幕末維新懐古談 11 大火以前の雷門附近 / 高村光雲
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た方が水道尻、日本堤から折れて這入ると大門、大江戸のこれは北方に当る故北国といった。
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を烏有に帰してしまいました。浅草始まっての大火で雷門もこの時に焼けてしまったのです。此所で話が前置きをして
件となるのですが、その前になお少し火事以前の雷門を中心としたその周囲の町並み、あるいは古舗、またはその頃の名物
まず雷門を起点にして、現今の浅草橋(浅草御門といった)に向って
から田町、田町を突き当ると日本堤の吉原土手となる。雷門に向って右が吾妻橋、橋と門との間が花川戸、花川戸を通り抜けると
それから雷門に向って左の方は広小路です。その広小路の区域が狭隘になった辺
町になる。それを出ると本願寺の東門がある。まず雷門を中心にした浅草の区域はざっとこういう風であった。
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行くと、最初が並木(並木裏町が材木町)それから駒形、諏訪町、黒船町、それに接近して三好町という順序、これをさらに南へ
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順序、これをさらに南へ越すと、蔵前の八幡町、森田町、片町、須賀町(その頃は天王寺ともいった)、茅町、代地、左衛門
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(例)浅草御門
たのです。此所で話が前置きをして置いた浅草大火の件となるのですが、その前になお少し火事以前の雷門を
から出火して浅草一円を烏有に帰してしまいました。浅草始まっての大火で雷門もこの時に焼けてしまったのです。此所
の四ツ時(午後十時)浅草三軒町から出火して浅草一円を烏有に帰してしまいました。浅草始まっての大火で雷門もこの
十二月十四日の夜の四ツ時(午後十時)浅草三軒町から出火して浅草一円を烏有に帰してしまいました。浅草始まって
石切河岸という。名人是真翁の住居があった)、浅草御門という順序となる。観音堂から此所までは十八町の道程です
まず雷門を起点にして、現今の浅草橋(浅草御門といった)に向って南に取って行くと、最初が並木
山谷、例の山谷堀のある所です。それを越えると浅草町で、それからは家がなくなってお仕置場の小塚原……千住となり
は境内で、淡島のお宮、花やしき、それを抜けると浅草田圃で一面の青田であった。
の邸宅があった。そのも一つ先になると、浅草溜といって不浄の別荘地――これは伝馬町の牢屋で病気に罹っ
出ると本願寺の東門がある。まず雷門を中心にした浅草の区域はざっとこういう風であった。
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して三好町という順序、これをさらに南へ越すと、蔵前の八幡町、森田町、片町、須賀町(その頃は天王寺ともいった)
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まず雷門を起点にして、現今の浅草橋(浅草御門といった)に向って南に取って行くと、最初
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で、それからは家がなくなってお仕置場の小塚原……千住となります。
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は広小路です。その広小路の区域が狭隘になった辺から田原町になる。それを出ると本願寺の東門がある。まず雷門を中心にし