幕末維新懐古談 63 佐竹の原へ大仏を拵えたはなし / 高村光雲
地名一覧
湯島
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していました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島の男坂の方へ曲って中ほど(今は黒門町か)に住んでいました
亀井町
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板ではしようもない。そこで、考えて、神田の亀井町には竹笊を拵える家が並んでおりますから、其所へ行って唐人笊
熊本
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た。この野見氏の親父さんという人は、元、熊本時代には興業物に手を出して味を知っている人でありまし
人で野見長次という人がありました。これは肥後熊本の人で、店は道具商で、果物の標本を作っていました
奈良
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五丈八尺という口上、一丈だけさばを読んで奈良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文先生
上野広小路
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は鉄筆で筒を刻って職業としていました。上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島の男坂の方へ曲って中ほど(今
御徒町
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ということになりました。で、御徒町にいた仕事師へ相談をすると、これは私どもの手で組み立てが
千住
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そこで、兄は竹屋から竹を買い出して来る。千住の大橋で真ん中になる丸太を四本、お祭りの竿幟にでもなり
神田
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ず、板ではしようもない。そこで、考えて、神田の亀井町には竹笊を拵える家が並んでおりますから、其所へ行っ
上野
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、一体どんな容子に見えるものだろうと思いましたので、上野の山へ行って見ました。ちょうど、今の西郷さんのある処が