火の扉 / 岸田国士

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地名一覧

満洲

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が、それも底が見えて来た。恒産といつては満洲にある会社の株が少しあるきりで、それこそ今では役に立たぬ

豊橋

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「あすはちよつと豊橋まで用事があつて出かけにやならんのですが、なんか序に仕入れてくるもの

樺太

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「わたしたち、樺太からやつと引揚げたばかりなんですけれど、また、行けるようになつたら行こうと

北海道

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、例の中園三郎から一通の手紙を受けとつた。北海道稚内うんぬんというところがきである。

しよう、駅の名前なんてごぞんじないはずだわ。で、北海道へ、ずつとこれから?」

「北海道の果てまで子供を連れて行くつてことはひと苦労ですよ。しかし、これから

「あたくしたち? ワッカナイですの、北海道の果ですわ」

「今はことにね。北海道はよくご存じ?」

「おい、起きなよ。この奥さんが北海道の話聞きたがつてるからさ」

ハノイ

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ハノイの植物園のことをふと思い出す。日の暮れかゝる時分になると、重くよどんだ

マニラ

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細君が証人として呼びだされたのは、あれは、マニラの法廷だつたな。君もそれが許されゝばやるだろう? やりたい

宇品

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「このあとで宇品へはいる船が杉部隊の本部を乗せるはずだ」

と/\、いろんな話が聞けただろうに! 広島と宇品なら、同じところと言つてもいゝのだ。自分の方からどうしてそれ

浦賀と、紀州の田辺とこの宇品とを、もう二度も往復いたしました。少しばかりの食料はもとより用意し

考えてることがあるの。もうずいぶん前からよ。あなたが宇品からお手紙をくだすつたわね。そのころからなの。今なら、それ

札幌

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が、函館から札幌までは、ほとんど立ちどおしで、ゆつくり座席のとれたのは旭川から先で

伊那谷

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「冷えてますけど、これ、およろしかつたら……伊那谷の新米ですのよ」

伊那谷の新緑が眼の底にうかびます。モトムさまは、もう三年生、お父さまがお

鎌倉

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ます。娘ですか? ついこの間、家内の実家から鎌倉の親せきへ連れもどしたんですが、いまからちよつとその親せきへ顔を出して、

、もう上りが来る時間ですから、これで失礼します。鎌倉へ寄るまでに、私、この足で大佐殿にお目にかゝつて

天竜

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天竜の河原をへだてゝ、対岸の山すそは夕陽をいつぱいに受け、青空に浮いた

旭川

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は、ほとんど立ちどおしで、ゆつくり座席のとれたのは旭川から先であつたが、さて、向い合つた女二人の話題は、相変ら

広島

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が、勤めが広島だつたもんですから……。家内は広島の実家にずつといた関係で、もちろん生死不明です」

「わし、国は富山の方ですが、勤めが広島だつたもんですから……。家内は広島の実家にずつといた関係

「まあ、広島……」

出掛けなかつたんだろう? そうじやない、どうして、広島までいつしよに連れて行つてと頼まなかつたのだろう?

方からどうしてそれが言い出せなかつたのだろう? 広島と聞いた時、ふつと、そんな気がしないでもなかつたけれど

、もつと/\、いろんな話が聞けただろうに! 広島と宇品なら、同じところと言つてもいゝのだ。自分の方からどう

できませんでした。たゞそれだけの間柄ですけれども、広島にいたはずの奥さんが生死不明だということも聞いていましたし

だという話をきゝ、なつかしくてたまらず、これから広島へ行くと言つて別れたのを、わたくしは、停車場まで後を追つた

ことできたんやわ。ほら、あんたんとこへよく来る広島の、なんだつけ、オーさんか、あのひとの友達でうちにほれち

めずらしく一週間ばかり顔をみせないと思つていた。広島からほとんど毎日のように通つて来る熱心さは、店でももう評判

富山

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「わし、国は富山の方ですが、勤めが広島だつたもんですから……。家内は広島

和歌山

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しかし、大阪行はよほど前に出たあとで、今夜は和歌山行が終列車でもうそれだけだということがわかつた。

する下り列車の時間をたずねた。その列車なら、今度の和歌山行に乗ればことによると電車で間に合うかも知れぬとの返事だ

神戸

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せ、しゆうとの乃婦と義妹の百々子とを連れて神戸へたつた。

長野

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「そうですね、ぼくの予定では、長野へ朝着くとぐあいがいゝんですが……」

青森

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、わたしの方が、どこでもよく知つてるの。青森から北なら、たいがいのところに友達がいるの。十四の時から方々渡り歩い

東京

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\学校の先生を長くするつもりはなく、機会があれば東京へ出て、新聞か雑誌の記者になるつもりだつた。ところが、ちようど

、現にいま部屋を借りている池内家の近親に当り、東京からの疎開先をあれこれ思い悩んでいた矢先、日頃懇意にしているO

東京の知合いへ話をすれば、きつと欲しがるものもいるとは思う

電報は東京の夫からであつた。

引くようにその一つを選んだ。員外学生として東京帝大の工学部に籍をおいた三年間は、おれを特殊な科学者、つまり

東京でなら、こんな現象もさほど驚くに当らないと思う習慣がついていた

彼は、今年二十七になつた。郷里の農学校から東京の私立農科大学へはいりはしたが、中途で学校がいやになり、

が、ふとほしくなつていたのである。井出夫人が東京へ行つたまゝ、もうかれこれ一週間たつのにまだ帰つて来ないことも

「でも、わたし、井出さんの奥さんが東京から帰つて来なさるまで、どうしてもこゝを動きたくないの」

切れぬ気もちをのこしながら、夫が許すまゝに、その夜東京をはなれることにした。それがいゝかわるいか、もつとほかにとる

見たことからはじまり、辰野の駅で別れてから、早速東京でH工しようを訪ね、一徳に会い、それとなくその問題に触れて

これで東京にでもいれば、と、彼女は思うのである。万一の場合も

康子が東京から帰つて来た時は、もう、北原ミユキは学校をやめて、実家

東京風の焼イモが、彼女のしなやかな指の先につまみあげられる。

奥さんには気に入らんところがあるんだね。もう東京へ帰るなんて言いだすんじやないですか?」

「東京へ帰るつたつて、家がないんですもの」

戦争が終つて一年目の東京である。

たので、その弁護士からの呼び出しで、康子は、ともかく東京へ出て来た。そして、そのまゝ、いなかを引きあげることにしたの

が雨あがりの湿気をふくんで窓から流れこむ。このあたりは、東京から一時間という郊外電車の沿線で、数十年前に植林を切りひらいた

しきりに言つた。すると、ある日、尾関は――東京へ出たければ方法はなくはないが、それにしても、いつたんからだ

身のふり方について軽い相談をもちかけなどした。東京へ出たいと、彼女はしきりに言つた。すると、ある日、尾関

「今からだと、もう東京へ遅く着く汽車しかありませんわ。お疲れになるわ。ねえ、市ノ瀬

を四時いくらつていうのには、まだ間に合うけれど、東京へ十一時だで……」

間にか、北原ミユキのはからいで、ざる一杯のシジミが東京へのおみやげといつて用意されていた。

「じや、いずれまた……東京へお遊びにいらつしやいね。それから、あす、市ノ瀬さんが、

、あなたとお会いしたかつたわ……。いつか、東京の奥さんのお宅でお会いしたわね。あの時分だと、まだよ

の扱いにしだしたことである。なるほど、康子は、東京へ移つてからまだ自分で収入の道を講じてもいなかつたし、

八王子

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の勤務先で、同時に宿舎になつている工しようは、八王子から厚木へ通じる電車の沿線で、H町という停留場で降りることになつ

「もう、八王子へ引返す電車はございませんね」

高円寺

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これに比べると、あの五月二十五日の空襲で高円寺の家を焼かれる前後、もう命はないものと覚悟をきめて焼夷弾の

目黒

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は役所に寝泊りをしてもいゝが、お前はさし当り、目黒のおとうさんのところへでも行くか? あつちはたしかまだ残つてるはず

目黒というのは康子の実家ではあるが、父は素性の知れぬ若い

吉祥寺

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その夜は夫の先輩にあたるN中将の吉祥寺の家へ泊めてもらい、それ以来、彼女は夫の顔を見ないの

小諸

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これでも昔は藤村の愛読者だでなあ。――小諸なる古城のほとり、か。今でもこんなもん暗しようしとるに」

新宿

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彼女は、その夜、夫一徳に見送られて新宿をたつた。それにしても、夫とはどういうふうにして

浦賀

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に、もう、浦賀の船着場でもそれはみられた。浦賀では、木札をかゝげる代りに、大声で「浜島茂」の名が叫ば

ではない。この田辺の港にたどりつくまでに、もう、浦賀の船着場でもそれはみられた。浦賀では、木札をかゝげる代りに

浦賀と、紀州の田辺とこの宇品とを、もう二度も往復いたしました