大菩薩峠 19 小名路の巻 / 中里介山

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地名一覧

箱根山

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留めて、そこで盗賊の首領となった。その後、箱根山へ隠れて強盗の張本となった。高坂甚内は、宮本武蔵に就いて剣道の奥儀

かくて高坂甚内は、箱根山に籠って悪事を働いていたが、詮議が厳しく、箱根山の住居もなり難く

番町

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者であるが、近頃、老女の家に寄寓して、番町の斎藤の道場へ通っておりました。しかるにこの三人が、どうも

辰巳

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には、潮来節を上手にうたうものがありました。辰巳に遊ぶ通客は、潮来節の上手な船頭を択んで贔屓にし、引付け

十津川

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曾て、十津川の奥から竜神村へ逃げ込んだ時に、頻りに犬が吠えました。竜神

浜松

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心得ておりました。伊勢から東海道を下る時に、たしか浜松までは、その一管の尺八に余音をこめて旅をして来た

に余音をこめて旅をして来たはずです。浜松へ来て、お絹に逢ってから尺八を捨てました。少しく光明を得

長者町

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ちょうど、この晩のこの時刻に、長者町の道庵先生が茅町の方面から、フラフラとして第六天の方へ向いて

先の好意で注足しをし、その勢いに乗じて、長者町へ帰るべきものを、どう間違ったか柳橋方面へうろつき出したと見るのが

だい、危ねえと言ったのは誰だい、拙者は長者町の道庵だよ、十八文だよ」

、道庵の右に出でる者は無え……道庵が長者町へ巣を食って以来、道庵の匙にかかって命を落した者が

て起き上ったその人は、一見して兵馬もそれと知る長者町の道庵先生でしたから、あいた口が塞がりません。

いうこと、その場へ現われて狼藉者を追い散らしたのが長者町の道庵先生であったというようなことから、辻斬に次での道

「いよう、長者町の先生」

ぶっ放そうというところへ、折よく拙者が通りかかって、憚りながら長者町の道庵だ、と名乗りを揚げて、不足であろうが十八文に免じて

追分

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、江川の印のついた小田原提灯を渡して、新宿の追分から一行と別れてしまいました。

小仏峠

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雲の棚曳いている小仏峠の下を見ると、道の両側に宿場の形をなした人家があります。

ない。例の駕籠がどこから出て来たか、その小仏峠の方を指して一散に飛んで行きます。これもいつのまにか旅仕度を

本所

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ないだけは御報謝をいただきますんでございます。ただいまは本所の報恩寺長屋に御厄介になっているんでございます、長屋でも皆

て来るというのもわからない。また盲目の身で、本所からここまで流して来たというのも充分に不審の価値はあるので

あまりに恥かしくてたまらぬことです。そうかといって、本所の相生町の老女の家へ帰って、誰に面を合せよう。

も申し上げたいと存じております。それで今晩は、これから本所まで、こつこつと歩いて行きたいと存じます。幸い、こちら様が、やはり本所

歩いて行きたいと存じます。幸い、こちら様が、やはり本所の弥勒寺長屋までおいでになる御用がおありなさるとこうおっしゃるものでございます

染井から本所へ行こうとするのは、この二人にとってはかなりの夜道です。もし、

弥勒寺

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ました。しかし門違いにも門違いでないにしても、弥勒寺の門を入って人を尋ねるとすれば、ここはその一軒だけです。

机竜之助は、あの晩から再び弥勒寺の長屋へは帰りませんでした。染井の化物屋敷へも姿を見せた

相生町

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兵馬の語るところによれば、兵馬は、ついこの川向うの相生町の老女の家にいて、今夜は同宿の三人のさむらいを尋ねて、

この苦痛に翻弄されて、へとへとになって相生町の老女の家へ帰って見ると、自分の部屋に人が一人いて、

恥かしくてたまらぬことです。そうかといって、本所の相生町の老女の家へ帰って、誰に面を合せよう。

江戸

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遠見の番所に隠れていたのが、仔細あってこのごろ江戸へやって来た、噂を聞くと、近頃そちは芝の江川のところに

の覚えがあるわけではなく、時は、この物騒な江戸の町の深夜を我物顔に、たった一人で歩くということの、非常

、拙者が目をかけてやったのを忘れやすまい、江戸へ出て来たんなら、出て来たと拙者のところへ、一言の

にもあれば、下坂にもあるし、薩摩にも、江戸にもあるんだ、出来のいいのもあるが、そんなに大したものじゃなかろう

が馴れ合って、こいつを坊主持ちということにして、江戸へのしてしまおうじゃねえか。江戸へ持って行って、こいつをうまく売り飛ばしゃ

ことにして、江戸へのしてしまおうじゃねえか。江戸へ持って行って、こいつをうまく売り飛ばしゃあ、五百や千両の小遣には

その方は抛り出して、伯耆の安綱を持って、これから江戸へ飛び出そうという妥協が成立してしまいました。

ます。二人の足を以てすれば、ほとんど瞬く間に江戸へ飛んでしまうのだが、その途中どう道を枉げたものか、その翌朝

兄貴、こうして坊主持ちも根っから新しくねえ、これから江戸へ着くまで、二人で腕っくらべをやろうじゃねえか、おたがいに出し抜いて

そこで七兵衛も納得したらしい。高尾山から江戸までは、この連中にとっては、ほんの一足であるが、その一足の間

武蔵に預けられた甚内は、その時から武蔵に従って江戸に下り、武蔵が神田お玉ヶ池の近傍に道場を開いた時(武蔵がお玉ヶ池へ

そこを立退いて諸国を徘徊していたが、やがて再び江戸に舞い戻ると赤坂に住居を構え、例によって辻斬、強盗のほかには

から、出し抜こうにも、出し抜くまいにも、あっけないもので、江戸の市中へ入ってしまいました。

江戸の市中へ入って、まもなく二人の姿は昌平橋の袂へ現われまし

甚三郎は、近々に房州へ帰らなければならぬ。このほど江戸へ上って来たのは、洲崎の海岸で船を造らんがために、

で威勢を逞しうしている、かの新撰組の手が江戸へ舞い戻ってでも来るようなら、そのうちにはおのずから竜之助を援護する者も

、人に語って涙を呑んだこともあるはずです。江戸へ着いて、いずれの時かそれを思い起して、帰心矢の如きものあるべき

「このごろは、江戸の市中へ辻斬ということが流行って、行当りバッタリに殺られる人が何人

その晩、江戸の西の郊外を只走りに走っているのは、宇津木兵馬であります。

南条らの一味は、その以前から山崎が江戸へ出るということを探り知って、それを老女の家まで合図をしまし

には、林もあり、森もあり、畑もあり、江戸の郊外が始まろうとするところには、屋敷もあり、人家もあり、火の見の

少し廻り道すぎると思われるけれども、化物屋敷の連中は、江戸の市中へ出るのに好んであちらの方を廻りたがります。二人もまた

「江戸の駒込から来た」

武蔵野

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道を誤れば、月の入るべきところもないという武蔵野の、西の涯まで走らねばならぬ。川越、入間川を経て、秩父

経て、秩父根まで走らなければ、道は窮することなき武蔵野の枯野の末です。

たものです。その道は、行けども涯しのない武蔵野の道ではなく、自ら為すべきことの道を過ったものと見なければ

を弄ぶ風流の人は、わざと月の上らないうちに、武蔵野の外を吹きめぐろうとするものらしい。この短笛の音色が兵馬の頭燃に、

あろうけれど、その歩み行く道筋の光景は更にわかりません。武蔵野の尽くるところには、林もあり、森もあり、畑もあり、江戸

薩摩

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からな、出羽にもあれば、下坂にもあるし、薩摩にも、江戸にもあるんだ、出来のいいのもあるが、そんなに

赤坂

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諸国を徘徊していたが、やがて再び江戸に舞い戻ると赤坂に住居を構え、例によって辻斬、強盗のほかには、表面は剣術

川越

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という武蔵野の、西の涯まで走らねばならぬ。川越、入間川を経て、秩父根まで走らなければ、道は窮することなき武蔵野の

鎌倉

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鎌倉の御所のお庭で、十七小女郎がしゃくを取る、えい、そりゃ、十七

甲州

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酒折宮寿詞」を平田篤胤の筆で書いたものと、甲州の勤王家山県大弐の撰した漢文の碑もある。七兵衛は、左様な委しい

てこの遺子は、祖父の高坂対馬に伴われ、没落の甲州をあとにして、摂州芥川に隠れて閑居しているところへ、祖父の

考えてしまうわけにはゆかない。あれほどの殿様が、甲州をしくじっておいでになったのも女のためであった。その相手の

を尋ねると煙の如くになってしまいます。さりとて今更、甲州でもあるまいし、神尾主膳をたよって行くでもなし、宇治山田の米友

なったものと見れば論はないが、肝腎の早駕籠は甲州の裏表の街道、いずれをも飛んで行く形勢はなくて、意外千万のこと

伊勢

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から、こいつ、おかしいなと思ったんだ――野郎、伊勢の国のことを忘れたか、船大工のうちで、拙者が目をかけてやった

は幼少の時から、それだけは心得ておりました。伊勢から東海道を下る時に、たしか浜松までは、その一管の尺八に余音

甲府城

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は、がんりきの百をところの案内として、甲府城をめざして進んで行ったことも明らかであります。彼等は、甲府の

城下へ着いて見たが、甲府城の内外には別に変ったこともない。今や勤番支配の駒井能登守

と言って、甲府城の大手の前で山崎と別れました。山崎に別れた七兵衛は、あれから

南条、五十嵐らの志士は、甲府城を乗っ取って大事を起さんとし、山崎譲はまた彼等の陰謀の裏

大木戸

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「お代官の江川様へ行く馬方が、大木戸で斬られた」

四谷の大木戸で宰領を斬ったのは誰あろう、兵馬の仕業であります。それを山崎

四谷

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間違いが出来てしまったのは、その身代りの宰領が、四谷の大木戸へかかった時分に、何者とも知れず闇の中から躍り出でたもの

四谷の大木戸で宰領を斬ったのは誰あろう、兵馬の仕業であります。それ

高尾山

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どう道を枉げたものか、その翌朝、二人の姿を高尾山の峰の上で発見するようになりました。

二人が例の刀箱を持って高尾山を下りながら、がんりきの百蔵が、七兵衛に向って、一つの動議

そこで七兵衛も納得したらしい。高尾山から江戸までは、この連中にとっては、ほんの一足であるが、その一足の

諸国の遍歴を志し、その門出に参詣したのがこの高尾山の飯綱権現の社であった。その社の前で、名を甚内と改めて

甲州街道

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の親宿。八王子は、それとは、方面を変えた甲州街道の一駅であります。昨夜、板橋を出ていつのまに八王子へ来

果して甲州街道へ来てしまった。しかし、よく考えてみると甲州街道へ来るのがその目的であったようです。

両国

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て鐘撞堂新道にいるお蝶の声とも思われないし、無論、両国にいる女軽業の親方のお角の声とは聞き取れないから、米友は迷っているの

れは船大工の寅吉ではありません。寅吉とは全く違った両国広小路方面から歩いて来たものです。それも駒井のここにいることを認めて

「甚内様は、後廻しにして、両国へ行ってみようか」

沙汰があったところだけれど、まだ宵の口ではあるし、両国から柳橋まで、ほんの一足のところですから、お伴をつれなくっても心配で

「なんだってお前、こんなところにいたの、両国へ訪ねて来ればいいじゃないか」

「両国へ訪ねて行ったんじゃ、バツの悪いことがあるから、ここに待ち合せていた

から、両国へ行って待っていて下さい。友さん、お前も両国へおいで」

あそこへ行くのはやめましょう、直ぐに帰りますから、両国へ行って待っていて下さい。友さん、お前も両国へおいで」

さいな。ナニ、どっちでもかまわねえんだ、あいつらが両国の方へ行ったから、同じ方へ行くのも癪だ、代地の方へ行きましょうよ」

お角があの晩、おそく両国の小屋へ帰って来た時分に、まだ茂太郎が帰っていませんでしたから嚇とし

申して、よくよく事情をお聞き申してみまするていと、両国の女軽業の一座に出ておいでなさるということですから、こちらの太夫元に

甲府

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のです、それは今に始まったことじゃありません、甲府にいる時もそうでした、あの人は平気で何人でも殺してしまい

とやら。駒井は虫も殺せぬ男のつもりだが、甲府城下ではそれほどに剣呑がられたことがある。辻斬というものは

抜け出でて辻斬を試みるのだろう、さもなければ広くもあらぬ甲府城下のことだから、おおよその見当がつかねばならぬはず……

して斬り捨てて巧みに姿を隠すことのできようものが、甲府の内外にあろうとは思われぬ、新任の駒井能登守が、新刀試し

「拙者が甲府にいる時分、あの城下で、ひとしきり辻斬沙汰が多かった、士分、百姓町人

進んで行ったことも明らかであります。彼等は、甲府の城を拠点として、容易ならぬ陰謀を企てんとしていること

は、がんりきの百をところの案内として、甲府城をめざして進んで行ったことも明らかであります。彼等は、

こそは単身で、あとを追いかけたようなものだが、甲府の地へ足を踏み入れた時は、勤番の武士は一呼して皆

が先手である、と思ったから二人は、無二無三に甲府の城下へ到着しました。

或いは横道をして外らしたものか、それはとにかく、早く甲府の城下へ到着することが先手である、と思ったから二人は、無二

ついに南条、五十嵐らの一行を突き留めることができないで、甲府の城下に着いてしまいました。山崎も七兵衛も、その用心にかけて

城下へ着いて見たが、甲府城の内外には別に変ったこともない。今や勤番支配の駒井

「久しぶりで甲府の土地へ足を入れて、はじめて思い出した事がありますよ」

別れました。山崎に別れた七兵衛は、あれから一直線に甲府の市中を東に走って、まもなく酒折村まで来ると、そこ

と言って、甲府城の大手の前で山崎と別れました。山崎に別れた七兵衛は、

南条、五十嵐らの志士は、甲府城を乗っ取って大事を起さんとし、山崎譲はまた彼等の陰謀

です。お銀様が写経の心願を起したのは、甲府の躑躅ヶ崎の古屋敷で、神尾主膳の残忍な慾望の犠牲となって虐殺さ

山崎がこうして宰領をして来たのは、甲府の城下から、しかるべき要件があって来たものに相違ないが、内藤

は拙者の連れの者に相違ござらぬ、拙者が宰領で甲府の城内から、ついそれまでやって来たのが、僅かの行違いでこんな

長崎

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「どう致しまして、そうおっしゃって下されば、伊豆が長崎におりましょうとも、いつでも出向いて参ります。私はまた小野様か

鳥取

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「そんなんじゃございません、因州鳥取あたりにそのやすつなというのはございませんかね」

「因州鳥取にやすつなという刀鍛冶は聞かねえが……そうそう伯耆の国に

京都

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あったにしたところが身体が許さないし、今は京都で威勢を逞しうしている、かの新撰組の手が江戸へ舞い戻って

京都にいた時も、新撰組の連中と島原界隈にずいぶん出入りもした

水戸

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の仕事をするのにとかく邪魔になる奴が一人ある、水戸の浪人で山崎譲といって、鹿取流の棒にかけてはなかなかの

神田

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は、その時から武蔵に従って江戸に下り、武蔵が神田お玉ヶ池の近傍に道場を開いた時(武蔵がお玉ヶ池へ道場を開いたこと

た時に気がつきました。いつぞやの晩、神田の柳原の土手というところを通ります時分に、わたくしは怖いものに出会し

浅草

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が長蛇の如く蜿蜒としている。右手は平右衛門町と浅草御門までの間の淋しい河岸で、天地は深々として、神田川

浅草の鳥越橋の西南に、御書院番の小出兵庫(二千百石)という旗本

入れて、病気が癒った後に改めてお伺いの上、浅草元鳥越橋際において死罪に行うことになった。ところが、生来の

坊主持ちにして、高尾の山の飯綱の社から、浅草鳥越まで行く間に、その名刀の処分をきめようとするのであります。

前代の大隅に熱くなって通っていた浅草のある寺院の住職がありました。法体では吉原へ通えないから、

「浅草の方へ出たいと思います」

違いでございます、と申し上げたところで、私も実は浅草へ参る道は存じませんのでございますが、そちらへおいでになっ

「浅草へ? それは飛んだ方角違いでございます、と申し上げたところで、

染井から伝中の方へ出ますんでございます、もっとも浅草へ参りまするには、染井、伝中へ出ては損でございますから

上野

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ところが、お見上げ申したもんだ。いつぞやはまた上野の山下で、持余し者の茶袋を、ちょいと指先をつまんで締め上げて、

大久保

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から、自ら飛沢と名乗った。これが捉まった時に、大久保彦左衛門の命乞いによって死罪を許され、身持ちを改め、苗字を富沢と

高尾

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、二人は例の伯耆の安綱を坊主持ちにして、高尾の山の飯綱の社から、浅草鳥越まで行く間に、その名刀の処分

品川

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は、この小屋を立ち出でてどこへ行くかと見れば、品川へ出て、東海道を真一文字に走せ上ります。

日本橋

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その話によると、日本橋辺のある大問屋の主人が、東雲を身請けをしようということに話

新宿

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ちょうど、その晩のこと、甲州街道を新宿の追分まで上って来た一組の荷馬があります。五頭の馬

をやってくれ、前の四頭は拘わねえから新宿の問屋場へ抛り込んで、このから尻だけは今夜のうちに、江川の邸

をかぶり、江川の印のついた小田原提灯を渡して、新宿の追分から一行と別れてしまいました。

へ廻るというのは実は嘘で、山崎にはこの新宿に、ちょっとした馴染の女があったため、ここへ来て、つい

巣鴨

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、それを尋ねておいであそばすがよろしうございます、多分、巣鴨の庚申塚というところあたりへ出る道があるだろうと存じますが、私共

巣鴨の庚申塚あたりへ来たと覚しい頃、急に人声が噪がしくなりました

思います。夢でなければ狐につままれたものでしょう。巣鴨の庚申塚あたりには悪い狐が出没する。この場の座興に同勢を狩り

八王子

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「八王子の宿でございます」

駅であります。昨夜、板橋を出ていつのまに八王子へ来てしまったろうと、訝しさに堪えられません。しかしながら駕籠は

から、不思議に思いました。板橋は中仙道の親宿。八王子は、それとは、方面を変えた甲州街道の一駅であります。昨夜

「はい、小仏へ二里、八王子へ二里半の、浅川宿の小名路でございます」

駒込

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「江戸の駒込から来た」

「駒込はどちら様で」

神田川

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までの間の淋しい河岸で、天地は深々として、神田川も、大川も、水音さえ眠るの時でありました。

、櫓の音も忍びやかに両国橋の下を潜って、神田川へ乗り込み、この辺の河岸に舟を着けようとしているものらしい。拾い上げ

せっかく、河岸へ着けようとした舟は河岸へ着かず、神田川を出でて大川に合せんとするところの波に揉まれて漂うています

へ出てしまったのか、それとも橋をくぐって神田川を溯ったのか、いつのまにか見えなくなったけれど、それは

怪訝な目をして橋の上をながめます。それから神田川の水の流れを、何か思案ありげにながめて渡ります。

両国橋

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左には両国橋が長蛇の如く蜿蜒としている。右手は平右衛門町と浅草御門まで

たのは一隻の端舟が、櫓の音も忍びやかに両国橋の下を潜って、神田川へ乗り込み、この辺の河岸に舟を着けよう

も辻斬がしたくてたまらない様子が見える。近頃しきりに両国橋あたりに辻斬があるとの噂を聞いて、どうも腕が鳴ってたまら

今夜、夜更けて染井方面から帰るとて、両国橋の上で、兵馬は、ふと彼等三人とすれ違いになりました。

「両国橋女軽業大一座」

その晩のことでありました。両国橋の女軽業もハネて、楽屋の真中に大柄などてらを引っかけて立膝を

蓄えてあるはずである。ことによると、お角が両国橋へ旗揚げの資本も、駒井が所持金の一部を割いて貸し与えたのか