蒲団 / 田山花袋
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こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓塋の大樹の繁茂が心地よき空翠をその一室に漲らした。隣家
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小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠は考え
は、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
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矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳
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残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るよう
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父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった
冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先に父親、次に芳子、次に時雄という順序で
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就いていろいろな空想を逞うした。恋が成立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。
。官吏らしい鰌髭の紳士が庇髪の若い細君を伴れて、神楽坂に散歩に出懸けるのにも幾組か邂逅した。時雄は激昂した心
「神楽坂まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし」を時雄に向って言って
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小細工で、すぐ人の股を潜ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好い
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な琴の音の髣髴をだに得たいと思ってよくこの八幡の高台に登った。かの女を得なければ寧そ南洋の植民地に漂泊しよう
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たこともまるで虚言かも知れぬ。この夏期の休暇に須磨で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め
た。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊にその時
「何アに、須磨の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうです
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「四谷へ買物に」
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神戸の女学院の生徒で、生れは備中の新見町で、渠の著作の
芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。基督教の女
なっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った
昔風の商家の娘が多い。で、尠くとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目を聳たしめた。時雄は姉の
芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれている神津という人
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれて
の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話
ある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に
の悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせ
しても、君はどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什を話して、今までの不心得を謝して、同志社
父親は芳子を伴うて来た。愈※今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして
た。一刻毎に集り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃の光景となっ
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恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨に遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日
行為はない。互に恋を自覚したのは、寧ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる
私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮りにも常識を外れた、他人から誤解されるよう
夏期の休暇に須磨で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに堪え兼ねて女
実は姉さんにおまかせしておいても、この間の京都のようなことが又あると困るですから、芳子を私の家におい
聞糺したかった。今、その男は何処にいる? 何時京都に帰るか? これは時雄に取っては実に重大な問題であっ
森に向って、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所に遊んだ時には湖水に夕日が
その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いて
空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。
で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟かした。平和は一時に
翌日は逢って達って諌めてどうしても京都に還らせるようにすると言って、芳子はその恋人の許を訪うた
は既にこうして出て来た以上、どうしても京都には帰らぬとのことだ。で、芳子は殆ど喧嘩をするまでに
謂うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるの
に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度であった。京都訛の言葉、色の白い顔、やさしいところはいくらかはあるが、多い
この余儀なき頼みをすげなく却けることは出来なかった。時雄は京都嵯峨に於ける女の行為にその節操を疑ってはいるが、一方には
、貴方の仰しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処一二年、娘は猶お世話になりたいと存じており
二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊
今研究すべき題目でないとして却けられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。
の為めに犠牲になれぬということはあるまいじゃ。京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬという
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合で
「それにしても、君はどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什を話して、今までの
て汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思っ
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には行かなかった。社会は日増に進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が
時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値などは解ら
てあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んで
日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛
を自覚したのは、寧ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。
燃えて通った。その田中という二十一の青年が現にこの東京に来ている。芳子が迎えに行った。何をしたか解らん
「ずっと東京に居るんでしょうか」
せずに投遣にしてはおかれん。男がこの東京に来て一緒に歩いたり何かしているのを見ぬ振をし
芳子は恋人に別れるのが辛かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今
と、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中と
なって了ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「先生、本当に困って了ったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止め
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、
して、芳子に廃学させるには忍びん。君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係
「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧ろ関係しない積でお
に好む道に携わりたい。どうか暫くこのままにして東京に置いてくれとの頼み。時雄はこの余儀なき頼みをすげなく却けることは
その恋人が東京に居ては、仮令自分が芳子をその二階に置いて監督して
十日に時雄は東京に帰った。
父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問
もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は
御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい」
ことや、娘の切なる希望を容れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を
も持たぬということ、二三月来飄零の結果漸く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬ
ぬ。何方かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。
はどうしても一緒には置かれぬ。何方かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては
「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
。三年前、青春の希望湧くがごとき心を抱いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等
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で暮している姉の家に寄寓させて、其処から麹町の某女塾に通学させることにした。
その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武の電車の通る土手際で、芳子の書斎はその家
麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない
ならぬと思った。で、午後からは、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
な丈夫でもなく天才肌の人とも見えなかった。麹町三番町通の安旅人宿、三方壁でしきられた暑い室に初めて
車が麹町の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生という
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、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方には時雄の妻君の里の家があるのだが、この
に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞とし
しかも時雄の厳かなる命令に背くわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語
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昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くとのことですもの、私はどんなに驚きましたか知れ
「いいえ、お友達を新橋に迎えに行くんだって、四時過に出かけて、八時頃に
夜ひとり若い女を出して遣る訳に行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。
一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。電報を持って、芳子はまごまごして
しかも互に避けて面にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。
最後の会合すら辞み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候よう
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私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じ
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車が麹町の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ
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父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日
語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一
京橋の旅館に着いて、荷物を纒め、会計を済ました。この家は三