写生紀行 / 寺田寅彦
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冗談を言って笑わしていた。「学校はどこ……小石川?、○○? △△?……」などと女学校の名前らしいものを
た答えを与えないでただ笑っていた。どうして小石川という見当をつけたかが私には不思議に思われた。それぞれのエキスパート
かと思われた。そう言われるとなるほどなんとなく小石川らしくも思われない事はなかった。
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玉川の川原では工兵が架橋演習をやっていた。あまりきらきらする河原には
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建てた妙な屋台造りに生き人形が並べてあった。鞍馬山で牛若丸が天狗と剣術をやっているのがあった。その人形の色彩から
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外にはさらに清く澄みきった空の光の下に、武蔵野の秋の色の複雑な旋律とハーモニーが流れて行った。
まで行った。名前だけで想像していたこの渡し場は武蔵野の尾花の末を流れる川の岸のさびしい物哀れな小駅であったが、
てわが大東京はだらしなく無設計に横に広がって、美しい武蔵野をどこまでもと蚕食して行くのである。こんなにしなくても市中
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ベルリンの郊外でまだ家のちっとも建たない原野に、道路だけが立派にみがいたアスファルト
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(大正十一年一月、中央公論)
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駒沢村というのがやはりこの線路にある事も始めて知った。頭の中で
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を乗り回す必要などはないように思われる。しかしどうもこの東京の街頭に画架をすえて、往来の人を無視してゆっくり落ち着いて、
どこかの人」であったのである。このぶんなら東京の町中でもどうやら写生ができそうな気もした。
時にこの絵の具箱をぶら下げて歩いている自分がいかにも東京ののらくら者に見えるので心細かった。とうとう鉄道線路のそばの崖の上
三味線をさらっている音も聞こえた。こうしてわが大東京はだらしなく無設計に横に広がって、美しい武蔵野をどこまでもと蚕食して
思うに「場末の新開町」という言葉は今の東京市のほとんど全部に当てはまる言葉である。
十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた
世田が谷という所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまで
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まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのものがきょう
てみようかという話をした事を思い出して、とにかく大宮まで行ってみる事にした。絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて
た。このあいだM君と会った時、いつかいっしょに大宮へでも行ってみようかという話をした事を思い出して、とにかく
小さな声で言っているのであったがさすがにきのうの大宮の車夫とはちがって、絵の中の物体を指摘したりしないで
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で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのもの
たのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも
停車場まで来ると汽車はいま出たばかりで、次の田端止まりまでは一時間も待たなければならなかった。構外のWCへ行って
田端へ着くともういよいよ日が入りかけた。夕日に染められた構内は朝見
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古い布切れとを風呂敷で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車
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「赤羽で今電気をたくところをこさえているが、それができるとはや…
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十月十八日、火曜。午後に子供を一人つれて、日暮里の新開町を通って町はずれに出た。戦争のためにできたらしい小
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十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いて
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十一月十日、木曜。池袋から乗り換えて東上線の成増駅まで行った。途中の景色が私には非常に