山道 / 中里介山
地名一覧
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行手にふさがる七千尺の大菩薩嶺そのものも春に目ざめて笑っている。
かくてこの一行は真黒な熊沢山の下、左に高く大菩薩嶺を仰ぐ処、峠の頂きに来ました。
していると以前の学生は、やはり少しく群を離れて大菩薩嶺の方面へ進んで行き、
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だけとは限りますまい――僕は一つその比較を本郷の帝国大学の図書館に取って見たいと思います、諸君、浅草の観音堂はたしか
中では古建築の部に属する代表的の一つでしょう、本郷の帝大の大学図書館は、よくは知らないが、これは最近の建築に成り
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裂石の雲峰寺の石段の前に通りかかった時分、紳士もあれば商人も、学生もある一行
そこで裂石の雲峰寺を出た紳士青年商人学生取り交ぜの一行が改めて馬上の人に注意することに
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学生の山案内は委しいものでありました。この青年は大菩薩連嶺を中心としての地理は猪鹿の通る細道までも心得ている様子で
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十何年の五月、甲斐の国の塩山の駅から大菩薩峠に向って馬を進めて行く一人の旅人がありました。
に馬の口を取らせて、塩山からほぼ、三里の大菩薩峠を目ざして行く時は前にいった通り陽春の五月、日はまさしく端午
「皆さん此処が萩原大菩薩の頂上ですよ、大菩薩峠にはいわば二つの頂上があって、これが甲州方面の一つであり
見ゆるあれが熊沢大菩薩――さあ事実上、どちらが本当の大菩薩峠の頂上かといえば、あちらの熊沢大菩薩がそれでありますが、名分上
北側には怖るべき威圧と陰惨との面影があること、大菩薩峠の道に小菅大菩薩と丹波山大菩薩との二つがあること。大菩薩峠にも
道に小菅大菩薩と丹波山大菩薩との二つがあること。大菩薩峠にも親知らずがある事、「雁ヶ腹摺山」という名の如何にも古朴に
道のりをいうと塩山から大菩薩峠の上までは四里。大菩薩峠の上より小菅まで三里強。小菅から小河内
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この七千尺の大屏風の上からながめた甲府盆地の大景。南アルプスの壮大なる連脈。期待したそれらが生憎漠々
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でしょうな、ごく頭の古い男です、されば大震災の時も浅草の観音堂が焼け残ったのを無意味に見ることが出来ない一人でした、近代
「ですけれども浅草の観音様が大震災の時に焼け残ったのは、紫の雲に乗った
ました。なお比較して御覧になると四方の空地は浅草の観音より帝大の構内が広くとも狭かろうはずはありません、樹木も多かろう
の帝国大学の図書館に取って見たいと思います、諸君、浅草の観音堂はたしかに寛永時代の創建と聞きました、無論、東京の市
空地と樹木と消防の尽力を有していたのがひとり浅草の観音堂だけとは限りますまい――僕は一つその比較を本郷
守り、それと運命を共にするの高尚な犠牲心が浅草の観音を守る市民と同じように行かなかったのは何故でしょう、これは
「聞く処によると、あの際、浅草の観音堂の消防に当った人々はこの観音様を焼いてはならぬ、
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観音堂はたしかに寛永時代の創建と聞きました、無論、東京の市中では古建築の部に属する代表的の一つでしょう、本郷の
の鶴の湯という温泉へ泊って翌日二俣尾から汽車で東京へ帰りました。