木曽義仲論 / 芥川竜之介
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、革命軍の武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の豪傑、嘯集して其旗下に投じ
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かくの如くにして、平氏政府は、浮島の如く、其根柢より動揺し来れり。然れ共、吾人は更に恐るべき一
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其慣用手段たる、孤軍長駆を以て、突として宇治に其白旄をひるがへしたり。同時に蒲冠者範頼の大軍は、潮の
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にして春風落花に対するが如く、悠長なる能はず。青山に対して大勢を指算するが如く幽閑なる能はず。炎々たる青雲の念
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加ふるに此時に当りて西海に走れる平軍は、四国の健児を麾いて、瀬戸内海の天塹に拠り、羽林の鸞輿を擁するもの
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、短兵疾駆、荘園を焼掠する、数を知らず。園城寺の緇衣軍、南都の円頂賊、次いで動く事、雲の如く、将に、
○同十日 淡路守清房をして、園城寺をうたしむ。山門の僧兵園城寺を扶けて、平軍と山科に戦ふ。
淡路守清房をして、園城寺をうたしむ。山門の僧兵園城寺を扶けて、平軍と山科に戦ふ。
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義仲との間に横はれる勝敗の決は、一に延暦寺が源平の何れに力を寄すべき乎に存したりき。若し、幾千の
飜るの時なかりしやも、亦知るべからず。然れども延暦寺は、必しも平氏の忠実なる味方にはあらざりき。延暦寺は平氏に対して
して、しかも革命軍の軍師なりし大夫坊覚明は、延暦寺に牒して之を誘ひ、山門亦之に応じて、明に平氏に対して
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野心を挾まむ乎、帯甲百万、※鼓を撃つて鎌倉に向はむの日遠きにあらず、是実に頼朝の畏れたる所なりき
、両雄の間に吹けり。頼朝は、旌旗をめぐらして鎌倉に帰れり。而して彼は遂に、久しく其予期したるが如く、豼貅五万、
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信濃、上野、武蔵、相摸に通つて奥広く、南は美濃国に境道一にして口狭し、行程三日の深山也。縦、数千万
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は近江に立ち、別当湛増は紀伊に立ち、源兵衛佐は伊豆に立ち、木曾冠者は信濃に立てり。今や平家十年の栄華の夢
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武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の豪傑、嘯集して其旗下に投じ、剣槊霜の
て恥を決す、兼平こゝにて敵を防ぎ候はむ、まづ越前の国府迄のがれ給へ」と、然れども多涙の彼は、兼平と別るゝに
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烱眼は、瀬戸内海の海権を収めて、四国九州の勢力を福原に集中するの急務なるを察せしなれ。西南二十一国が平氏の守介を有し
り、而して此焦眉の趨勢は遂に、平氏政府に於て福原の遷都を喚起せしめたり。請ふ吾人をして福原の遷都を語らしめよ。
て福原の遷都を喚起せしめたり。請ふ吾人をして福原の遷都を語らしめよ。何となれば此一挙は、入道相国が政治家とし
)見よ、彼は瀬戸内海の海権に留意し、其咽喉たる福原を以て政権の中心とするの得策なるを知れり。彼は南都北嶺の
、甚だ敏、甚だ弘なるを表すものにあらずや。福原の遷都はかくの如く彼が急進主義の経綸によつて行はれたり。然れども彼は
にして、且余りに強靭なりき。約言すれば、福原の遷都は彼が長所によつて行はれ、彼が短所によつて、破れ
はざりき。彼は始めて、旧都の規模に従つて福原の新都を経営するの、多大の財力を費さざる可からざるを見たり。而して
風ふく原の末ぞ」あやふかりき。平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に
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乎。願くは吾人をして、語らしめよ。嘗て、東山東海北陸の三道にわたり、平氏と相並んで、鹿を中原に争ひたる
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詰らしめ給ふや、彼は平氏追討を名として、播磨国に下り、舌を吐くこと三寸、義仲の命運の窮せむとするを喜び
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軍の武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の豪傑、嘯集して其旗下に投じ、剣
掩ふ。維盛僅に血路をひらき、残軍を合して加賀に走り、佐良岳の天嶮に拠りて、再革命軍を拒守せむとし
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を見るよりも明也。退いて洛陽に拒守せむ乎、鞍馬の頑児と、蒼髯の老賊とが、※鼓を打つて来り迫るや
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、彼等が得意の擅場也。彼等は日本のローマ戦士也。彼等は山野の覇王也。然りと雖も、水上の戦に於
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き。平氏が兵糧米を山門領に課せるが如き、厳島を尊敬して前例を顧みず、妄に高倉上皇の御幸を請ひたるが如き
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十二月二日 平知盛等を東国追討使として関東に向はしむ。
に至る、遂に彼が苦衷を了せずンばあらず。関東に源兵衛佐あり、木曾に旭日将軍あり、而して京師に入道相国あり、三個
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兵糧米を、充課したるが如き、はた、平貞能の九州に下りて、徭を重うし、賦を繁うし、四方の怨嗟を招きし
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の驕児入道相国が、六十余州の春をして、六波羅の朱門に漲らしめたる、平門の栄華も、定命の外に出づべからず。
四海に唱へ、幾多慓悍なる革命の健児を率ゐ、長駆、六波羅に迫れる旭日将軍の故郷として、はた其事業の立脚地として、恥ぢ
知る所あらざれども、彼は屡※京師に至りて六波羅のほとりをも徘徊したるが如し。彼は、恐らく、此放浪によりて
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月通盛等の軍、彼と戦つて大に敗れ、退いて敦賀の城に拒ぎしも遂に支ふる能はず、首尾断絶して軍悉く潰走し、
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主ともなりや候はむ。いかさまにも養立てて、北陸道の大将軍ともなし奉らむ」と独語したりき。彼が、雄心勃々と
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思ふに、彼は、鹿ヶ谷の密謀によりて、小松内府の薨去によりて、南都北嶺の反心
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き。何となれば、反心を抱ける行家は、既に河内によりて義仲に叛き、九郎義経の征西軍は早くも尾張熱田に至り、
、彼が、股肱の臣樋口次郎兼光をして行家を河内に討たしむるや、兵を用ふること迅速、敏捷、元の太祖が所謂、
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は来れり、楯六郎親忠は来れり、野州の足利、甲州の武田、上州の那和、亦相次いで翕然として来り従ひ、革命
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寺の荘園を還附し、宣旨を以て三十五ヶ国に諜し興福寺の修造を命ぜしめしが如き、仏に佞し僧に諛ひ、平門の
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若し、彼等にして一度相応呼して立たば、京都は其包囲に陥らざるべからざるを知れり。而して彼が此胸中の画策
月二十三日 入道相国福原の新都を去り、同二十六日京都に入る。
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が此直線的の行動に拠る所なくンばあらず。水戸の史家が彼を反臣伝中の一人たらしめしが如き、此間の心事を
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木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)
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谷を出で谷に入つて思を費す、東は信濃、上野、武蔵、相摸に通つて奥広く、南は美濃国に境道一にし
鋒を転じて上野に入り、同じき十月十三日、上野多胡の全郡を降し、上州の豪族をして、争うて其大旗の
の党)を撃つて大に破り、次いで鋒を転じて上野に入り、同じき十月十三日、上野多胡の全郡を降し、上州
を得たり。是に於て、革命軍の武威、遠く上野、信濃、越後、越中、能登、加賀、越前を風靡し、七州の