重右衛門の最後 / 田山花袋
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必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷辺の中通に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つてから二年
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下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺を囲む青山の姿とに、既に一方ならず心を奪はれて、世にもかゝる自然
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と自分も言つた。其頃自分は牛込の富久町に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町
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「あれでがすか、あれははア、飯山の向ふの高社山と申しやすだア」
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行つた相だが、間もなく徴兵の鬮が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂を聞いた。
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浴びながら何の彼のと言つて遊び戯れて居るであらう。斑尾山の影が黒くなつて、村の家々より漏るゝ微かな燈火の光!
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一旗挙げる事は難しい身分だから、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私などを見なさ
\、餞別に貰つた金を路銀にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きた
流石は若い頃江戸に出て苦労したといふ程あつて、その人を外さぬ話し振、
為つた事のある男で、それから憤を発して、江戸へ出て、廿年の間に、何う世の荒波を泳いだか、一万
た。けれど……思返して、何うせ死ぬ位なら、江戸に行つて死ぬのも同じだ、死んだ積りで、量見を入れかへ
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「私等ですか、私等は四谷の塩町に居るんでがすア」
「僕も四谷の方に行くんだ!」
富久町に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町は通らなければならぬ。否、四谷の大通には夜などよく
は是非四谷の塩町は通らなければならぬ。否、四谷の大通には夜などよく散歩に出懸る事がある身の、塩町附近の
て、夕の散歩の好時節になると、自分はよく四谷の大通を散歩して、帰りには必ずその柳のある湯屋に寄つてみる
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と自分も言つた。其頃自分は牛込の富久町に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町は通ら
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「信州は長野の在でがすア」
のかゝらぬやうに為るには何でも夜の中に長野に行つて、明日の一番の汽車に乗らなければならぬ。と言ふ
であらうか。二人は言ふのである。自分の故郷は長野から五里、山又山の奥で其の景色の美しさは、とても都会の
些の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と
山師にや、村ではもう懲々して居るだア。長野に興業館といふ東京の山師の出店見ていなものを押立てて
つゝ走つて、何うかして貰ふが好いし、長野でも何うも出来ねえけりや、仕方が無えから、村の顔役が集
「駐在所で、仕末が出来ねえだら、長野へつゝ走つて、何うかして貰ふが好いし、長野でも
してこの大睾丸を治して遣る方法は無いかと、長野まで態々出懸けて、いろ/\医者にも掛けて見たけれど、まだ其
、父親は又父親で、失敗の自棄を医さん為め、長野の遊廓にありもせぬ金を工面して、五日も六日も
が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。
の傍には居られぬ、と一年許して、又長野へ出て行つた。
さの余に、その家に火を放ち、露顕して長野の監獄に捕へらるゝ迄其間の行為は、多くは暗黒と罪悪と
傍若無人といふ有様であつた。其翌年、賭博現行犯で長野へ引かれ、一年ほどまた臭い飯を食ふ事になつたが、二
、其時傍に居た二三人は、事に寄ると長野まで出なければならぬかも知れぬといふ有様。それにも拘らず
午後になつて、漸く長野から判事、検事、などが、警察官と一緒に遺つて来て臨検した
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「僕、僕、富山!」
「富山君か、上んなはれ」
「やア富山……さん!」
「私だつたけれど、……富山君が来たと謂ふから、松本君に頼んで、代つて貰つた
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為めに必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷辺の中通に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つて
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頃の事だから、もう余程古い話だが、其頃麹町の中六番町に速成学館といふ小さな私立学校があつた。英学、独逸
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まアずつと初めから話さう。自分が十六の時始めて東京に遊学に来た頃の事だから、もう余程古い話だが、其
「何時東京に来たのです」
な事を為ないでも、打明けて頼んだなら、公然東京に出して呉れるであらうと思つた……などといふ事を自分
者で、二十九歳の時に夜逃を為て、この東京に遣つて来て、蕎麦屋の坦夫、質屋の手伝、湯屋の三助
全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶暫く東京に滞つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも
どこの子息に似合ねえ堅い子息でごわすア、何でも東京へ行かしつた時にア、それでも四五百も遣つたといふ噂だが
て御座らつしやるだア。貴郎ア、若い者等が東京に出た時懇意に為すつて居た先生だかね……」
はもう懲々して居るだア。長野に興業館といふ東京の山師の出店見ていなものを押立てて、薬材で染物のう
「神さまア、旦那様に吩咐かつて、東京の御客様ア伴れて来たゞア」
体格の大きいかといふ事に思ひ及んだ。これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れた故で
「これは/\東京の先生――好う、まア、この山中に」
だで、村で、割前で金のう集めて、漸く東京から昨日喞筒が出来て来ただア」
「東京から喞筒?」
が来たので、一座の話に花が咲いて、東京の話、学校の話、英語の話、詩の話、文学の話、
ねえと言ふのでもねえ、男と生れたからにや、東京にでも出て一旗挙げて来る様で無けりや、話にも何に
遣つて見さつしやる気は無えかね。私ア、東京にも随分知つてる人も居るだて、一生懸命に為る積なら、いくら
と思ふと、自分が東京に居て、山中の村の平和を思ひ、山中の境の自然を慕
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帯を曳いたやうな銀の色のきらめき、あれは恐らく千曲の流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野
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不利な事ばかり企らんでならぬ故いつそ筵に巻いて千曲川に流して了はうではないかと故老の間に相談された
あらう。と思つて、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!
平和な村の人々に持余されて、菰に包んで千曲川に投込まれようとまで相談された人かと思ふと、自分は悠遠なる
や、仕方が無えから、村の顔役が集つて、千曲川へでも投込んで了ふが好いだ」
例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣といふ処から、妻を娶つたが、この妻といふ
の乱暴を働いた頃にも、その村の相談役で、千曲川に投込んで了へと決議した人の一人であつたといふ。性質