念珠集 / 斎藤茂吉
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、あれは無理だ。羅馬は無論巴里に行つても、倫敦、伯林に行つても、さういふ邪気の無い絵はいくつも描いてある。
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大正十四年八月に、比叡山のアララギ安居会に出席して、それから先輩、友人五人の同行で高野山
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蔵王山の麓に湧出る硫黄泉の湯尻が、一つの大きい滝瀬をなして流れてゐる。
負うて、青根温泉に湯治に行つたことがある。青根温泉は蔵王山を越えて行くことも出来るが、その麓を縫うて迂回して行くことも
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歿した。それは大正十二年七月すゑで、日本の関東に大地震のおこる約一ヶ月ばかり前のことである。
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も、徳川の世を超え、豊臣、織田、足利から遠く鎌倉の世までも溯ることが出来るであらう。『葦谷地』といふから、その
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に出席して、それから先輩、友人五人の同行で高野山にのぼつた。登山自動車の終点で駕籠に乗らうとした時に
人一日へいきん二万人以上づつ有由。午後一時より高野山より下り高野口駅え午後四時に著。是より粉河駅え著。かなも館支店
これを見ると、父は十年前に高野山にのぼり偶然にも北室院に宿泊して、宿料が一円五十銭なの
三回忌に当る都合である。父の日記に拠ると、高野山を半日参詣して直ぐその午後には下山して居る。仏法僧鳥を聞かうとも
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、かういふ事も漏らさず、極く簡単に記してある。青根温泉に行つたときのことを僕は極めて幽かにおぼえてゐる。父を追慕し
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廿三日。天気吉。伝右衛門、おひで、広吉、赤湯入湯に行。九月朔。伝右衛門、おひで、広吉、赤湯入湯かへる』
に行。九月朔。伝右衛門、おひで、広吉、赤湯入湯かへる』。ここでは、父母が僕を連れて青根温泉に行つたことを
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を流れる川は米沢境の分水嶺から出てくるもので、山形の平野に出てから遂に最上川に入るのであるが、これは淡水で
県令が赴任するとたうとう小山の中腹を鑿開いて山形から上山を経て米沢の方へ通ずる大街道が出来た。早坂新道と村
。それは森文部大臣が東北の学校を視察して、山形から上山に行くために早坂新道を通られるといふ日であつた。僕
どうしてもそれを買つて呉れない。僕らは山形の街に入つた。僕は幾たびも頼むが父は承諾しない。
もう山形の街も近くなつたころ、当時の中学校で歴史を担任してゐる教諭
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てゐたとおもふが、あれは無理だ。羅馬は無論巴里に行つても、倫敦、伯林に行つても、さういふ邪気の無い絵
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酣になつた時であつただらう。夜半を過ぎて秋田の聯隊司令部から電報がとどいた。そのとき兄嫁などはぶるぶるふるへて口が
日露の役には長兄も次兄も出征した。長兄は秋田の第十七聯隊から出征し、黒溝台から奉天の方に転戦してそこで
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ゐたとおもふから、舞台は倉座敷であつたらしい。仙台から湯治に来てゐる媼なども交つて芝居をした。その時
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枚、菅野弥五右衛門。金二十銭外に味噌一重、金沢治右衛門。金十銭、鈴木庄右衛門。金十銭、鈴木作兵衛。金十銭
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穉い僕には分からない。それから大分経つて僕は東京にのぼるやうになり、好んで浪花節を聞いた。浪花節かたりは、『せめて
たなどといふ逸話も伝へられた。その男は僕が東京に来てからも年取つて未だ存命して居つたが余程前に
過ぎて、十月のすゑに行つた。けれども僕は東京の事情に礙げられて列席することが出来ないので、そのことをも