつゝあるかを知るのが、当面の問題な

北海道の自然について、人はよく語るやうである。なるほど、地理的に日本の

ば、わが国の観光事業は根本から出直す必要がある。北海道は、その点、これからといふ部分が多いのは頼もしい限りである。

感情もまた、ほかの土地ではおそらく湧かぬであらう。北海道なるが故にである。それはなにかといへば、たった一人の絵心の

社会生活のやゝ健全なすがたを、せめて、北海道だけにでも、早く作りあげてほしいと、私はつねづね念じてゐるからである

は、私の嘗つての教へ子であるが、私の「北海道らしいものを見せろ」といふ厄介な註文にさぞかし神経を疲らせたであらう。横暴

とかの椅子にある有能なジャアナリストをつかまへて、しばしば北海道の北海道らしからざる点を難詰した。彼の苦笑が私の眼にまだはっきり

の椅子にある有能なジャアナリストをつかまへて、しばしば北海道の北海道らしからざる点を難詰した。彼の苦笑が私の眼にまだはっきり残って

小樽

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その上、現在小樽高商出の佐竹佐武郎の許に嫁した末の妹は、旭川で生れた

東京

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一家を挙げて新任地へ移って行ったので、当時東京中央幼年学校に在学中であった私は、夏休みに、まったく見知らぬ土地へ