私の生ひ立ち / 与謝野晶子

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地名一覧

生駒山

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た土橋や石橋の直ぐ向うに続いて居ます。河内の生駒山や金剛山の麓まで眺める目はものに遮られません。南は国境の葛城山脈

摂津

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私等姉妹に由つてさゝやかれました。大祓祭は摂津の住吉神社の神事の一つであることは、云ふまでもありませんが

になつて居る程に、和泉の最北端にあるのです。摂津の国とは昔は地続きでしたが、今は新大和川と云ふ運河が隔てに

金剛山

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や石橋の直ぐ向うに続いて居ます。河内の生駒山や金剛山の麓まで眺める目はものに遮られません。南は国境の葛城山脈になつ

銀閣寺

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東寺の塔だの、知恩院だの、金閣寺だの銀閣寺だのがきらきらと映ります。」

和泉

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ある八月一日の前日の、七月三十一日には、和泉の鳳村にある大鳥神社の神輿の渡御が、やはり堺のお旅所へ

和泉の山の茸狩の思ひ出は、十二三の年になりますまで四五年の間は

街端れは即ち和泉の国端れになつて居る程に、和泉の最北端にあるのです。摂津の国とは昔は地続きでしたが、今

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は、云ふまでもありませんが、その神輿の渡御が堺のお旅所へある八月一日の前日の、七月三十一日には、

和泉の鳳村にある大鳥神社の神輿の渡御が、やはり堺のお旅所へありますから、誰もお祓と云ふことを、この二

へらへら踊の女役者は云ひ合せたやうに、何処でも堺の大火と云ふやうな芸題で、具清の人々が火の中を逃げ

、珍しくて嬉しくてならなかつたのです。誰も誰も堺の子供が親達や身内の人に伴はれてする春の浜行きも、

思ひました。松茸の御飯や、お汁や、それから堺から待つて来た料理やでおいしいお昼飯は食べましたが、父やその

堺の市街

私はこの話のおしまひに私の生れた堺と云ふ街を書いて置きたく思ひます。堺は云ふまでもなく茅渟の海

の生れた堺と云ふ街を書いて置きたく思ひます。堺は云ふまでもなく茅渟の海に面した和泉国の一小都市です。堺

なく茅渟の海に面した和泉国の一小都市です。堺の街端れは即ち和泉の国端れになつて居る程に、和泉の最北端に

のお社は町から十町程離れてあるのです。堺の人の多くが春の花見をしに行く処です。山桜が社前に十

へ隔つた所に方違神社があります。方ちがひさんと堺の人は皆云つてます。立春の日に鶴の羽を髪に挿した女

を町へ入つて来ますと、其処は大小路と云つて堺で一番広い町幅を持つた東西の道路になつて居ます。柳の木が

続いて居ます。昔は大きな船の入つた港だつた堺の海は、新大和川が川上の大和から無遠慮に砂を押し流して来るの

境内の一部にあるのです。芝居や勧工場があつて、堺では一番繁華な所になつて居るのです。小学校の横を半町も東

の一人娘だつたのです。南さんの家のある所は堺の街ではなく向村と云ふのですが、それはいくらも遠い所では

こんな注文をなさいました。堺は古い昔から商業地になつて居まして、店や工場を重にして

ました。私と私の妹とおさやんの三人で堺の街の北の西の端の海船と云ふ所へ、それも夏祭などの

それも夏祭などのおよばれに行つて居ますと、同じ堺でも其処等辺の人は私等を見知つて居ませんから、

して此頃は居るのか私は知りません。もう堺には居ないのでせうか、気の好い遊び相手だつたおさやん

加賀田さんの家は堺の最も旧い家でした。山太郎とその家のことを呼んで居ました

河内

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かかつた土橋や石橋の直ぐ向うに続いて居ます。河内の生駒山や金剛山の麓まで眺める目はものに遮られません。南は国境

金閣寺

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塔だの、東寺の塔だの、知恩院だの、金閣寺だの銀閣寺だのがきらきらと映ります。」

南宗寺

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云つてよい程の街ですから静かです。向うの突当りが南宗寺です。千利久が建てたと云ふ茶室があります。私など少し大きくなりまし

は納屋助左衛門と云ふ人の家だつたのださうです。南宗寺の智禅庵の丘の下を東から堀割が廻つて流れて居まし

石津川

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、ずつと向うが浜寺の松原になるのです。木綿を晒す石津川の清い流もあります。私はこんな所に居て大都会を思ひ、山の

大安寺

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折々お茶の会に行つたりしました。その隣は大安寺で私の祖母の墓があつたのでしたが、今では父も母

た。私はそれから少し経つてからある日曜に寺町の大安寺へお祖母さんのお墓参りをしました時に楠さんを訪ねて行きまし

和泉国

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思ひます。堺は云ふまでもなく茅渟の海に面した和泉国の一小都市です。堺の街端れは即ち和泉の国端れになつて居る

和歌山県

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云はれる所です。北は大和橋に続いて居ます。和歌山県の方へ大阪から続いた国道です。大小路の西の堀割に掛つた吾妻橋

知恩院

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映ります。八坂の塔だの、東寺の塔だの、知恩院だの、金閣寺だの銀閣寺だのがきらきらと映ります。」

東寺

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東山も西山も北山も映ります。八坂の塔だの、東寺の塔だの、知恩院だの、金閣寺だの銀閣寺だのがきらきらと

妙国寺

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見ますと、ずつと北の方に浅香山の丘が見え、妙国寺の塔が見え、中央に開口神社の塔が見えます。私等が実を

大阪

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たのは恐らく私の生れない時分だつたらうと思ひます。大阪へ出て古着を安く買つて来るのがお祖母さんの自慢だつたやう

聞きました。今から思つて見ますと、そんなことは大阪あたりで誰かの既にもうして居たことで、友吉等はその模倣者

の縁がとられてました。桔梗の花の扇は大阪の誰かから貰つた物でした。

から、もうお祓の宵宮祭になるわけなのです。大阪であつても、私の郷里であつても、彼方の地方の人は、

越して来る祭客の中に交つて来る少女達、大阪から来る親類の少女達、其等は何れも平常に逢ふことが稀で、

。北は大和橋に続いて居ます。和歌山県の方へ大阪から続いた国道です。大小路の西の堀割に掛つた吾妻橋を渡ると、

はものを云はない人よ。叔母さんは母様が私を大阪へ伴れていらつしやる時には本家へ来て留守番をして下さるの

「大阪に梅の助と云ふ役者があるの、綺麗な顔ですよ。この間ね

方違神社

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好い場所です。其処を一町程北西へ隔つた所に方違神社があります。方ちがひさんと堺の人は皆云つてます。立春の日

の羽を髪に挿した女達の参詣する所です。方違神社から真直に田圃の中を通つた道を町へ入つて来ますと、其処

和歌山

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方が、どれ程嬉しかつたか知れません。紀州の和歌山から、国境の峠を越して来る祭客の中に交つて来る少女

京都

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ばかりです。私はその時もう父に伴れられまして、京都を見て来て居ました。外の人達にはその経験がない

「皆さん、私は京都に家があるのです。今迄隠して居ましたけれど。」

大津

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です。海辺には松も何も生えて居ません。大津の崎が淡路とすれすれになつて見える遠い景色を好いと見て居るだけ

住吉

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と云ふことを、この二日にかけて云ふのです。住吉さんのお渡り、大鳥さんのお渡りと一日一日を分けては、

姉妹に由つてさゝやかれました。大祓祭は摂津の住吉神社の神事の一つであることは、云ふまでもありませんが、

眺めたりすることも出来ません。朝御飯を食べますともう住吉踊が来ます。

ても祭の各町を眺めて通るのが面白いために、住吉までを車で行くのが多いのでした。夜明の社の御灯の美

、皆その夜市を見に行きます。私等は翌朝の住吉詣での用意をさせられます。汽車があつても祭の各町を眺め

ます。大道をまた一町南へ行きますと宿院と云ふ住吉神社のお旅所があります。私の通つた小学校は宿院小学校と云つ

であると信じて居るのですが、友達は一人残らず住吉参りをした吉つあんの話を真実のことと思つて居たやうです

を結つて、銀の薄の簪などを挿して、住吉祭の神輿の行列を私の家へ見物に来て居る時などは人

居たと云ふのでした。二人は手を引き合つて住吉神社の宿院のお旅所の隣にある大燈籠の所へ行きました。

品川

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です。旅館の建ち並んだ後に昔のお台場があります。品川のと同じ式で唯海の中にないだけです。春は菫が沢山咲い

東京

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頃高等師範をお出になつた遠山さんと云ふ方が東京から私等の先生になりに来て下さいました。遠山先生はおいで

の乞食なのですが、その着物のぼろ/\さは東京の乞食のやうなものではないのです。山蔭の土に四月も