武州喜多院 / 中里介山

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地名一覧

江戸城

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その人を捕えて聞くと、この書院なるものがその以前江戸城内のもみじ山にあったのをそっくりそのまま当院へ寄付されたという

東照宮

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「あれは当院のものではありません、この隣りの東照宮の所蔵品です」とのこと、喜多院の岩佐勝以とばかり耳馴れていた

、それと聞いてやや意外の思いをしたが、本来東照宮はこの喜多院の中の一つの存在であったのを、神仏混淆が

それからここを立ち出でて東照宮の方へ行く途中天海大僧正お手植の槙、

それから東照宮へ行った、大した建築ではないががっちりしたものである、ここの拝殿

関東

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とある、この位の槙の大木は関東では珍しいものに属する。

川越

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等の理由は無かった、全く出来心ではあったし、川越という処も一両度訪れたことはあるのだがどうも、東京もよりで

川越といえば、今ではお薯の名所となっているが、近世史上

が封ぜられている、併し、名所及び人物としての川越は、今では喜多院及び天海僧正にとどめを差すのである、そこで

、家光公はここで生れたのかしら、どうも家光が川越で生れたという説は聞かない、そこで思案にくれていると、髪の毛

、とこっちは神田の連雀町とばかり受取ったが、やがてこの川越にも連雀町というところがあるのだと気がついたが、然し今日は

ている」と指差しをしていた、斯う云う光景は川越でも珍しいものと見える。

川越という土地は本当の武蔵野の原ッパの中の一都会で、山がある

喜多院

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天海僧正にとどめを差すのである、そこで、兎に角、喜多院を目ざして、そうしてその主目的は武蔵野の新緑に酔わんとするの

と大宮行きのバスがある、それへ乗り込んで七八丁、喜多院前で下車する、境内はだだっ広くしまりがない、本堂も大きいには大きいがかなり

ん、この隣りの東照宮の所蔵品です」とのこと、喜多院の岩佐勝以とばかり耳馴れていたのに、それと聞いてやや意外の思い

聞いてやや意外の思いをしたが、本来東照宮はこの喜多院の中の一つの存在であったのを、神仏混淆がやかましくなって以来

、神仏混淆がやかましくなって以来の分離なのだから、喜多院所蔵と覚えていてもさして無理はない。

喜多院はもと北院と書いたもので、ここには北院、中院、南院の三大

武蔵国

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近世史上から云えば、なかなか由緒のある土地である、武蔵国では江戸を除いては一二と云う都会であったのだ、小田原北条以来

江戸

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云えば、なかなか由緒のある土地である、武蔵国では江戸を除いては一二と云う都会であったのだ、小田原北条以来勇武の歴史

表高でその倍以上の実収があったと称せられ、かつ江戸へは近いし、有力な富藩であったとはうなずかれるが風景とし

武蔵野

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兎に角、喜多院を目ざして、そうしてその主目的は武蔵野の新緑に酔わんとするのにあったのだ。

川越という土地は本当の武蔵野の原ッパの中の一都会で、山があるでもなし、川がある

遊就館

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が、家光は「友成」で、これは今九段の遊就館に陳列してあるそうだ、それからまた有名な国宝の職人絵づくしは今

高田馬場

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見る、この線の終点は川越駅になっている、発駅は高田馬場である、そこで六十何銭かを投じて川越駅までの切符を求めた

東京

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処も一両度訪れたことはあるのだがどうも、東京もよりでは、すでに歩くだけは歩きつくしているような我身だから、

て境駅へ出て中央線で帰ろうと思っているうちに、東京帰りの円タクが舞い込んで来たから談じこんで五十銭で阿参堂まで飛ばし

大宮

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目醒ましい発展をしているとも思われない、下車すると大宮行きのバスがある、それへ乗り込んで七八丁、喜多院前で下車する

て葉桜の下のかけ茶屋で団子を食べる、程遠からぬ大宮行の電車停留所へ行って待ち合せている田舎の花嫁さんが角かくしをして

神田

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神主様だという、連雀町では大変だ、とこっちは神田の連雀町とばかり受取ったが、やがてこの川越にも連雀町というところがある