田舎からの手紙 / 田山花袋 田山録弥
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別れて帰る時に、丁寧に草津から伊香保の方へ出て行く路をその父親は教へて呉れたが、その
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、高い山から絶えず吹下してゐます。斑尾山、飯綱山、黒姫山、野尻湖、又は飯田町、長野市など、大正文化の今日もやはり
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いふ有様であります。米や味噌を負つて、渋や田中の温泉へ人々は群を成して行く頃となりました。耳をも劈く
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吹下してゐます。斑尾山、飯綱山、黒姫山、野尻湖、又は飯田町、長野市など、大正文化の今日もやはり昔のまゝの姿
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三国一の善光寺参拝旁、昔を偲ぶ虎之助の墓でも見にお出でになりませんか
君と栄輔君とに案内して貰つて、始めて善光寺に参詣したのであつた。それは野尻湖から戸隠へ上つた帰りで
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家にゐて、そこから学校に通つた。それは牛込の原町の奥になつてゐるやうなところで、三間しかない小さな家だつ
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から絶えず吹下してゐます。斑尾山、飯綱山、黒姫山、野尻湖、又は飯田町、長野市など、大正文化の今日もやはり昔のまゝ
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な風は、高い山から絶えず吹下してゐます。斑尾山、飯綱山、黒姫山、野尻湖、又は飯田町、長野市など、大正文化の
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のがあるが、その椋鳥の一人になつて、父親は江戸に出て、質屋だの、金貸だのゝ僕となつて、そして若い時
の湯の主人であつた男だが、矢張若い頃から江戸へ出て稼いでそして多少の産をつくつた人であつた。その上さん
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は話したさ……。そしてそれが、その三人が四谷の塩町の柳のある湯、それは今でもあるがね。そこの主人
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算盤の裏のずつと下にさがつた処には、小さく長野興業館持主渡辺虎之助と書いてあるのを見まして、益々『秋晴』
屋の娘と関係を結んで、これが、後には長野まで追かけて行つたといふことであつた。
にして、やわらか物に、いつも車といふ勢で、長野と故郷との間を往来した。村の娘達は皆な目を
しかし、かれが長野に、興業館といふ化学染色術の新事業を起した時分は、実際
た多くの算盤の中の一つである算盤、裏に長野興業館主持主と書いてある算盤、その算盤をその一人子の清蔵君が夜学
何うしたかな。何でも五年ほど前に、長野にゐるツて言つたが、今は何処に行つたか誰も知るまい』
は流行りましたな。A村に温泉が湧き出したなんて、長野の新聞までが大袈裟に書いたり何かしましたよ』
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等がその村に行つたり、米三君や虎之助君が東京に出て来たりした年に、もうぢきなるんだよ、その少年
で、田舎の上さんの色の褪せたシヨオルを平気で東京の市中を着て歩いた。学校に行くにもひやめし草履をぺた/
『それがまた面白いんだよ。俺が十六で東京に出て、英語を習ひに、麹町の番長の塾に行つた。さう
のことまで、すべて一人で切つて廻した。栄輔君が東京に脱走したり、柄にもない志を立てたりして金を使つ
の行方が不明になつた。何うも行方がわからない。東京とか他郷とかへ出て行つた形跡は無論ないし、さうかと
は何うかして、その田舎の境遇から脱却して、東京に生活するたつきを得たいと思つた。
を最初にたづねた時には、かれ等は去年とか東京の家をたゝんで、故郷に金を持つて帰つて来てゐて
出は矢張この村のものださうだが、娘時分から東京の八町堀あたりに出てゐたので、何処となくあかぬけが
して生きてゐたつて生き甲斐はありません。まだ、東京に行つて、湯屋の株を買へば、いくらでも立派に暮して行け
『Kさん、是非、近い中に、東京に行きますよ。山の中はもうこり/″\……こんなくらしを
かう染々言つた。かの女は東京を引あげて来る時に、いやだといふのを、爺にだまされ
たことなどがあつたが、その宿屋は今も猶ほ東京にあるが――
その時代に米三君や虎之助君と同じやうにして東京に出て来たことがあつたが、突然Kの家にたづねて来
『東京のKさんですね。まア……』
別に変つたこともしなかつたのである。また東京に出ることも、他の二人に比べては、至つて少なかつたので
『よく辛抱が出来るね。たしか、東京の練馬のもんだね』
たのが急に威張れなくなるのが辛いと言つて、東京に来て、然るべき妾でもさがして、一為事始めたいとその時分
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日清戦役当時、虎之助君の従征の餞別として、九段下の刀剣商に行つて、わざ/\買つて贈つた。
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を譲つて貰つて、そしてそれを抱えて、丁度麹町のいろは牛肉店の奥のところに宿割をさせてゐた虎之助君を
。俺が十六で東京に出て、英語を習ひに、麹町の番長の塾に行つた。さうさな。何処に当るかな。今
の前に見るやうな心持を起させると見える。Kは麹町の英語の塾での遭逢などを再び頭に繰返した。
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虎之助君を思ひ出すと、上野の停車場附近の旅舎と、神田のお成街道の左側の奥にある黒い門と、愛宕下町の三階の
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虎之助君を思ひ出すと、上野の停車場附近の旅舎と、神田のお成街道の左側の奥にある黒い
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隔て、長い鯨の脊のやうな三峰を隔てゝ、千曲川の彼方の高社山の丸い姿が手に取るやうに見えてゐた。