安吾の新日本地理 01 安吾・伊勢神宮にゆく / 坂口安吾
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することになっていた。伊東に住む私は前日から小石川の「モミヂ」に泊りこみ、増淵四段と碁をうって大晦日を送ると
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あった。兄は貧乏、弟は富んでいたが、武塔神が宿を乞うと弟は拒絶したが、兄は快く泊めて粟をたい
泊めて粟をたいてモテナシてくれた。八年後に武塔神が再び訪れ誼に報いようと茅の輪をつくって兄の一家に帯びさせた。その
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安吾・伊勢神宮にゆく
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ていられないほど身を切る冷めたさのものだ。神楽殿でニワトリがないている。鶏小屋をのぞきこんだが、暗くて、どんなニワトリだ
四散し、一面に美しい青空一色になろうとしている。神楽殿に灯がともり白衣の人々が起きて働きだしている。我らを見て
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の雑草の行列にドギモをぬかれていたせいで、伊勢では誰にもドギモをぬかれず、雑草の代表選手の行うところを、
があってはハリアイがないこと夥しい。東京の雑草どもも伊勢までは根気がつづかぬらしいと判明すれば、神様に同情したくもなろう
かねるようだ。神代記は云うも更なり、この神宮を伊勢の地に移したという崇神垂仁両朝の記事の如きも、伝説であって
崇神垂仁朝に伊勢に大神宮を移した時には、この神一ツを祀ったのではなく
に天神地祗あらゆる神々を各地に祀ったのであるが、伊勢と並んで大立物と目されるものに大神神社、これが大国主を祀る総本山だ
伊勢の国、宇治山田といえば、大神宮、天皇家の祖神を祭る霊地であり、天皇
いう猿田彦は海岸の住人には人望がなかったらしいな。伊勢からは建国当初海産物の貢物が夥しかったというが、これも猿田彦のニラミで
伊勢は天孫族の祖神を祀る霊地であるというよりも、征服者と被征服者の
私は伊勢へ旅立つに当り、大神宮や猿田彦のほかに、三ツの見学を心がけてい
の胃袋を愛撫してくれるのかも知れない。まことに伊勢は神国である。
伊勢の町々といえば鳥羽へドライブした程度で、あとは車窓から見ただけ
合せという殺風景な汚らしさがつきまとっているようである。伊勢は海から。実にその感が深い。他の土地に於ては、漁村は
が、漁師町の殺風景な汚なさは他と変りがない。伊勢に於ては、その反対で、街道筋の殺風景なのに比べて、はるか南海
庭のような親密なものにもしているであろう。伊勢は海の国。海から育った国。海人の国という感が深いので
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いたのだ。ところがこの元旦に旅客機にのると、箱根をとばずに、伊豆半島を横切り、駿河湾を横断し、清水辺から陸地にかかっ
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がいよいよ皇居前にさしかかった時に、驚くべし。東京駅と二重橋の間だけは、続々とつづく黒蟻のような人間の波がゴッタ返しているの
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であるが、伊勢と並んで大立物と目されるものに大神神社、これが大国主を祀る総本山だ。石上神宮が又曲者で、これもその近い
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名古屋で下車して帰りの特急券を買うために方々うろつく。駅内の案内所が
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ビルのノースウエスト航空会社へ集合することになっていた。伊東に住む私は前日から小石川の「モミヂ」に泊りこみ、増淵四段と碁
。去年の夏ごろから東海道の航空路は変ったらしい。私は伊東に住む故に、分るのである。去年の初夏から、しきりに伊東上空を
とぶようになった。その時までは全く爆音をきかない伊東市だったのである。私はそれを朝鮮事変のせいだと思った。
山中の谷川に比較すれば問題にならぬほど、生ぬるい。伊東の音無川は河床から温泉がわいて甚しく生ぬるい谷川であるが、五十鈴川は
ゴセンタクほど神秘的ではないが、うまいことは確かである。伊東市ではロクな牛肉が手に入らぬから、たしかに松阪牛にはタンノウし
。他の土地に於ては、漁村は小汚いものである。伊東などは漁場のうちでは相当に富裕な方に思われるのだが、漁師町
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目されるものに大神神社、これが大国主を祀る総本山だ。石上神宮が又曲者で、これもその近いころに征服された豪族の氏神の如く
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庚神は猿田彦を祀ったものだという説もある。宇治には北向庚神をはじめ七ツの庚神があるそうだ。このことは
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大国主の大三輪神社その他諸国に数々の大神社、スサノオの八坂神社等々に比べて、神話中の立居振舞相当なるにも拘らず、後世のモテナシ
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のDC四型という四発機。四千五百メートルぐらいの高度で大阪まで往復したのだが、戦前までの航空旅行の概念とはよほど違って
今にも失速して落ちるかと思うこと頻りである。大阪まで一時間で飛ぶ飛行機が、わざわざ二十何分もかかって東京を二周し
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に、三ツの見学を心がけていた。一ツは志摩の海女。一ツは御木本の真珠。一ツは松阪の牛肉。
であるのと並んで最も優秀な海女であるという。志摩の海女はそれに次ぐものだそうだ。
志摩は、日本の建国当初から海草やナマコなどの海産物を夥しく朝廷へ貢物して
私は志摩の海女にあこがれているのである。彼女らの生活にふれてみたいの
志摩の海女も、御木本の真珠もあきらめて松阪へ牛肉を食いに行く。これ又
な海辺に、落着いた聚落があるのである。鳥羽や志摩の入りくんだ湾が、海を荒々しいものではなく、庭のような親密な
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の心細さが身にしみる。ともかく元気になれたのは宇治山田駅へ着いてからで、駅内の交通交社案内所が親切そのものであっ
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なくてアワビの中から現れたというから日本的である。島原の切支丹浪人が天草四郎を担ぎあげて天人に仕立てたとき、アワビの中からクルス
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著名な大神社というものはない。故郷の五十鈴川上の猿田彦神社の如きもチッポケ千万なもの、大国主の大三輪神社その他諸国に数々の大神社
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伊豆の海で年々テングサとりをやっているのは、今では主として
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走っているだけだ。さすがに犬は歩いているよ。後楽園の競輪場も野球場も人がいないし、省線電車の出入口にも人
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て、山田孝雄先生宅へ走ろうとしたが、先生すでに仙台へ去ってなし。時に「鮓久」主人妙な一巻を女中に
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日本歴史というものは、奈良朝以前のことはどこまで信用していいのか全く見当がつけかねるよう
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元来京都祇園社の信仰にもとづくもので、祗園の末社に蘇民社というのが
ている地が他にもあるのか私は知らない。京都では軒並みにチマキを門にぶらさげて魔除けにしているが、蘇民将来
一座、左に菅原道実とある。道実は雷と化して京都をおびやかしたオトドだから、スサノオの命と並んで祀られるのは理の
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ある。生れは兵庫県キノサキ、つまり神戸牛の仔牛。これを和歌山で二三歳まで育て、最後に松阪へつれてきて三月から半年かけ
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た牛ではないのである。生れは兵庫県キノサキ、つまり神戸牛の仔牛。これを和歌山で二三歳まで育て、最後に松阪へつれて
ないのだ。一般の牛に比べれば開きはあるが、神戸牛にくらべれば、そう開きのあるものではない。当然そうあるべきこと
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まで一時間で飛ぶ飛行機が、わざわざ二十何分もかかって東京を二周したのだから。三分もたつと、みんな顔面蒼白と
読売新聞社のビラを空からまくために六百メートルの低空で東京の上空を二周したが、この時だけは参った。図体の大きな
とき呆れたことには、元旦午前というものは、大東京に殆ど人影がないのだね。時々都内電車だけが仕方がねえやと
という明確な証拠があってはハリアイがないこと夥しい。東京の雑草どもも伊勢までは根気がつづかぬらしいと判明すれば、神様