大正十二年九月一日の大震に際して / 芥川竜之介

大正十二年九月一日の大震に際してのword cloud

地名一覧

飛鳥山

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この日、避難民の田端を経て飛鳥山に向ふもの、陸続として絶えず。田端も亦延焼せんことを惧れ

鎌倉

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大正十二年八月、僕は一游亭と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となつた。僕等の座敷の軒先はずつと藤棚

一游亭と鎌倉より帰る。久米、田中、菅、成瀬、武川など停車場へ見送りに来る。一時

暑気甚し。再び鎌倉に遊ばんかなどとも思ふ。薄暮より悪寒。検温器を用ふれば八度

の報あり。又横浜並びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる知友を思ひ、心頻りに安からず。薄暮円月堂の帰り報ずるを聞け

丸の内

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僕は丸の内の焼け跡を通つた。此処を通るのは二度目である。この前来

僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦

を見ても落つる涙は」と云ふのがあります。丸の内の焼け跡を歩いた時にはざつとああ云ふ気がしました。水木京太

。が、俗悪な東京を惜しむ気もちは、――いや、丸の内の焼け跡を歩いた時には惜しむ気もちにならなかつたにしろ、今は

横浜

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の親戚を見舞はしむ。東京全滅の報あり。又横浜並びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる知友を思ひ、心頻りに安から

江戸

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の心の底には幾分か僕の軽蔑してゐた江戸つ児の感情が残つてゐるらしい。

と速断してはいけません、僕は知りもせぬ江戸の昔に依依恋恋とする為には余りに散文的に出来てゐるのですから

日比谷公園

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を有するものにあらず。大震と猛火とは東京市民に日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめたり。もし救護にして至ら

日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめし境遇の惨は恐るべし。

東京

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僕等の東京に帰つたのは八月二十五日である。大地震はそれから八日目

軒を数ふ。また月見橋のほとりに立ち、遙かに東京の天を望めば、天、泥土の色を帯び、焔煙の四方に

夜また円月堂の月見橋のほとりに至れば、東京の火災愈猛に、一望大いなる熔鉱炉を見るが如し。田端、日暮里、渡辺町

に請ひ、牛込、芝等の親戚を見舞はしむ。東京全滅の報あり。又横浜並びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる

東京の天、未だ煙に蔽はれ、灰燼の時に庭前に墜つるを見る

食はしめたり。もし救護にして至らざりとせば、東京市民は野獣の如く人肉を食ひしやも知るべからず。

人間に愛憐を有するものにあらず。大震と猛火とは東京市民に日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめたり。もし救護に

ことなければなり。鶴と家鴨とを食へるが故に、東京市民を獣心なりと云ふは、――惹いては一切人間を禽獣と選ぶ

四 東京人

東京に生まれ、東京に育ち、東京に住んでゐる僕は未だ嘗て愛郷心なるものに同情を感じた覚えはない

東京に生まれ、東京に育ち、東京に住んでゐる僕は未だ嘗て愛郷心なるものに同情を感じ

東京に生まれ、東京に育ち、東京に住んでゐる僕は未だ嘗て愛郷心なるもの

。兎角東京東京と難有さうに騒ぎまはるのはまだ東京の珍らしい田舎者に限つたことである。――さう僕は確信してゐ

ある。東京を愛するのもこの例に洩れない。兎角東京東京と難有さうに騒ぎまはるのはまだ東京の珍らしい田舎者に限つたこと

である。東京を愛するのもこの例に洩れない。兎角東京東京と難有さうに騒ぎまはるのはまだ東京の珍らしい田舎者に限つた

厄介にもならない限り、云はば無用の長物である。東京を愛するのもこの例に洩れない。兎角東京東京と難有さうに騒ぎ

ある。僕はその時話の次手にもう続続罹災民は東京を去つてゐると云ふ話をした。

と云ふと、或は気楽さうに聞えるかも知れない。しかし東京の大火の煙は田端の空さへ濁らせてゐる。野口君もけふは

五 廃都東京

加藤武雄様。東京を弔ふの文を作れと云ふ仰せは正に拝承しました。又お

落つる涙は」と云ふ気のしたことです。僕の東京を弔ふ気もちもこの一語を出ないことになるのでせう。

もその辺はぼんやりしてゐます。僕はもう俗悪な東京にいつか追憶の美しさをつけ加へてゐるやうな気がしますから

の前に俗悪な東京を思ひ出しました。が、俗悪な東京を惜しむ気もちは、――いや、丸の内の焼け跡を歩いた時には惜しむ

つたのです。僕はこの急劇な変化の前に俗悪な東京を思ひ出しました。が、俗悪な東京を惜しむ気もちは、――いや、

なのです。その東京はもう消え失せたのですから、同じ東京とは云ふものの、何処か折り合へない感じを与へられてゐまし

も、薄羽織を着てゐた東京なのです。その東京はもう消え失せたのですから、同じ東京とは云ふものの、何処か折り

はかぶつてゐても、薄羽織を着てゐた東京なのです。その東京はもう消え失せたのですから、同じ東京とは云ふ

愛する東京は僕自身の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座に柳の植つてゐた、汁粉屋の代りに

ゐるのですから。僕の愛する東京は僕自身の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座に柳の植つてゐ

は余りに散文的に出来てゐるのですから。僕の愛する東京は僕自身の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座

云ふ訣ぢやありません。僕はこんなにならぬ前の東京に余り愛惜を持たずにゐました。と云つても僕を江戸趣味

ならぬ前の東京を思ひ出した為であります。しかし大いに東京を惜しんだと云ふ訣ぢやありません。僕はこんなにならぬ前の

云ふ気のしたのは、勿論こんなにならぬ前の東京を思ひ出した為であります。しかし大いに東京を惜しんだと云ふ訣ぢやあり

また大地震後の東京は、よし復興するにせよ、さしあたり殺風景をきはめるだらう。そのために我我

浜町

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「浜町河岸の舟の中に居ります。桜川三孝。」

田端

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、――殆ど至る処に見受けられたものである。殊に田端のポプラア倶楽部の芝生に難を避けてゐた人人などは、背景にポプラア

、互に子供の守りをしたりする景色は、渡辺町、田端、神明町、――殆ど至る処に見受けられたものである。殊に田端の

タクシイを駆りて一游亭を送り、三時ごろやつと田端へ帰る。

東京の火災愈猛に、一望大いなる熔鉱炉を見るが如し。田端、日暮里、渡辺町等の人人、路上に椅子を据ゑ畳を敷き、屋外

を経て飛鳥山に向ふもの、陸続として絶えず。田端も亦延焼せんことを惧れ、妻は児等の衣をバスケツトに収め

この日、避難民の田端を経て飛鳥山に向ふもの、陸続として絶えず。田端も亦延焼

さうに聞えるかも知れない。しかし東京の大火の煙は田端の空さへ濁らせてゐる。野口君もけふは元禄袖の紗の羽織

浅草

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沢山の死骸のうち最も記憶に残つてゐるのは、浅草仲店の収容所にあつた病人らしい死骸である。この死骸も炎に焼か

新橋

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、菅、成瀬、武川など停車場へ見送りに来る。一時ごろ新橋着。直ちに一游亭とタクシイを駆り、聖路加病院に入院中の遠藤古原

日暮里

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火災愈猛に、一望大いなる熔鉱炉を見るが如し。田端、日暮里、渡辺町等の人人、路上に椅子を据ゑ畳を敷き、屋外に眠ら

銀座

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ざつとああ云ふ気がしました。水木京太氏などは銀座を通ると、ぽろぽろ涙が出たさうであります。(尤も全然センテイメンタル

の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座に柳の植つてゐた、汁粉屋の代りにカフエの殖えない、

湘南

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見舞はしむ。東京全滅の報あり。又横浜並びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる知友を思ひ、心頻りに安からず。