帰つてから / 与謝野晶子
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『何故さうなのでせう。玉川の方でも乳は一年限りで廃して居たのだつたのにね
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実が葉の根に総て附いて居る。新嘉坡、香港などで夏花の盛りに逢つて来た鏡子は、この草や木を見て
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浜松とか静岡とか、此方へ来ては山北とか、国府津とか、停車
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浜松とか静岡とか、此方へ来ては山北とか、国府津とか、停車する度
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『どう致しまして、荒木さんも神戸迄来て下さいまして、それから又随いて来てくれはつたのです
『兄さん、お父様の帰る時は僕も神戸へ行くよ。』
『情ないのねえ。けれど荒木さんは私を若くなつたと神戸では云つたのね。』
私ね、鞄なんかの鍵を無くしてしまつたのよ。神戸の宿屋でせうか。』
それから昨日神戸でしかけた旅の話の続きのやうな話が長く続いた。鏡子は
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が心配して居るらしいですわね、畑尾さんの所へ巴里から来た手紙が余り大層に書いてあつたらしいですわね、さうだ
のですよ。彼方で帰りたくなつた時ね。あの!巴里から来いと云つて来ました一番初めの手紙ね、あれが来た時
に心からしみ出すのを覚えた。其事を云つて巴里でかこつた相手の事も思ひ出される。車屋の角を曲るともう美阪家
からと鏡子は不快な投やり心を起して立つた。巴里の家の大きな三つの姿見に毎日半襟と着物のつりあひを気
に詰めかけて来ると外の者がひやひやするのですもの、巴里の兄さんもそれが案じられると云つて居られるのですからね。』
『お照さん、巴里から私に手紙が来て居ないこと。』
『母さん、恐い夢を見たの、巴里で。』
の事をお照が巴里へ書いて遣すのを、巴里で夫婦はそんな事がと云つて苦笑したのであつたが、或は
自分も確かにさう思ふのと榮子の事をお照が巴里へ書いて遣すのを、巴里で夫婦はそんな事がと云つて苦笑
の方が真実ですね。ねえ南さん、良人がね、巴里でね、此処へ着いた十日程は若かつたねと云ふので
やうな目附が鏡子には寂しく思はれるのであつた。巴里への手紙は今日書けないかも知れぬと悲しい気持になつたり、書棚
『あのう、巴里から一番おしまひに来た手紙は何時でしたの。』
と書き出して、優しい言葉が多く書いてある。鏡子が巴里に居た頃、自身達の本国に居た頃より遥かに多く月々の
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をして居た。鏡子は弟の様に思つて居る京都の信田と云ふ高等学校の先生が、自分は一人子の女よりも他人の子
云つたお照は目に涙を溜めて居た。鏡子は京都者の軽い意味で云ふ横着と云ふ言葉が、東京者に悪い感じを与へ
『さうですね。京都より好い処もありますね。』
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、早いのだすなあ、外の坊ちやんやお嬢さんは新橋に来てはりますか。』
『皆新橋へ来るの。』
からしみじみ帰りたかつたのだとも哀れに思ひ出される。新橋へ着く前に顔を洗ひたいと思つて居ることも実行がむづかしいやうで
『叔母さん。母さん、もう新橋よ。』
『いいわ。どうかなるわ。けれどあなた一寸新橋の停車場へ電話で聞いて見て下すつても好いわ。あのう、食堂車
添つた道を歩くのであつた。鏡子はお照を新橋から迎へて来て此処を歩いて居た時の自分の其人に対する
べつたり土に坐つて、親子三人は半年前の新橋の悲しい別れを今の事に思つて道端で声を放つて泣いたの
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も来て居た。十年余り前に靜と鏡子が渋谷で新世帯を持つた頃に逢つた限り逢はない昔馴染の小原も来て
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て居た、靜の弟子で株式取引所の書記をして居る大塚も来て居た。十年余り前に靜と鏡子が渋谷で新世帯
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叔母の車に居た。瑞木を膝に乗せた車が麹町へ上つて行く。こんな空想を西洋に居た時に何度鏡子はし
は三宅阪を曲る時にこんな争ひをして居た。麹町の通から市ケ谷へ附いた新開の道を通る時、鏡子は立つ前の
。私は昨日東京を見て感心しちやつたのよ。麹町は好い所ぢやありませんか、ねえお照さん。』
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ににじむその雫を冷く思つたのは十月の末の日比谷の寂しい木立の中を車の進む時であつた。
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になつた時、未だ産後十七日位の身体で神田の小川町へ、榮子に持たせてやる涎掛だの帽子だのの買物に行つた
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預ける事になつた時、未だ産後十七日位の身体で神田の小川町へ、榮子に持たせてやる涎掛だの帽子だのの買物
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云ふ言葉が、東京者に悪い感じを与へるのと、東京の人が軽い意でちよくちよく嘘と云ふ言葉を遣ふのが京
鏡子は京都者の軽い意味で云ふ横着と云ふ言葉が、東京者に悪い感じを与へるのと、東京の人が軽い意でちよくち
『そんなに東京を見くびるものぢやないわ。私は昨日東京を見て感心しちやつたのよ。麹町は好い所ぢやありませんか
『そんなに東京を見くびるものぢやないわ。私は昨日東京を見て感心しちやつたの