三年 / 斎藤茂吉
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に苦しいおもひをした。病がやうやく癒えたころ、程近い愛宕神社まで散歩して蟻の歩いてゐるのを見る毎に、金瓶村、十右衛門
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の寂しい生活をした。ここに来た時には、蔵王山は雪をいただいて真白であつたが、追々それも消えて夏になつた。警戒
の用意などを為はじめた。それから米空軍の編隊が蔵王山のやや西方の空を通つて、神町の飛行場を襲うたが、日本の飛行機は
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、四月此処に逃げて来る早々に、陸軍軍医学校が山形地方に疎開して来ることになり、上山町の旅館の大部分は軍医学校
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あつたので、訪ねて応急手当を依頼したところが、大久保氏は特別の好意を寄せられ、義歯の割れたところを大急ぎで修繕し
有様であつた。困つてゐると、渋谷美竹町にある大久保歯科医院を教へてくれた人があつたので、訪ねて応急手当を依頼
歯科医院をたづねたが、そのあたり一面が灰燼に帰し、大久保氏の行方も不明であつた。自分は其処を去つた。
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院か廃院の有様であつた。困つてゐると、渋谷美竹町にある大久保歯科医院を教へてくれた人があつたので、
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居ないかも知れない。さうすれば何とかして東京でこの義歯を直して行かねばならない。さう思ひ、これまでかかりつけの
自分は三月九日の大空襲の時には、東京青山の自宅にゐた。浅草観音堂の焼けたあの大空襲である。あの時
自分は今度三年ぶりで東京へ帰つて来た。さうして某日渋谷駅、渋谷駅貨物取扱所をたづねた
の安楽を感じてゐた。五月二十五日には、東京の病院も家も全焼してしまつた。自分の金瓶に行つたころ
居るが、自分は御免をかうむつて寝てゐた。東京であのやうにひどい空襲を経験して来た後なので、金瓶に
真なるものであらねばならぬ。さう思つて自分は東京に帰つて来、灰燼になり果てたほとりに佇立して、当来勝利の
それから三年になつた。さうして自分は東京へ帰つて来た。自分は終戦の年の翌年一月三十日に金瓶
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の大空襲の時には、東京青山の自宅にゐた。浅草観音堂の焼けたあの大空襲である。あの時は自分の病院玄関にも焼夷弾