俊寛 / 芥川竜之介

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地名一覧

鹿ヶ谷

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後、御近習は皆逃げ去った事、京極の御屋形や鹿ヶ谷の御山荘も、平家の侍に奪われた事、北の方は去年の

云うても好い。女房に横面を打たれたのも、鹿ヶ谷の山荘を仮したのも、しまいにこの島へ流されたのも、

仁和寺

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第七の王子、二品中務親王、六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、

熊野

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にはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野にも一本、厳島にも一本、流れ寄ったとか申していました

に、神信心を始めたではないか? それも熊野とか王子とか、由緒のある神を拝むのではない。この島の

は一心に、岩殿詣でを続け出した。それも岩殿を熊野になぞらえ、あの浦は和歌浦、この坂は蕪坂なぞと、一々名をつけ

丹波

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さを忘れるには、一しょに流された相手が悪い。丹波の少将成経などは、ふさいでいなければ居睡りをしていた。」

京極

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が御捕われなすった後、御近習は皆逃げ去った事、京極の御屋形や鹿ヶ谷の御山荘も、平家の侍に奪われた事、北

中務親王、六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、こう云う俊寛一人じゃが、

、北の方の御心配も御存知ないのか、夜は京極の御屋形にも、滅多に御休みではなかったのです。しかし御主人は

で来た。姫や若の顔、女房の罵る声、京極の屋形の庭の景色、天竺の早利即利兄弟、震旦の一行阿闍梨、本朝

六波羅

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気が狂ったのかと思うたくらいじゃ。その内に六波羅から使に立った、丹左衛門尉基安は、少将に赦免の教書を渡した。

福原

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に違いない。が、おれは莫迦莫迦しかったから、ここには福原の獄もない、平相国入道浄海もいない、難有い難有いとこう

奥州

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ばかりも行わぬらしい。もっともこれは岩殿には限らぬ。奥州名取郡笠島の道祖は、都の加茂河原の西、一条の北の辺に

奈良

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の御家族の中でも、たった一人姫君だけが、奈良の伯母御前の御住居に、人目を忍んでいらっしゃる事、――そう云う

都には草のゆかりも枯れはてて、……当時は奈良の伯母御前の御許に侍り。……おろそかなるべき事にはあらねど