幕末維新懐古談 62 佐竹の原繁昌のはなし / 高村光雲

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地名一覧

鎌倉

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尺あった。奈良の大仏よりは一丈ほど小さいが、鎌倉の大仏よりよほど大きなもの、今日では佐竹の原も跡形なくちょっと今の人

江戸

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、蛇や蛙やなどの巣で、人通りも稀で、江戸の繁昌が打ち毀されたままで、そうしてまた明治の新しい時代が形に

下谷

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(例)下谷

下谷西町で相変らずコツコツと自分の仕事を専念にやっている中に、

その頃(明治十八年の頃)下谷に通称「佐竹原」という大きな原がありました。この原の中

三味線堀です。東方が竹町と七軒町の界でこの堀が下谷と浅草の界だと思います。七軒町の取っ附きまでが一丁半位、

奈良

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八角形の下台ともに高さが四丈八尺あった。奈良の大仏よりは一丈ほど小さいが、鎌倉の大仏よりよほど大きなもの、今日

東京

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となってぼうぼうと雑草が生え、地面はでこぼこして、東京の真ん中にこんな大きな野原があるかと思う位、蛇や蛙やなどの

浅草

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です。東方が竹町と七軒町の界でこの堀が下谷と浅草の界だと思います。七軒町の取っ附きまでが一丁半位、南北は

行くと生駒屋敷の裏門となる。西町の通りを真直に浅草の方へ向いて行けば左側が七軒町、右が小島町で今の楽山堂

御徒町

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西町から佐竹の原へは二丁もない。向う側は仲御徒町で、私の宅からは初めての横町を右に曲り、これを真直に

上野

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が皆佐竹の原へ行くのだということ。花時に上野の方へ人出の多いは不思議がないが、昼でも追い剥ぎの出そう