大菩薩峠 06 間の山の巻 / 中里介山

大菩薩峠のword cloud

地名一覧

番町

地名をクリックすると地図が表示されます

ているのでありました。その連れというのは、番町の神尾の邸へ集まる例の旗本の次男三男のやくざ者が五人、それ

本郷

地名をクリックすると地図が表示されます

「まあ、誰でしょう、わたしの親類でそんな人――もし本郷の伯母さんでは……」

本郷の伯母さんという人は、お松を島原へ売った人、不人情で慾

「いつぞや、先生のお世話になりました江戸の本郷の……」

十津川

地名をクリックすると地図が表示されます

持って京都まで上って行ったはずであります。京都から十津川までの竜之助はあの通りの竜之助で、饅頭の代りに帯刀をすら差出してしまっ

宇治

地名をクリックすると地図が表示されます

。なお委しくいえば、伊勢音頭で名高い古市の尾上坂と宇治の浦田坂の間、俗に牛谷というところあたりが、いわゆる間の山な

ぞ、ムクを殺すようなことがあれば、この米友が宇治と山田の町へ火をつけて焼き払うからそう思え、宇治と山田の町へ

宇治と山田の町へ火をつけて焼き払うからそう思え、宇治と山田の町へ火をつけたら、手前たちはよくっても大神宮様に申しわけ

「そうだな、宇治から大湊までは一息だが、ここからでは大変だ、逆戻りをして、

長者町

地名をクリックすると地図が表示されます

は、この土地の人にはよくわかるまいが、下谷の長者町へ行って十八文の先生といえば誰にもわかるのであります。

それは仙公を連れて、船大工の与兵衛に送られた長者町の道庵先生でしたから、兵馬も驚いたが、お松の方がいっそう

江戸

地名をクリックすると地図が表示されます

その頃、どこの色里へ行っても、やはり江戸の者がいちばん通りが良かったそうであります。諸大名の家中にも

ずいぶん無いではありませんでしたが、どうしても江戸の旗本あたりのように綺麗にゆかなかったそうであります。それで京都あたり

ものは薩長でもなく、土佐や肥前でもなく、やはり江戸の侍であったということであります。

お伴の仙公は額を叩く。仙公という男は江戸から道庵先生がつれて来た、野幇間とまではいかない代物であります

ああしておけば十日や二十日は持つ、そのうち江戸へ出て来るというから、来たら拙者がところへよこしなさい」

道庵も江戸へ帰るものと見えて、すっかり旅装束になっていました。その時に

「いつぞや、先生のお世話になりました江戸の本郷の……」

て、それから宮へ行こうというのだ、お前さんも江戸へお帰りなら、一緒に舟で行こうではないか」

桑名

地名をクリックすると地図が表示されます

にお世話になってな、せっかくの好意だから、舟で桑名まで送って貰って、それから宮へ行こうというのだ、お前さんも江戸

道庵先生の一行は、与兵衛の仕立ててくれた舟で桑名から宮へ向う。

朝熊山

地名をクリックすると地図が表示されます

「朝熊山の方に巣があるのでしょうよ」

熊野

地名をクリックすると地図が表示されます

乗って逃げようじゃねえか、船へ乗っちまえばお前、熊野へ行こうと宮へ行こうと勝手なもんだ、役人だって、それまで追いかけちゃ

島原

地名をクリックすると地図が表示されます

本郷の伯母さんという人は、お松を島原へ売った人、不人情で慾が深くて、そのくせ口前のよい人。

地名をクリックすると地図が表示されます

雇人が抱き起して見ると凄い、咽喉笛を掻き切ったのは堺出来のよく切れる剃刀で、それを痩せこけた右の手先でしっかり握って、左

伊勢

地名をクリックすると地図が表示されます

伊勢の人は斯様な光栄ある土地に住んでおりながら、どうしたものか「

そんなことはどうでもよろしいが、伊勢の国に乞食の多いことは争われないので、そうしていま申す間の山

が困るばかりでなく、店の方ではなおさら困ります。伊勢の古市のこれこれへ行って盗賊にやられたという噂が立つのは

名を覚えている人があるでありましょう、それは同じ伊勢の国で亀山の生れ、家は相当の家でありますけれども、真三郎という恋人

いました。大神宮様が大和の国笠縫の里からこの伊勢の国五十鈴川のほとりへおうつりになった時、そのお馬について来た

伊勢の海は静かな海で、ことにこれより北へかけての阿漕ヶ浦

お絹の伊勢へ来たのは一人ではありませんでしたが、今は一人で残っ

京都

地名をクリックすると地図が表示されます

のように綺麗にゆかなかったそうであります。それで京都あたりでも、ほんとにあの社会で好かれたものは薩長でもなく、

国三輪の里の親戚へ預けられている間に、京都を漂浪して来た机竜之助と会うことになってしまった。それが

簪を持って京都まで上って行ったはずであります。京都から十津川までの竜之助はあの通りの竜之助で、饅頭の代りに帯刀をすら

た下り藤であったので、竜之助はその簪を持って京都まで上って行ったはずであります。京都から十津川までの竜之助はあの通り

竜之助がはじめて京都へ上る時に、同じこの国の鈴鹿峠の下で、悪い駕籠屋からお豊

下谷

地名をクリックすると地図が表示されます

だけでは、この土地の人にはよくわかるまいが、下谷の長者町へ行って十八文の先生といえば誰にもわかるのであり

住吉

地名をクリックすると地図が表示されます

てなるべく明るいようにして、仔細に見ると、梨子地に住吉の浜を蒔絵にした四重の印籠に、翁を出した象牙の

「梨地に金蒔絵……絵は住吉の浜でございますな」

蔵前

地名をクリックすると地図が表示されます

は御番料を千俵もいただく御典医で、拙は蔵前の旦那衆というような面をしたって誰も咎める者はござんせん

御徒町

地名をクリックすると地図が表示されます

よれば、ずいぶんこれで涙脆いことがありますのよ。あの御徒町の島田虎之助先生とも言われるお方が、人手にかかってお果てなさる