大導寺信輔の半生 ――或精神的風景画―― / 芥川竜之介
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大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つも
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江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網
何か微妙に静かだった。彼はこう言う往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「
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残していた。彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散歩
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大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は
に憂欝を感ぜずにはいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め
彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木
信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂埃りにまみれてい
から、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂埃りにまみれていた。が、幼い信輔に自然の美しさ
が、幼い信輔に自然の美しさを教えたのはやはり本所の町々だった。彼はごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だっ
育った少年だった。田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はこう言う育ちかたをした彼には少しも興味
の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町々には限らなかった。本も、――彼の小学時代に何度も
にかすかに息づいている自然を愛した。三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、―
を、「闇のかた行く五位の声」を、――本所の町々の教えなかった自然の美しさをも発見した。この「本から
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を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木曾の自然は常に彼
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の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を
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日の光を受けた九段坂の斜面を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかった。彼は――十二歳の小学生は
覚えている。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の
に彼には悲劇だった。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒一軒覗いて行った。その内に或古本屋に