大菩薩峠 01 甲源一刀流の巻 / 中里介山
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兵馬は幼少の頃から番町の旗本の片柳という叔父の家に預けられていたのが、このたび
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「上野原へ、盗人が入りましたそうでがす」
「ヘエ、上野原へ盗人が……」
「この間、甲州の上野原のお陣屋へ盗賊が入ったそうで」
「ナニ、上野原のお陣屋へ?」
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練塀小路あたりで按摩の笛、駿河台の方でびょうびょうと犬が吠える。物の音はそのくらいのもので、そこ
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「左様、なにしろこの街道筋は申すに及ばず、秩父、熊谷から上州、野州へかけて毎日のように盗人沙汰、それでやり口がみな同じ
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ぬものがあります。八州の全部にわたり、なお信州、伊豆、甲州等の近国からも名ある剣客は続々と詰めかけ、武道熱心のものは
そもそも一刀流の本源をたずぬれば、その開祖は伊豆の人、伊藤一刀斎景久で、その衣鉢を受けたのが神子上典膳忠明(小野
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島田虎之助と別れた高橋伊勢守は、神楽坂の屋敷へ帰って清川八郎と話しているところへ、この注進が伝わりました
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指して行く。後ろなる抱茗荷のは、そのまま一直線に外神田から上野の方面をさして進んで行きます。
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美人で、お里がお金持で評判もの、私は、八幡におりました時分から、篤とお見かけ申しました」
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「左様、なにしろこの街道筋は申すに及ばず、秩父、熊谷から上州、野州へかけて毎日のように盗人沙汰、それでやり口が
が、そもそも武張った歴史を持ったもので、日本武尊が秩父の山に武具を蔵めたのがその起源と古くより伝えられていますが
ていますが、御岳山の人に言わせると、それは秩父ではない、この御岳山の奥の宮すなわち「男具那峰」がそれだとあっ
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寛永寺の暮六ツが鳴ると、最後に出かけた一人が立帰って、
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大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その
江戸を出て、武州八王子の宿から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る
竜之助の父弾正が江戸から帰る時に、青梅近くの山林の中で子供の泣き声がするから、伴
「お松坊、今から江戸へ行こうや」
が平気でこの丸山台を通り抜けようとしております。大方、江戸を夜前に出て近在へ帰る百姓でありましょう。
という人は決していい死にようはなさらねえ、もしや江戸にござらっしゃるかと昨日も一昨日も探して歩いたが、お江戸だって
「江戸から……」
たが、よろよろと足が定まりませぬ。そのはず、今朝江戸を出て来たものとすれば、子供の足で七里の道、足
「それが忘れられるものか、それがためにわしは江戸を抜け出して兄上の仇討に出て来たのだものを」
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の宿々もありますけれど、裏街道ときてはただ茫々たる武蔵野の原で、青梅までは人家らしい人家は見えないと言ってもいいくらいです
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冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない――大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。
大菩薩峠を下りて東へ十二三里、武州の御岳山と多摩川を隔てて向き合っ
な鍋で何か煮ていた女の子、これは先日、大菩薩峠で救われた巡礼の少女でありましたが、おじさんと呼ばれた人
竜之助も身仕度をして、いつぞや大菩薩峠の上で生胴を試してその切味に覚えのある武蔵太郎安国の鍛えた
は、このお娘御とおじいさんとが甲州裏街道の大菩薩峠と申しまするところでお難儀をなすっているところを、私が通りかかってお連れ
「大菩薩峠というのは上り下りが六里からあるで、難渋な道だ」
「与八さん、いつか一度あの大菩薩峠へ、わたしをつれて行って下さいな」
をしていておくれ、そして帰る時には、わたしを大菩薩峠まで連れて行って下さい」
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街道の方は、新宿から八王子まで行く間に五宿、府中、日野まで相当の宿々もありますけれど、裏街道ときてはただ茫々たる武蔵野
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からも名ある剣客は続々と詰めかけ、武道熱心のものは奥州或いは西国から、わざわざ出て来るものもあるくらいで、いずれの剣士もみな免許
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松は煙に捲かれて、あとをついて行くと、湯島の高台に近い妻恋坂の西に外れた裏のところ、三間間口を二
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武蔵国秩父小沢口の住人逸見太四郎義利は、この溝口派の一刀流を桜井五助長政と
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お妹御ではございませぬ、まだ内縁でございまして甲州の八幡村からついこの間お越しのお方、発明で、美人で、お里がお
「この間、甲州の上野原のお陣屋へ盗賊が入ったそうで」
ない、しかし問題はここを去ってどこへ行くかです、甲州へは帰れもすまい、どこへ落着いて誰を頼る――お浜の頭は
があります。八州の全部にわたり、なお信州、伊豆、甲州等の近国からも名ある剣客は続々と詰めかけ、武道熱心のものは奥州或いは
「甲州へは帰られません」
この物語の最初以来、甲州から武州、ならびに関八州を荒し廻った盗賊というのは大方はこの七兵衛の
ます。盗みは決して近いところではしない、上州とか甲州とか数十里を隔てたところへ行っては盗んで来て、その暁方まで
「そうかね、あの街道は甲州の大菩薩峠というのへ抜ける街道だ」
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その頃、丸の内の杉山左京という旗本の邸に、月二三回ぐらいずつ毛色の変った人々
これより先、清川八郎は、丸の内の杉山邸を出づる時、取違えて島田の駕籠に乗って出てしまったの
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「それはね、この玉川上水を二十里も上へのぼると沢井という所がありまさあ、その沢井の机弾正
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鶯谷へかかる所、後ろはものすごい上野の森、離れては根岸から浅草へわたり、寺院や武家屋敷の屋根が所まばらに見えるくらいのものです
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水があれば水を上げて信心するだ……昨日も四谷の道具屋に、このお地蔵様の木像があったから、いくらだと聞くと
お松がここで行けと言われている家は、四谷の伝馬町の神尾という三千石の旗本であります。この切髪の婦人というの
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て、武州八王子の宿から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分を右にとって
あり、降って慶応の頃、海老蔵、小団次などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖れ
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二重に九曜の定紋ついた小袖に、鞣皮の襷、仙台平の袴を穿いて、寸尺も文之丞と同じことなる木刀を携えて進み出る
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「下谷の御徒町に島田虎之助という先生がある、流儀は直心陰、拙者が若い
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隊長と呼ばれたのは水戸の人、芹沢鴨。
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の芹沢は性質がことに僻けていた。後に京都で近藤勇に殺される。芹沢死して後の新徴組は、近藤勇
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を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分を右にとって往くこと十三里、武州青梅の宿へ出て
甲州本街道の方は、新宿から八王子まで行く間に五宿、府中、日野まで相当の宿々もあります
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江戸を出て、武州八王子の宿から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道
甲州本街道の方は、新宿から八王子まで行く間に五宿、府中、日野まで相当の宿々もありますけれど、
ていた網とウケ(魚を捕る道具)を買いに八王子まで行って来ました」
「八王子へ?」
主人が眼を白黒したのも道理で、八王子までは六里からあります。昨夜いつごろ金を盗んだかわからないが、
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二人が神田明神の方へ曲ろうとすると、後ろから呼びかけるものがあります。
神田柳原の金子という同志の家の一間で、凄い目つきをした十
くらいのもので、そこへ二挺の駕籠が前後して神田昌平橋にさしかかる。
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「下谷の御徒町に島田虎之助という先生がある、流儀は直心陰、拙者が若いうちから
は、その日、夕陽の斜めなる頃、上野の山下から御徒町の方を歩いていました。
てから、ほぼ一カ月余りのことで、夏の日盛りを御徒町の道場から牛込のある友人のもとへ試合に行こうと、空模様が険呑で
「無礼をするな、拙者は御徒町の島田虎之助じゃ、果し合いならば時を告げて来れ、恨みがあらばその
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たか机竜之助は、その日、夕陽の斜めなる頃、上野の山下から御徒町の方を歩いていました。
行く。後ろなる抱茗荷のは、そのまま一直線に外神田から上野の方面をさして進んで行きます。
こんなことを知ろうはずのない清川の乗物は、ずっと上野の山下へ入って行きます。
新坂から鶯谷へかかる所、後ろはものすごい上野の森、離れては根岸から浅草へわたり、寺院や武家屋敷の屋根が
を取ることを好まなかった。こけつ転びつ彼等が上野の山蔭に逃げて行くに任せて、さて十五人の刃は一つの
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を先に十余人が乗物のあとをついて、五軒町、末広町と過ぎて広小路へかかろうとするが、土方はまだ斬れとも蒐れとも
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、究竟と思う木蔭山蔭をも無事に通り抜けさして、ついに鶯谷、新坂の下まで乗物を送って来てしまいました。
新坂から鶯谷へかかる所、後ろはものすごい上野の森、離れては根岸から浅草へわたり
は一目に数えられる、血の香いはぷんとして鶯谷に満つるの有様です。
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かかる所、後ろはものすごい上野の森、離れては根岸から浅草へわたり、寺院や武家屋敷の屋根が所まばらに見えるくらいのものです。
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と見れば、大塚某は片手を打ち落されて折重なって雪に斃るる時、島田の身は
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至り尽せぬところに禅機の存することを覚って、それから品川の或る禅宗寺へ参禅しはじめたのが三十歳前後のことであった