幕末維新懐古談 78 谷中時代の弟子のこと / 高村光雲
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。或る時は私の作の狆を手本にして、伊豆から出る沢田石で模刻させて見ると、どうやらこなして行きます。石に
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その丹念なことに到っては驚くばかりでした。後に大阪に帰り、京阪地方で彫刻家の牛耳を取るようになりました。宅にいる
を恩にしていたと見え、或る年、家内が大阪見物に参った折など別して親切にしてくれたそうで、私も昔の
祥雲氏は精密なものが特に得意であったが、或る大阪の商人から頼まれ、興福寺の宝物の華原磬(鋳物で四疋の竜
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この人は出雲の国、安来の人、この頃流行っている安来節の本場の生まれの人であり
はない。……というのは、米原氏の出生地は出雲であって、松平不昧侯や小林如泥、荒川鬼斎などの感化が土地の
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特に得意であったが、或る大阪の商人から頼まれ、興福寺の宝物の華原磬(鋳物で四疋の竜が絡んだもの)というもの
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さて、谷中(茶屋町)時代になって俄に弟子が殖えました。
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たけれども、好い師匠がないので困っている中、京都で彫金家の海野美盛氏を知り、かねての希望を話して相談すると
方で行く行くは好い棟梁になるつもりであったが、京都、奈良を遍歴してしきりと古彫刻を見て歩いている中に、
そうでなければ、なかなか一介の大工さんが志を立て、京都、奈良の古美術を見て歩き他日の成業を期する基を作るなどいう心掛け
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行く行くは好い棟梁になるつもりであったが、京都、奈良を遍歴してしきりと古彫刻を見て歩いている中に、どうも
なければ、なかなか一介の大工さんが志を立て、京都、奈良の古美術を見て歩き他日の成業を期する基を作るなどいう心掛けはなかなか
或る奈良の宮家へ下されたそうですが、それをまた奈良の新薬師寺の尼さんが御ねだりして拝領して、今は同寺の
と見え宮内省の御用品となりました。後に或る奈良の宮家へ下されたそうですが、それをまた奈良の新薬師寺の尼
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これは私がもはや浪人しておらんからで、東京美術学校へ奉職して、どうやら米櫃には心配がなくなったからであり
ておりますとの事に、雲海氏も大いに安心して東京へ出て来たのでありました(雲海氏に妻子のあったこと
あった身ですから、妻子にも自分の覚悟を話し、東京へ出て彫刻を三年間修業して来るから、その間留守をよろしくたのむ
相談すると、君にそういう固い決心があるのなら、東京の高村先生に僕がお世話をしようというので雲海氏は大いによろこび、
弟子の中で最も変ったところのある人であった。東京へ出るまでには、故郷で大工をしていた。主に絵図引きの
氏は日頃から望んでいることですから、早速、北条から東京へ出て来て、私を尋ねて参りました。無論、相当石屋の
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ようになってからも、上京早々のこと故、上野、浅草と少しは見物もして歩きたいのは誰しも人情であろうが、私
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て来るようになってからも、上京早々のこと故、上野、浅草と少しは見物もして歩きたいのは誰しも人情であろうが