金春会の「隅田川」 / 芥川竜之介

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地名一覧

富士見町

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僕は或早春の夜、富士見町の細川侯の舞台へ金春会の能を見に出かけた。と云ふよりも

武蔵野

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は何事にて候ぞ」と云ふ渡し守の詞と共に、武蔵野の草の靡いた中に一条の道の現れるのを感じた。昔の日

隅田川

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金春会の「隅田川」

見に出かけた。と云ふよりも寧ろ桜間金太郎氏の「隅田川」を見に出かけたのである。

五六人、オペラ・グラスなどを動かしてゐる。僕は「隅田川」を見ないうちに、かう云ふドオミヱの一枚じみた看客を見ること

たのは「花筐」か何かの済んだ後、「隅田川」の始まらない前のことである。僕は如何なる芝居を見ても、

ない通り一遍の形容詞ではない。「是は武蔵の国隅田川の渡し守にて候」と云ふ宝生新氏の詞と共に、天さかる

「隅田川」は静かに始まつた。この「静かに」は有無を問はない通り一遍

に聊か現実性の過剰を感じた。つまり旅人は業平以来の隅田川の渡りの水にも、犬の土左衛門の流れ得る事実をちよつと思ひ出させ過ぎ

妙に男ぶりの好い、でつぷり肥つた渡し守は古往今来隅田川に舟などを漕いでゐた筈はない。しかもその堂堂とした渡し守

旅人は痩せたりと雖も、尋常一様の旅人ではない。隅田川の渡りを求めに来た、寂しい何人かの旅人を一身に代表する名誉職

狂女は地謡の声の中にやつと隅田川の渡りへ着いた。けれども男ぶりの好い渡し守は唯では舟へ

足利時代の遺風かとも思つてゐる。僕は兎に角「隅田川」に美しいものを見た満足を感じた。――それだけ云ひさへすれ

その後の「隅田川」を云々することは無用の弁を費すだけである。成程子役を使