大菩薩峠 38 農奴の巻 / 中里介山
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たとえば野洲郡と甲賀郡の歎願組が合流して水口へ廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田
両の郡の農民が結束して集まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて権田河原に屯
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尊徳先生は親代々の六段八畝という田地を、酒匂川の水のために二度まで持って行かれてしまいました。百姓が土地
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「そればっかじゃねえ、箱根の山へ行くと、もう足が棒になって、一足も歩けねえなんていう
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と言ったあやかりでもあるのか、後ろの方で、熊谷こそは敦盛を組みしきながら助くる段々、二心極まったり、この由、鎌倉殿に注進
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、姉上を守護して九州へ下って、おたがいに阿蘇の山下で、喜んでお目にかかる日を期待いたしたい。梶川殿、拙者
姉は金鯱の見える土地に執着を持っている、拙者は阿蘇の煙の見えない土地は、生きる土地でないような気持がしています
風土が、拙者の身体にかなっているようです。有名な阿蘇があります、その周囲には幾つもの温泉が、我々を温めてくれます
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「蝦夷の果てか、鬼界ヶ島へでも追いやられるのが落ちだ」
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各派の家元を残らずメンバーに差加えます、それから、四条、丸山、南画、北画、浮世絵、町絵師の方の、めぼしいところを引っこぬいて
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方面からちょうさんが、この国へ流れ込もうというわけで、宇治、勢多、一口の方まで参っているそうでございますから、万一のお怪我
「それから、また一方、湖水を宇治から山城大和の方にかけて切落してしまえば、その方へも夥しく湖水の
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、右の運河説が、人心を聳動したのです。摂津、河内の農民は大挙して、その風聞の実現せざらんことを、歎願の
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「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で、お角さん
江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、お角さんと
に、珍しい、これはまた、江戸で見知りのある下谷の長者町の道庵先生だな、と気がつくと、この際、苦笑いが鼻の
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の運河説が、人心を聳動したのです。摂津、河内の農民は大挙して、その風聞の実現せざらんことを、歎願の名で
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のまに、ここまで来着したか、順路を彦根、八幡、安土、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた
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丸の友なる美少年梶川与之助もまた、この姉弟に加わって九州へ身を避けようとして旅立って、それがお銀様、お角、宇治
いくたび繰返しても詮なきこと、この上は拙者は、九州へおともをすることは断念し、これより再び名古屋の城下へ立帰って、
そうして、梶川様、あなたもどうか弟を見まもって九州へおいで下さい、わたくし一人が残ります、わたくしは清洲の侘住居へ一人で帰り
附人もござります、これから海陸の順路を、心任せに九州へ下る分には何の不安もない身です、それだのに、これから
家宝の系図を取戻した上に、姉上を守護して九州へ下って、おたがいに阿蘇の山下で、喜んでお目にかかる日を
ては、姉の言葉に従って、病める弟を見ついで九州へ下るべきか、非常の覚悟と冒険を予期して、ひとり留まらんという
が要求する三カ月の期限以内に必ず目的を達して、九州へ下って相見えるということを誓約的に断言したのです。奥方も
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、ありゃあ、やっぱり旅の者なんだ、ついこの間まで江戸にいた男なんだ、それがお前さん、どうしてこの土地へ来
「江戸の方なんですか」
生れはどこか、よく知らねえが、ついこのじゅうまで永らく江戸に住んでいて、こちとらとも附合いがあるんだ、あいつが、どう間違っ
草津の辻の晒し者も、江戸老中差廻しの役人がさせたのか、この地の役人がしたのか
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものな
て成功する逆縁となりました。今日、大阪に於ける、江戸に於ける、近江商人というものの財力の、いかに根強くして盛んなるかを
「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で
江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、
に毒は持っているけれども、御商売は薬を扱う江戸でも名代のお医者さんだから、失礼のないように。もしわたしが不在
「江戸を一歩一歩と離れるのは、それだけ故郷に対して一歩一歩と淋しくもある
京へ一歩近づくほどに、酒がよくなるのは有難え。江戸は道庵が第一の故郷である、酒は第二の故郷である、
、と観念しているうちに、珍しい、これはまた、江戸で見知りのある下谷の長者町の道庵先生だな、と気がつくと、
江州へ来て、江州商人の勤勉ぶりを実見し、その江戸大阪へ及ぼすところの勢力を深く観察してみると、由々しきものはこの町人勢力
「江戸に近い巣鴨の庚申塚というところで、わたしの姉さんが、あなたに刺し殺された
出しています、こうなると、書物がもっと欲しいです、江戸にいた時、必要以上に買いためて置いたのが、今では大いに助かり
或いは思いもつかない古雅な調子が交ったり、古い昔、江戸から流行り出して来たものが、相当新しい気分で復活して来たり、七兵衛
のお船はね、仙台領を乗り出すと、表向は江戸の方へ帰るというおふれ込みでしたがね、本当のところは宮古の港
「いよいよ江戸が将軍職を持ちきれねえとなると、天下はどうなるだあ」
「この江戸の町はどうなるだ」
「そりゃ、徳川家は亡びるのさ、江戸の町はみんな焼かれて灰になっちまわあな」
にやっつけてしまうというじゃねえか、戦争にならねえ、江戸の方は戦争したって勝つ見込みはねえ、ただ何とかして体裁を作っ
、てんで将軍様を嘗めてやがるんだぜ、この前、江戸から、ソラ、中根何とかいう大目附がお使番として長州へ乗込ん
。何しても長州ざむれえの元気はすばらしいが、江戸の旗本はみじめなもんだ、骨がねえんだ」
「そうすると、徳川が亡ぼされて、江戸が灰になって、旗本八万枚の干物が出来るのも遠からずだあな」
でみせるよ、誰が何と言おうとも、おれが一人、江戸の城を枕にして、この槍を衾にして、死んでみせるよ
出来る、長州にやられる、薩摩にやられる――今や江戸と旗本は、天下に見くびられものの見本となっている。
が物を言う、痩せても枯れても三百年来の江戸だ――今日までタカをくくっていたのだが、時勢が、事実そんな
それでもこうしてのさばって生きていられるのは、江戸というものがあればこそだ、甲府勝手にも廻されたし、知行所へ押込め
、知行所へ押込め隠居にもさせられたが、結局、江戸という後ろだてと家格があればこそ、こうして自堕落にものさばっておられる
、こうして自堕落にものさばっておられるが、万一、江戸が灰となった日には、どこへ行って、どうして生きるのだ
、その時になれば、おれは誰よりも先に、江戸の城を枕に死んでみせるよ、腕のつづく限り、この槍一本が
もそれはかまわんが、貴様といえども、いやしくも江戸に生れ、三百年来、直接に徳川のおかげを蒙って今日にありついている
を遊ばすまでもなく、鐚といえども三百年来の江戸の土虫、まさにその通りでないと誰が申しました」
、そうして、もしそれが敵だったらどうだ、この江戸を仇となすやつが他国から押寄せて来た日には……いやいや、やっぱり
「頼もしい、その意気、さて、貴様もいよいよ江戸が灰になるという時分に、その意気と、憤りを発して、節を
死ぬ! おれは徳川のために死ぬ、江戸の城を枕に、江戸の町が灰になる時は、おれの面目も
おれは徳川のために死ぬ、江戸の城を枕に、江戸の町が灰になる時は、おれの面目も灰になる時だ!
たのも、生かされて来たのも、煎じつめると、江戸勢力下なればこそのことだ、つぶれても、倒れても、旗本の沽券
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「ははあ、それは新説です、徳川家康の幼名竹千代、岡崎の城主松平広忠の公達というのでなく、願人坊主、ささら売りの成上り…
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として納め込まにゃなりやせん、長州の菜っぱ隊が、下関で毛唐の船とうち合いをして、日本の胆ッ玉を見せたなんぞ
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紀州の南方熊楠翁が、小説大菩薩峠の内容に就いて、近ごろ某氏に寄せられた書簡中に次の如きことがあり
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、今は脆くもこの運命に立至って、不憫や、この東海道の要衝の晒し者として見参せしめられている。
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近江の国、草津の宿の矢倉の辻の前に、一ツの「晒し者」がある。
、やはり農奴とちょうさんとの上にかかっている。すなわち草津の宿の晒し者のことに就いて、一問一答を試みているのであります。
二人の結論では、宇治山田の米友が、草津の辻で、ああいった運命に落されているのは、要するに時節柄、
た間違えか役人にとっつかまって、ちょうさんてえ罪で、草津の辻で三日間の晒し、それが済むとやがて鋸挽になろうてんだ
だって、あの友が、米友の野郎がなにかい、草津の辻で晒しにかけられてるって、そうして今日明日のうちに首が
ない奴なんでございますが、どう間違えられたか、草津の辻とやらで、晒しにかかって、今日明日のうちに首がコロリ―
ては長いから、お角親方が大難に出あっている、草津の北の辻で、お角親方が晒しにかけられるという段どりになって
草津の辻の晒し者も、江戸老中差廻しの役人がさせたのか、この地
草津の辻のグロテスクな晒し者は、多くの方面にいろいろの衝動を捲き起したが、
ここまで来着したか、順路を彦根、八幡、安土、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた徒歩でテクテクと
草津の辻の評判の晒しが、一夜で消えてしまった以後、そのあとへ豊臣
大津でも、草津でも、彦根でも、民間が動揺して――動揺は今にはじまった
かくして、大津も、草津も、彦根も、旅宿という旅宿の番頭が、テンテコ舞をして、泊り
一応、響くだけ響かないと消えないものでして、大津、草津、膳所、彦根の人心が落着いた時分になって、長浜から北国筋が、
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です、それですから、わたくしは、どうしても、あの名古屋城の鯱の見えないところへは行きたくないと、日頃から申しておりました
致し難いです、姉は尾張の名古屋の城は、徳川の名古屋城ではない、加藤の名古屋城だと信じているのです、そうして、
名古屋の城は、徳川の名古屋城ではない、加藤の名古屋城だと信じているのです、そうして、加藤清正の唯一真正の血統は
です。もし系図というものに余徳がありとすれば、名古屋城の金の鯱の光よりも、この郷土民が何百年の昔の歴史に
姉と違って、熊本を故郷なりとします、今、名古屋城をお前に与えるからと言っても、それを受けて住む気にはなれない
確かにそれと充分の心当りがあればこそなのです。名古屋城には加藤の四家というのがございまして、それがいずれも清正の
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「薩摩っぽうが、一番たちが悪いちうじゃねえか」
「そりゃ薩摩にやられるだろうてことだぜ」
「薩摩っぽうが天下ぁ取るのか」
「そうよ、薩摩っぽうは、昔から徳川の天下を覘ってるんだってじゃねえか」
「いいえ、薩摩より長州の方が上手だってえ奴があるよ、徳川の天下ぁ長州が
「どっちでもいいや、薩摩とか、長州とかが天下ぁ取った日にゃ、徳川様ぁどうなるだ
ひとごとじゃねえ、腹が立つよ、八万人もいたら、薩摩や長州の一つや二つ、何とかなりそうなものじゃねえか」
どうだ。八万枚の干物が出来る、長州にやられる、薩摩にやられる――今や江戸と旗本は、天下に見くびられものの見本と
徳川を倒して、第二の幕府を作るものは薩摩だと、あの隠亡らまでが取沙汰している。薩摩でなければ長州だ
薩摩だと、あの隠亡らまでが取沙汰している。薩摩でなければ長州だと、相場がきまったようなことを、あいつらまで言っ
砕けるまで突きまくって、死ぬよ、死ぬよ、ちぇッ、薩摩、長州の又者の下について、この神尾が生きていられるか!
「仮りにだな――薩摩とか、長州とかいう田舎侍がやって来て、この徳川の天下を覆し
「現に相州の生麦村に於て、薩摩っぽうが、無礼者! てんで、毛唐を二人か二人半斬ったは
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珍妙なる兼合いで、女に押され押されながら、土俵際の剣ヶ峰で廻り込み廻り込み渡って行く兵馬の足どり、それを女は結局おもしろがって
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なければならない理由もあるのです。たとえばです、これから越前の方へ向けて出る途中に、難渋な峠が三ツもある、たいていの
「越前の敦賀港の沖へ乗り出すと、大昔、地震のために辷り込んだ一村が、そっくり
琵琶湖の水を切り開いて、越前の敦賀へ落すという計画は、必ずしも空想ではなく、実現に近い可能性
そもそも琵琶湖の水を越前の海へ落すには、僅かに七里半の工事で足りる。
「越前へ、この湖を切割すれば、湖水の水はみんな海へ落ちて、その
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温泉ヶ岳をながめた風景は、到底、関東にも、関西にもありません。それに加うるに穀物が実ります、米も、肥後
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山科から祇園へ売られて行くお軽さん。多分、村人村童たちは、村芝居の教育に
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名古屋の城の見えるところを立去りたくないという姉と、肥後の熊本へ帰りたい
、九州へおともをすることは断念し、これより再び名古屋の城下へ立帰って、いかなる苦心をしてなりとも、御系図の一巻を
は相違ありませんけれども、それよりも一層この尾張の名古屋の城に清正の精神が籠っているのです、それですから、わたくしは、
気象ですから、如何とも致し難いです、姉は尾張の名古屋の城は、徳川の名古屋城ではない、加藤の名古屋城だと信じて
の唯一真正の血統は、我々姉弟のほかにはない、名古屋にも、加藤と名乗って清正の直系と称する家は幾つもあるけれど、みな
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追われた裏宿の七兵衛は、安達ヶ原より、もっと奥の奥州の平野の中へ陥没してしまったことは前篇の通りです。
てみると、自分はこの数日来、足に任せて奥州の真暗闇を走らせられているが、昨日は餓鬼地獄の絵巻物を見せられ
これは圧力のある命令でもあり、本来、奥州切っての大親分と聞えた仏兵助の面で、否も応もなく、
「そりゃ、そうでござんしょう、奥州安達ヶ原の、もっともっと奥へ、こうして追い込まれてみりゃ、一寸先の地理
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、商人として成功する逆縁となりました。今日、大阪に於ける、江戸に於ける、近江商人というものの財力の、いかに根強くして
天地に自由陶酔をはじめる。一杯、また一杯――京も大阪もみんなこの道庵を迎えるために存在している天地のように心得て、
へ来て、江州商人の勤勉ぶりを実見し、その江戸大阪へ及ぼすところの勢力を深く観察してみると、由々しきものはこの町人勢力です
「いや、その辺は、拙者も大阪に少々住居をいたしたことがござる故に、多少の知識をもっているつもり
もっているつもりです。蒲生君平も申しましたよ、『大阪の豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯みな慄え上がる』と蒲生君平も単なる尊王愛国の
まず大阪と敦賀との間が、琵琶湖を通じて一つの運河となろうという
では物の役に立つまい、諸大名はじめ、加賀や大阪の豪商が、大船浮べて思うままに乗切るにきまっている、そうすると、
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左様、父の伊太夫が甲州から旅立ちをしてこの近いところ、大津に宿っているということを、先刻
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。やはり米友とても、農業のことを働かせれば働きます。伊勢の拝田村では、宇治橋の河原へ稼ぎに出る間は、自宅で相当の
近江の人間は商売が上手で、その道で成功する、伊勢の人間は貯蓄心に富んでいるから、金持になる、近江の人間が成功
になる、近江の人間が成功して大商人になり、伊勢の人が金を貯めて金持になる、それをケチな奴等が嫉んで
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ていて、周囲はむろん山また山だが、別に加賀の白山らしいものが雪をいただいた頂を高く抜いているのではない。
「この谷を通って、加賀の白山、あるいは金沢方面へ出られますか」
、次の村といっても、飛騨と、越中と、加賀との山つづきだ、これから先、どのくらい行って、どこに家がある
ちょき舟では物の役に立つまい、諸大名はじめ、加賀や大阪の豪商が、大船浮べて思うままに乗切るにきまっている、そうする
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に、ここまで来着したか、順路を彦根、八幡、安土、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか、或いはまた徒歩で
が、陸路を来たとしても、八幡、彦根、安土の順路を取らなかったことは確かです。何となれば、草津街道へかかり
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我々を温めてくれます、それから八景の水谷だの、水前寺だのいうところの水がよろしいです。いったい、どこを掘ってもよい水です
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もし、慰めもし、詫びもしているのは、岡崎藩の美少年梶川与之助でありました。
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知れば、もはや苦しみの来る隙はないものです。私が関東の方を旅をしておりますうちに、到るところで二宮尊徳先生の報徳
御迷惑をかけて相済みません、わしは与兵衛と申す関東の旅の者でござんすが、こっちへ参りまして、よんどころない罪を着
有明の海、温泉ヶ岳をながめた風景は、到底、関東にも、関西にもありません。それに加うるに穀物が実ります、
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から、神尾主膳は、どこをどうしたか、翌朝は根岸の三ツ目屋敷に戻って来て、思いきり朝寝をして、日のかんかんする時分
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拙が神奈川の神風楼について、実地に調べてみたところによると、その跡かた
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琵琶湖の水を切り開いて、越前の敦賀へ落すという計画は、必ずしも空想ではなく、実現に近い可能性があっ
まず大阪と敦賀との間が、琵琶湖を通じて一つの運河となろうというのだ
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悠々と八景めぐりをして、大津の旅籠へ戻って来た女軽業の親方お角は、戻って見ると
ばならないことになるでしょう、わたしは、父の宿を大津まで訪ねて行く気にはなれないが、父が胆吹へやってきた
父の伊太夫が甲州から旅立ちをしてこの近いところ、大津に宿っているということを、先刻侵入のあの小ざかしい、生意気な、色男
知るや知らずや、道庵先生は抜からぬ面で、大津の旅宿鍵屋の店前へ立現われました。
、そのあとへ豊臣太閤の木首が転がり込んだその前後、大津の宿では道庵先生が、がんりきの百の面を逆さに
大津でも、草津でも、彦根でも、民間が動揺して――動揺
かくして、大津も、草津も、彦根も、旅宿という旅宿の番頭が、テンテコ舞を
かの田地が仕附かなくなる、それがために天領、大津、彦根、膳所その他のお係りへ歎願に参ったそうでございます」
は、一応、響くだけ響かないと消えないものでして、大津、草津、膳所、彦根の人心が落着いた時分になって、長浜から北国
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それから、お角が伊太夫に向って、いま京都からこの地方にまで及ぼすところの、新撰組、すなわち壬生浪人というものの
、よく流行したもので、その最も代表的なるものは、京都の等持院の足利家累代の木像を取り出して、四条磧にさらしたことで
の出張ということですから、大がかりなものなんです。京都の町奉行からお達しがあって、すべての村に於て、この際、
のです。東国の兵がこの国を通過せずして京都に入ることはできません、西国の兵もここを通過せずして
「それは、京都をつい背後に控えているだけに、戦争というと、この国が唯一
ことに最近、嘉永年間に起ったのは、京都のある事業家が発起となって、浅野中務大輔がさんかし、彦根の井伊掃部
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。そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になると
する書物は、さし当り絶版ものでしょう、ことに最近は――仙台の林子平や、三州の渡辺崋山あたりでさえ、あの通りやられるのだ
仙台の仏兵助に追われた裏宿の七兵衛は、安達ヶ原より、もっと奥の
としたら、別物であろうはずはねえ、こいつが、その仙台の仏兵助という奴に紛れもねえ――おれをつかまえて、すんでの
「こりゃ申し遅れました、わしは仙台の兵助と申すやくざの老ぼれでがすよ、それでも人様が、こんな
なるほどな、実はね、七兵衛さん、わしも一旦は、仙台の役人から頼まれてお前さんを追いかけてみたけれど、今じゃそれ、
「御冗談をおっしゃい、いかに何でも仙台の仏兵助といわれる男が、男ずくの対談に、そんな卑怯な手
が請合うよ。いや、請合うまでのことはねえのだ、仙台の方でも、今じゃあ表向、お前さんの罪を問わねえことに
から扱いが変ったのだ。駒井能登守様は何か仙台のお家と浅からぬ因縁がおありなさるそうだ、で、そっちの方から
てねえ、それで、このほど、駒井様のお船は仙台領をお立ちになってしまったよ」
こしらえた船を、月ノ浦に泊めて置かっしゃるが、仙台のお家では、駒井様には充分の好意を持ちながら、それを長く
、そうですか、では駒井様のお船はもう、仙台領の月ノ浦とやらにはいらっしゃらねえんでございますか、そうし
浦をお立ちになった駒井様のお船はね、仙台領を乗り出すと、表向は江戸の方へ帰るというおふれ込みでした
さえすれば、多分もう駒井能登守様のお船がちゃんと仙台沖から到着して、碇を卸して、お前さんの飛び込むのを待って
、釜石道のわかり易いところまで案内しといて、それから仙台の牢の内へ帰らなけりゃならねえ」
「仙台の御牢内へ帰るんですが、ほかの罪人と違って、わしゃ仏扱い
行くと、おたがいに話がピッタリ合うというもんだ、仙台のお奉行から、お前さんをつかまえてくれと頼まれた時、わしゃ言い
いけません、わしゃお前さんから助けられた命だ、いわば仙台へ来て、お前さんに繋がれたこの首なんだから、この首
「仙台の親分――仏の親分様」
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「わしゃ江戸の下谷の長者町の道庵というものだが、この宿に同じ江戸者で、
江戸の下谷の長者町の道庵とみずからを名乗ることもよろしい、同じ江戸者で、お
いるうちに、珍しい、これはまた、江戸で見知りのある下谷の長者町の道庵先生だな、と気がつくと、この際、苦笑い
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に相違ないと存じますのでございます。先年、私が秋田の方に参りました時……」
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「この谷を通って、加賀の白山、あるいは金沢方面へ出られますか」
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たんだてな、長州の吉田寅次郎だとか、越前福井の橋本左内だとか、梅田うんぴん、なんて手合は、ザラにあるインチキ
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いられるのは、江戸というものがあればこそだ、甲府勝手にも廻されたし、知行所へ押込め隠居にもさせられたが、
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それにしても、あれはかわいそうでございましたよ、水戸在のあのお百姓は、かわいそうでござんした」
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主従引具して、尾張の清洲の山吹御殿から、肥後の熊本へ向けて出立することになりました。
城の見えるところを立去りたくないという姉と、肥後の熊本へ帰りたいという弟との意向の相違が、病める弟のいじらしさに
いや、お知らせだけではない、誓って、それを携えて熊本まで出向きまする、どうか、拙者の精神を御信用あって、御安心し
このまま御免を蒙りまする、あなた方は、お心置きなく、熊本へ向けてお立ち下さいませ、拙者が一心を以て必ず、系図のありか
は友人として、病身のわたしの弟をいたわって、熊本へお越し下さいませ」
もさまたげる気はありません、お前はお前で、心任せに熊本へおいでなさい、そうして、梶川様、あなたもどうか弟を見まもっ
示しではないかと思い当りました。けれども、肥後の熊本で静かに病を養いたいというこの子の希望もさまたげる気はありませ
ところは、この尾張の国の中村なのです、肥後の熊本の城も、清正の築城には相違ありませんけれども、それよりも
ていたいからなのです。いつも申します通り、肥後の熊本は、加藤清正の国ではないのです、加藤清正の産湯を流した
もござりませぬ、あの系図に魂があって、肥後の熊本へ行きたがらないのです、やはり、尾張の国に留まっていたいからな
何の銀杏加藤でござりましょう、あれを持たないで肥後の熊本へ帰って、どうして御先祖清正公の霊に申しわけが立ちましょう、
では、人に笑われます、お前はどこまでも、熊本へお帰りなさい、わたしは、引返して尾張の国へ留まります、では
て、お前の一生を安楽に托する風土というものは、熊本のほかにないことをわたしもよく知っているから、お前は、決して心
は肥後の熊本が故郷ではないけれども、お前には熊本が故郷なのです、そうして、お前の一生を安楽に托する風土と
、わたしもお前の心持がよくわかります、わたしは肥後の熊本が故郷ではないけれども、お前には熊本が故郷なのです、そう
を迎えていただきたい、そうして、世間体はどこまでも熊本へ立ったことにして置いて、邸内も広いことでござる故に、
加藤家を捨てたりと思召して、姉を守護して熊本まで下っていただきたい、そうしてかの地でわれわれは笑って再会し
して、三カ月目には必ず熊本へ来て下さい。熊本へ来れば、貴殿に安住の地が必ずある、しかし貴殿は以前から、
必要はないから、程よくして、三カ月目には必ず熊本へ来て下さい。熊本へ来れば、貴殿に安住の地が必ずある、
梶川氏、貴君もぜひ、熊本へ来てごらんなさい、必ず熊本が好きになるにきまっている。しかし、拙者は拙者として、斯様
気にはなれないのです。梶川氏、貴君もぜひ、熊本へ来てごらんなさい、必ず熊本が好きになるにきまっている。しかし、
です。そういうところですから、拙者は姉と違って、熊本を故郷なりとします、今、名古屋城をお前に与えるからと言って
は仇敵のような例も随分ありますけれども、肥後の熊本に限っては、今の細川家が、先の加藤家の崇信者で
先祖の有難味を味わって生きて行きたい。そういうふうに熊本では人心が皆、拙者になついてくれる、特に風土が、拙者の身体
は、生きる土地でないような気持がしています、熊本へ帰ると、そこに先祖の菩提所があります、我々が一生不足なく暮らせる
尾張の国で生れたのですけれども、拙者は肥後の熊本で生れました、その土地の引力かも知れませんが、姉は金鯱
に、これから三カ月後には姉君を伴うて必ず熊本へ参りますから、貴君も心を安んじ、御自愛第一にして待っ
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貴殿に安住の地が必ずある、しかし貴殿は以前から、長崎へ行きたい、支那へ渡りたいというようなことを言っておられた
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『大阪の豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯みな慄え上がる』と蒲生君平も単なる尊王愛国の放浪狂ではありません、なかなか裏面に徹して
がござる故に、多少の知識をもっているつもりです。蒲生君平も申しましたよ、『大阪の豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯みな
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「江戸に近い巣鴨の庚申塚というところで、わたしの姉さんが、あなたに刺し殺されたという
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とするものを、これだけの範囲に解釈している。浅草の観音様であろう、妻沼の聖天様であろう、そこに若干のお賽銭
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日には、ゲジゲジの舐めたあとまで見られてしまう。大久保彦左衛門ではないが、おれの身体に古い傷がないと誰が言う。
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て、同勢が馬に乗り、槍をもって引上げて、上野の三橋の前を大手を振って通って行ったが、町奉行の役人
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芸妓でさえ、これこれの芸術がある、遊女でさえも高尾、薄雲なんてところになると、これこれの文学があるというところを、