島木赤彦臨終記 / 斎藤茂吉
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名。あはせて約四十名が枕頭に集つた。北海道の令弟塚原瑞穂さん、それから小原節三、平福百穂、森田恒友、中村憲吉の
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話などをし、時に諧謔談笑した。午餐には諏訪湖の鯉と蜆とを馳走になつた。これは、『どうも何もなくて
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一夜宿つた部屋には炬燵がかけてあつて、そこに諏訪の諸君があたつてゐた。暫くして先づ伴さん、中村憲吉君、
君の顔容が眼前に髣髴としてあらはれて来た。諏訪の諸君も、それから中村憲吉君も、数日来の張りつめた心に幾分
、その他の血族。長野から来られた守屋喜七さん。諏訪の田中一造、五味繁作、森山汀川、両角喜重、丸山東一、藤森省吾、
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た。間もなく、辛うじて身を起し、『明治四十一年浅間山へのぼる。雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野のやま下野の山』
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万古やまのまに。偉霊の水を湛へたる。田沢の湖の水おちて。鰍瀬川とながれたり』云々と低いこゑで云ひ、
巌を貫く根元から。それから、行つて見たかや田沢の湖へ、そこの浮木の下のみづ。かういふのは幾らでも出ます。
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雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野のやま下野の山』『明治四十一年十一月とおぼえておけ。日本新聞に出てゐる』と
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いやになつた』といつたさうである。十八日に摂津国を立つた中村君は、十九日に※蔭山房に著いた。その時赤彦
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十一時幾分かの上諏訪発の汽車で、中村憲吉君は摂津に向ひ、僕等は東京に立つた。平福百穂、岩波茂雄、土屋文明
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少しおくれて東京から高田浪吉、辻村直の両君が立ち、神戸から加納暁君が立つた。
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する、と云つた調子ですね』『天にそびゆる秋田の杉も巌を貫く根元から。それから、行つて見たかや田沢
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。赤彦君の親しい友である守屋さんは病をおして長野から来てゐたのである。
の田鶴さん、弟の葦穂さん、その他の血族。長野から来られた守屋喜七さん。諏訪の田中一造、五味繁作、森山汀川
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東京から来た金原省吾、白水吉次郎、鹿児島寿蔵の諸君。京都から来た宇野喜代之介、竹尾忠吉の諸君。それに上に記した
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皆作の諸君。東京から来た金原省吾、白水吉次郎、鹿児島寿蔵の諸君。京都から来た宇野喜代之介、竹尾忠吉の諸君。それ
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に到著した筈である。廿日夜、土屋文明君が東京を立つた。
大正十五年三月十八日の朝、東京から行つた藤沢古実君が、※蔭山房に赤彦君を見舞つた筈で
たまたま上京した結城哀草果君も同道した。少しおくれて東京から高田浪吉、辻村直の両君が立ち、神戸から加納暁君が立つた。
汽車で、中村憲吉君は摂津に向ひ、僕等は東京に立つた。平福百穂、岩波茂雄、土屋文明、高田浪吉の諸君同道で
布半には東京から来た人々はもう誰も宿つてゐなかつた。赤彦君は
東一、藤森省吾、両角丑助、堀内皆作の諸君。東京から来た金原省吾、白水吉次郎、鹿児島寿蔵の諸君。京都から来た宇野
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へのぼる。雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野のやま下野の山』『明治四十一年十一月とおぼえておけ。日本新聞
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翌廿五日午過ぎの新宿発の汽車で、岡麓さんは今井邦子さん、築地藤子さん、阪田幸代