幕末維新懐古談 19 上野戦争当時のことなど / 高村光雲
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に天野という大きな水茶屋がある。甘泉堂(菓子屋)、五条の天神、今の達磨は元岡村(料理店)それから山下は、今の上野
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の大通り一帯も、なかなか安閑とはしていられない。吾妻橋は一つの関門で、本所一円の旗本御家人が彰義隊に加勢をする恐れ
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中は到る処、溝渠が開き、特に、下谷からかけ、根岸、上野界隈の低地は水が附いて脛を没し、往来も容易でないと
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月頃もまるで梅雨の如く、びしょびしょと毎日の雨で、江戸の市中は到る処、溝渠が開き、特に、下谷からかけ、根岸、上野
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、江戸の市中は到る処、溝渠が開き、特に、下谷からかけ、根岸、上野界隈の低地は水が附いて脛を没し、往来
駒形町より森下へ出て、今の楽山堂病院の所から下谷御徒町にきれ、雁鍋の背後へ出ようというのですから、七軒町の酒井
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上野戦争当時のことなど
年辰年の五月十五日――私の十七の時、上野の戦争がありました。
到る処、溝渠が開き、特に、下谷からかけ、根岸、上野界隈の低地は水が附いて脛を没し、往来も容易でないという
、飛んでもない世の中になって来ましたぜ。明日上野に戦争があるそうですよ。いくさが始まるんだそうで」
「上野ですよ。上野へ彰義隊が立て籠っていましょう。それが官軍と手合わせを始めるんだそう
「上野ですよ。上野へ彰義隊が立て籠っていましょう。それが官軍と手合わせを
附いて困ったことは、ちょうど、そのいくさのあるという上野の山下の雁鍋の真後ろの処(今の上野町)に裏屋住まいを
なぞ師匠は私たちにも話しておられたが、ふと、上野で戦争ということで気が附いて困ったことは、ちょうど、そのいくさ
だろうと、私は松と話しながら、練塀へ突き当って、上野町の方へ曲がって行こうとすると、其所に異様な風体をし
。すると間もなく、十時頃とも思う時分、上野の山の中から真黒な焔が巻き上がって雨気を含んだ風と一緒に
。其所にも此所にも家根や火の見へ上がって上野の山の方を見て何かいっている。すると間もなく、
ない変な心持であります。私たちは二階へ上がって上野の方を見ている。音響は引っ切りなしに続いて四隣を震動させ
ておりますと、ドドーン/\/\という恐ろしい音響が上野の方で鳴り出しました。それは大砲の音である。すると、
切通し、榊原の下屋敷、今の岩崎の別荘の高台から、上野の山の横ッ腹へ、中堂を目標に打ち込んだ大砲が彰義隊の
の達磨は元岡村(料理店)それから山下は、今の上野停車場と、その隣りの山ノ手線停留場と、その脇の坂本へ行く道が
もう半分分捕りでもする気になり、勝手に振る舞い、果ては上野の山の中へ押し込んで行き、もう取るものがないと見ると、お
とにかく、上野の戦争といっても、私が目撃したことは右の通り位の
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より森下へ出て、今の楽山堂病院の所から下谷御徒町にきれ、雁鍋の背後へ出ようというのですから、七軒町の酒井大学
停車場の向う側は山下町、その先の御徒町の電車通りの角に慶雲寺がある。この寺は市川小団次の寺で法華
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さて、我々の方面はどうかというと、浅草の大通り一帯も、なかなか安閑とはしていられない。吾妻橋は一つ
なり、私が妻君の伴をして立ち退きましたが、浅草見附へ行くと、番兵がいて門は閉まって通ることが出来ない。
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寒さは酷しい。師匠の家では、万一を気遣い、日本橋小舟町の金屋善蔵というのへ、妻君と子供だけは預けようということ