大菩薩峠 41 椰子林の巻 / 中里介山
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神尾主膳は、上野へ行って輪王寺の門跡について、覚王院の義観僧都を訪ねましたけれど、その日は
今日の主膳は、左様な侮辱にひるまないで、更に、輪王寺の重役、鈴木安芸守をたずねて、ここでは意外の珍客としてもてなさ
「京都の朝廷に岩倉三位があるように、輪王寺の門跡に覚王院義観僧都がある、京都に於ける岩倉三位を向うに
ないが、その目的だけは、はっきりわかっている、それは輪王寺宮御所蔵の錦の御旗を盗み出さんがためである、無論、盗まん
「ばかにするな、今日は善友も善友、輪王寺の執当を二人までたずねた上に、重役の鈴木安芸守と真剣な話を
談論風発、当代の人豪顔色無しだ、なるほど、あれなら輪王寺を背負って立って、関東のために気を吐くこと請合い、ちょっと、あれだけ
明け渡しても、上野の山で持ちこたえる、あいつが軍師で、輪王寺の錦の御旗を押立てて起てば、徳川の旗下が挙って上野へ
「輪王寺の執当職で覚王院義観というのだ、学問があって、胆力があっ
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雲州と姫路は何しておいでだ
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「十津川の騒動の時にやられました」
「はい、十津川では天誅組の方へ加わりました、中山卿だの、それから松本奎堂
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いるわけではないが、さながら満帆の春風を負うて、長江に柔艫をやるような気分の下に、醍醐へ下るのであります。
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お作らせなさいましたお奉行様もありましたが、下野の国の真岡近在は、真岡木綿の出るところですから、木棉畑がうんとある、
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ナポレオンでもワシントンでも
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の北の方に鷹ヶ峰というところがある、そこに「光悦寺」という小さな山寺があって、その昔、本阿弥光悦という物ずきが住ん
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「これより少々南の方、河内の国の天野酒、これが日本一という定評になっております」
「うむ――河内の国の天野酒、聞いたことのある名だ、これはひとつ、道庵が
翌日、飄々として出かけて帰らないところを見ると、河内の国までのしたのかも知れません。
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に現実的にして取引に近いだけのものです。それは熱田神宮へ参詣して、そっと茶店の女中に耳打ちして、「この神様は何
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甲州の山で泣いた月、松島の浜の悩ましい月も思い出の月ではあるけれど、この豪壮で、そうし
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ここまで教訓した信仰の鼓吹者は別人ならず、江戸の両国の女軽業の親方、お角さんなのです。お角さんはあれ
も、利用の道によっては、あのくらい働かして、江戸の見世物の相場を狂わしたことがある。いまさし当り何という利用法はない
「へへえ、考えやがったな、江戸でも御老中の屋敷の中なんぞで、そいつが、しょっちゅう御開帳になるん
守らなければならぬ、上野が関東の最後の、かつまた江戸での最上の本地となるのだという意見には、誰も異議はない
はあるまい、あれだけの奴がこっちにいれば、よし江戸の城は明け渡しても、上野の山で持ちこたえる、あいつが軍師で、輪王寺
「うむ、上方だ、今は江戸の舞台が、あっちへ移っているのだから景気は素敵だ、それに江戸
あっちへ移っているのだから景気は素敵だ、それに江戸と違って、千年の都だからなあ、見るもの聞くもの花の都だ
が、岩倉三位に比べると同日の談ではない、江戸に依存せずとも、薩長を操縦せずとも、立派に大業を成せる人だ
ことにきめて、その暫時の名残りのような意味で、江戸の市中を一通り見て置こうと思いました。
見たところと、聞いたところと、感じたままを、江戸のある方面へ知らせればいいというだけの役目であります。つまり情報部
そういう意味で、しばらくはまた江戸の地を離れなければならない。長州征伐に行く軍人と違って、これは
しも生還を期せずという出征ではないから、これが江戸の見納めという意味にはならないが、それでも風向きの都合上、しばらく
は帰れないと思わなければならない。よって神尾は、江戸の市中を一通り見学して置きたいという気になったものでしょう。
江戸に生れて、江戸を見ない人はいくらもあるものです。江戸も、本場
江戸に生れて、江戸を見ない人はいくらもあるものです。江戸も、本場を知って場末を
生れて、江戸を見ない人はいくらもあるものです。江戸も、本場を知って場末を知らない人もあれば、場末にいて盛り場
神尾主膳も、祖先以来の江戸っ子でありながら、江戸というものの地理の多分を知りません。あるところは知り過ぎているが
の知らないよりも知らない、そういう意味に於て、江戸の市中の再吟味ということが大切だと思いました。たとえば今日、
近いうちに大合戦がはじまる、いつ、薩摩や長州が、江戸へ攻め込んで来ないものでもない、そう致しますと、食糧がひっぱくに
てこのザマなんだ、少なくとも、二代、三代、江戸の水を飲んだ奴に、こんな恥を知らぬ奴はないはずだ。面
には江戸っ子の下落、一つには政治向の堕落、江戸の台閣には人間がいねえのかなあ」
を感じたから不快になり、もう、今日はこれまで、江戸見学の第一日程はこれで終る、今日は立帰って、明日また出直しという
さてその翌日、改めて出直した神尾主膳の江戸再吟味日程第二日。今日は、芝の増上寺へ参詣を志しました
、六尺と陸尺との混線だ、すなわちこれは、このごろ江戸の市中に溢れていた諸国諸大名の陸尺、即ち籠舁の人足の
ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やって
ここから江戸まで三百里、裸で道中がなるものか、なるかならぬか、やって
このごろ、江戸の市中の火附強盗の帳元は、皆その薩摩の為す業だと言っ
だが、僅かの間にそれもガタ落ち、薩摩の藩邸が江戸荒しの山賊の策源地と公認されながら、それに一指を加うることができ
草根木皮は食うなよ。天保の饑饉の時、わしは江戸で見たがな、なにしろ作の本場の百姓でさえ、食う物がなくて
さて、江戸の方面に於ける軟派、鐚は鐚で、このごろ少し憂鬱になっている。
「京都に於ける二条の城と、江戸に於ける東叡山とは、形式が違って立場は同じだ、この二条城
京都に於ける徳川の勢力が決する、東に於ては、よし江戸の城が落つるとも、東叡山に於て徳川旗下の意気の死活が示される
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なことを言っているのでありますが、私は、大菩薩峠の著者に就いてはなお以上のことが言えると思うのです」
「それは私の知らないことだ、わたしは大菩薩峠なるものを読んでいない」
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募集したことがありましたそうです。そうすると、四国かドコかの山中から現われた一人の応募者があったそうです。テストに現われ
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覚王院の威望が隠然として大きいのと、西の比叡に対する東の東叡山の存在が、ある意味に於ては、柳営以上の位
めぐり見きわめてみると、もう夕日が湖上の彼方、比良、比叡の方と覚しきに落ちている。さて、今宵、兵馬は思いきって、この境内
から、人が一個出て来ました。万籟静まり返った比叡と鞍馬の山ふところ、いずこからともなく、人が一個出て来た、
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今晩はドチラへ、はい、大原の寂光院に美しい尼さんがいると聞いたから、それを訪ねてみたいのです。
「はい、大原の寂光院から出て参りました」
「なに、大原の寂光院?」
寂光院と聞けば、美しい尼さんがいるとのことだが、いやはや、見ると聞く
「寂光院の水仕をつとめておりましたが、なにしろ、お腹がすきましてねえ、あなた
こうしてお釜を背負って出て参りましたが、寂光院に限ったことではございません、ドチラへつとめましても、お腹がすく
寂光院の塔頭に新たなる庵を結んだ、一人の由緒ある尼法師、人は称して
「文治元年九月の末に、かの寂光院へ入らせおはします。道すがらも四方の梢の色々なるを、御覧じ過ごさせ給ふ程
、いかならむ世にも忘るべしとも思召さず。さて寂光院の傍らに、方丈なる御庵室を結んで、一間をば仏所に定め、一間をば
「ははあ、尼さんですか、寂光院には美しい尼さんがいるという話だが、それが、あなたなのでし
がおぼろに出ると、それに浮かれて二つの蝶が寂光院の塔頭から舞い出でました。
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、なんでも北は会津から、東は水戸、南は薩摩の涯から、赤間ヶ関の親分までが、ズラリと面を並べる凄えんだそうです
西の方で中心となるは、大藩のうちでも、薩摩、長州が動かなければ本当の幕府の脅威とはならない、それが現に動い
。今の関東では、やれ長州に高杉があるの、薩摩に西郷がいるのと言っても、てんで取上げはしない。旗本たちにとっ
も、てんで取上げはしない。旗本たちにとっては、薩摩や長州の藩主そのものでさえが、己れと同格以下に心得ている伝統的の
がどのくらいの人物か知らんが、朝廷にいて、薩摩や長州の首根っ子を取って押えるというのだから、相当なものに相違
「薩摩だな」
「どうも、前のは薩摩の大久保市蔵らしいぜ」
、玉松操に製作せしめた錦旗の図面によって、薩摩と長州の傑物が二人、町人にその製作を命ぜんとしていることで
思いました。大久保さん、おたがいにしっかりしないと、薩摩も、長州も、岩倉三位に食われてしまいますぜ」
と、関西と、近いうちに大合戦がはじまる、いつ、薩摩や長州が、江戸へ攻め込んで来ないものでもない、そう致しますと、
ナニ、薩摩、その薩摩がどうした、憎い奴だ。
、江戸の市中の火附強盗の帳元は、皆その薩摩の為す業だと言っている。この増上寺に近いところに、その市中
屋敷のこっち側は土佐の屋敷だったんだが、それを薩摩が併合しちまやがった、そうして、今やこの邸が江戸攪乱の策源地
薩摩という奴、怪しからぬ奴だ。松平薩摩守で、徳川御一家待遇にある
の間柄であるのに、幕府を軽蔑しきっている。薩摩が増長しているというよりも、幕府の役人共に意気地がないからだ
か大事が起ると、自分の力で決断し兼ねて、薩摩へ持込む。薩摩守がこうだと言えば、大抵はその方に事がきまる
言うと、三家も屈伏するというていたらく。だからいよいよ薩摩を増長させる。このごろの増長ぶりでは、どうやら徳川家を倒して、
だが、幕府の力が足りない。この台場なんぞも、薩摩の力を借りてやり上げたものだ。
附あたりをしかるべく召しつれて見に来た時には、薩摩の太守が門の表まで出迎えて、ていねいな挨拶だが、伊勢守は頭
ても、まだ天下の徳川の老中だ。世間では、薩摩の太守、薩摩の太守とあがめ奉るが、見受けるところ、老中に対してはあの
天下の徳川の老中だ。世間では、薩摩の太守、薩摩の太守とあがめ奉るが、見受けるところ、老中に対してはあの通りだ。老中
得られたものだが、僅かの間にそれもガタ落ち、薩摩の藩邸が江戸荒しの山賊の策源地と公認されながら、それに一指を加
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噂を一切見えぬ後目にかけて、山科谷から、島原の色里にまで、影を追うて往年の紅燈緑酒の夢を見て帰っ
は称して、阿波の局の後身だとも言うし、島原の太夫の身のなる果てだと言う者もあります。
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門跡のおわすこの上野の山が関東の王座となって、江戸城は、その衛城であること京都の二条城にひとしい。この意味から上野
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が、最後に、最悪の場合を覚悟するとして、関西の勢力が朝廷を擁し、関東と相対峙するような形勢となると、輪王
があるわけではございませんが、つまり、関東と、関西と、近いうちに大合戦がはじまる、いつ、薩摩や長州が、江戸へ攻め込ん
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宇津木兵馬は北国街道を下って、越前と近江の境を越えるまでは何事もなかったけれども、長浜へ来ると、
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「ないどころじゃありません、大有り名古屋のもっと先なんでしょう。いったい、何でそんなに急に京都風が吹き出して
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これも、うら若い女の声でありました。紛う方なき奥州の南部で、七兵衛入道がむりやりに押しつけられて来た、お喜代という村主
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公から、建礼門院様お目附のために差しつかわされた鎌倉の御家人の名でございます、それがあの森に屋敷を構えていて、
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体にしていて、気が向いたら、京都なり、大阪なり、好きなところへ泳ぎ出して、好きなように遊んでよろしい、出仕の場所
、一休禅師には一目ぐらいは置いているらしい。これから大阪へ行って、ひとつ親類のお墓参りもしてやらずばなるまいと、
、変なことを言うと思って、問いただしてみると、大阪に永富独嘯庵の墓があるから、それをひとつ訪ねてやろうと思っ
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「下総の国、印旛の郡、成田山ではお手長お手長」
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するには混乱しました。その時、お銀様は甲州の家にあった「阿娑縛抄」一部を惜しいものだと思い出さないわけに
甲州の家には文庫が幾蔵もあった。お銀様は、それを逐一風
甲州の山で泣いた月、松島の浜の悩ましい月も思い出の月ではある
甲州の人は、徳川家康を恐れない、我が信玄に十に九ツも勝味の
陣の心胆を寒からしめんにも、熱からしめんにも、甲州というものに対して、その武を用いた経験がないではないか。
その武を用いた経験がないではないか。故に甲州の人は家康を恐れない以上に秀吉を恐れない、最初からこれらの軽蔑
所以を知っている。さてまた、この暴女王に限って甲州そのものを軽蔑すべき所以を知っている。父祖伝統の甲斐の国、武田
山科の地形が、甲州に似ている。山河襟帯の中間に盆地を成すの形勢が、何となし
て、その盆のくりがたをさらに深くしたのが即ち甲州であるとは言えるかも知れないが、すでに故郷の地形にあこがれを持たない
に、好意の妨害を試みていたほどの強情もの。甲州の有野村の女王であることに、何の不思議もないのですが、人
「日本国中で民政のよく行届いたところは、まず甲州と、尾州と、小田原の三カ所だろうよ、信玄や、信長や、早雲の
「信玄がただの武将でなかったことは、ひとたび甲州に行けばわかる、見なさい、彼地の人は信玄を神様として
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主膳の江戸再吟味日程第二日。今日は、芝の増上寺へ参詣を志しました。
、役に立てばいいが、と冷笑して、さて、増上寺の参詣も無事に済ませて、山門を出て見ると、今度は赤羽橋の
は、皆その薩摩の為す業だと言っている。この増上寺に近いところに、その市中の山賊強盗の巣、薩摩屋敷があるはずだ
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上人は九十まで生きたが、これも一日一食。伊勢の月僊和尚というのが八十九、鳥羽僧正が八十八、一休和尚が同年と
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通って蹴上粟田口へ出るが、三条橋は渡らずに、比叡山の方へとずんずん進んで、それ、名代の八瀬大原の方へ行く途中の
あり、支那では天台山の乾の方、日本ではこの比叡山の乾、即ち当山、大原来迎院を即ち魚山というのです、慈覚大師直伝
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「東照宮の如きも、駿府に隠居をされた後でも、ただ、じーっとして
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から、藁のうちから別れ別れにされて、一匹は関東へ、一匹はこっちへお弟子に貰われたんですよ、友を呼ん
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の
を覚悟するとして、関西の勢力が朝廷を擁し、関東と相対峙するような形勢となると、輪王寺門跡のおわすこの上野の山
形勢となると、輪王寺門跡のおわすこの上野の山が関東の王座となって、江戸城は、その衛城であること京都の二条
ひとしい。この意味から上野は守らなければならぬ、上野が関東の最後の、かつまた江戸での最上の本地となるのだという意見に
思われますから、いずれも耳を傾けました。今の関東では、やれ長州に高杉があるの、薩摩に西郷がいるのと言って
無しだ、なるほど、あれなら輪王寺を背負って立って、関東のために気を吐くこと請合い、ちょっと、あれだけの大物は無いなあ、坊主
なあに、つかまえどころがあるわけではございませんが、つまり、関東と、関西と、近いうちに大合戦がはじまる、いつ、薩摩や長州が、
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方は、もう胆吹にはおりませぬ、胆吹を飛んで、大江山の方へお出ましになってしまったそうでござります。
「多分、大江山でしょうと思いますが」
またしても大時代――胆吹山でなければ大江山、兵馬はこれにも、げんなりせざるを得ません。
これは物が物だけに、存外早く手がかりがつくだろう。大江山というは、この女性のロマンがかりで、もっと近いところに、別生活に入り
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小牧山なり、関ヶ原なり
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があると言って、吉原行きをことわって引返して来た根岸の侘住居。
、そういうような気分で神尾主膳は、程遠からぬ、根岸からつい一足上りの上野の山へ今日も出かけて行きました。
誰も来ないとなると、閑の閑たる根岸の里。お絹は大丸髷に手拭を着せて、主膳の居間の掃除を
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人が一個出て来ました。万籟静まり返った比叡と鞍馬の山ふところ、いずこからともなく、人が一個出て来た、その物音
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「東照宮の如きも、駿府に隠居をされた後でも、ただ、じーっとして城内に引籠ってい
じーっとして城内に引籠っていられたわけではない、駿府の近傍の庄屋とか、古老とかいうのを集めては、碁の会
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その前後、京都の二条城で勝麟太郎の受爵の式が行われました。
勇と、土方歳三の二人が、慷慨淋漓として、二条城の天主台の上に立って、洛中洛外の大観を見澄ましておりましたが
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ここまで教訓した信仰の鼓吹者は別人ならず、江戸の両国の女軽業の親方、お角さんなのです。お角さんはあれで信心者だから、仮り
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三宝院の庭は、京都に於ける名庭園の一つであります。いや、日本の国宝の一
王座となって、江戸城は、その衛城であること京都の二条城にひとしい。この意味から上野は守らなければならぬ、上野
「京都に於て、公卿で第一に怖るべき人物はというと、それは
御方の、おつきの養育係を命ぜられて四年間、京都に留まったその経験がさせることと思われますから、いずれも耳を
ように、輪王寺の門跡に覚王院義観僧都がある、京都に於ける岩倉三位を向うに廻して、これと相撲の取れるのは
「京都の朝廷に岩倉三位があるように、輪王寺の門跡に覚王院義観
に高い。ことに昨夜の鈴木安芸守の見立てによると、京都の公卿の岩倉三位というのと匹敵する人物だという。岩倉が
「実はな、ひとつ、京都へ行く気にならないか、お前が行く気なら、おれも行くよ」
「京都へ?」
お恥かしながら、わたし、この年になって、まだ京都を存じません」
のもっと先なんでしょう。いったい、何でそんなに急に京都風が吹き出して来たんでしょうね」
日に、人もあろうにこの神尾を見込んで、ひとつ京都へ乗込んで、一遊び遊んで来ちゃどうだという、甘い口がかかっ
、どの方面と名は言わないが、このおれにひとつ京都へ出張ってみないかという話が持ちかけられたんだよ。気の
て京都へ行けというほどの実力ある奴がいるか。京都へ行けば、当分、遊びたいだけの遊びをしていいという軍費が
ではない、第一、悪友どもにこの神尾を見立てて京都へ行けというほどの実力ある奴がいるか。京都へ行けば、当分
ものですかねえ、ほかならぬあなたをお見立てして、京都で思うさま遊ばせて上げようなんて、そんな有り余るお宝の持主がありますかねえ
ば、これも一期の奉公だと心得て、おれは京都へ乗込むよ」
は別儀ではない、私の姉さん、お前、一緒に京都へ行ってくれるかね、お前が行ってくれれば、これも一期の
「参りましょう、あなたのおともをして、京都へ参りましょう」
「いいかい、ただの京都見物じゃないよ、次第によると永住の形式になるかも知れないぜ
、わかる、では、おれは明日にもまた折返して、京都行きを承知して来るよ、いいかい?」
今度の京都行きの話は、どこから出たかその出所はわからない。またわかって
があるのだ、異人館の方に未練もあるだろうが、京都での一苦労も古風でたんのうの味はあるに相違ない、同意ならば
隠れたのは表面の口実、実は徳川のために、京都の隠目附をつとめていたのだ。おれは但馬守ほどに剣術は
が、戦場の行賞の不平をたねに、知行を抛って京都の詩仙堂というのへ隠れたのは表面の口実、実は徳川の
、閑居の体にしていて、気が向いたら、京都なり、大阪なり、好きなところへ泳ぎ出して、好きなように遊んでよろしい
なもんだろう、そこで、話はいよいよ早い、なんでも京都の北の方に鷹ヶ峰というところがある、そこに「光悦寺」と
な人を遊ばせるかと言えば、遊んでいながら、京都の内外の様子をすっかり偵察して、それを時に応じて、こっちへ
そこで神尾主膳主従は、京都行きの腹を固めて、今までにない新しい勇気に酔わされて、心地よい一夜
に向っていることに於て、当然、彦根、大津、京都の本街道を飛んで行くものに相違ないと思いました。
形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ小規模ながらも、一天地を成して
十六郷はよく整った一国の形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ
神尾主膳は、このたびの新しい使命の下に、いよいよ京都へ行くことにきめて、その暫時の名残りのような意味で、江戸の
は、前にしるしたように、全く無任所として、京都の鷹ヶ峰に住っておればいいということだけです。そうして遊びたい
京都の騒動
一同挙って京都へ詰め寄せ
外夷に笑われ京都はしくじる
、ここの上人に就いて声明学を研究しようと思って、京都の今出川から、毎日毎夜、ここへ通いました。声明に就いて、私は
その前後、京都の二条城で勝麟太郎の受爵の式が行われました。
同じだ、この二条城を守りきれるや否やで、京都に於ける徳川の勢力が決する、東に於ては、よし江戸の城が落つる
「京都に於ける二条の城と、江戸に於ける東叡山とは、形式が
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すばらしいものですから、脇侍が落ちて見えるのは、ちょうど、奈良の大仏の仁王門の仁王が、それだけを持出せば絶倫の大きさのものな
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ねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、六十四万石でげすぜ、百五十石ではお前さん、
仙台、南部や津軽の爺さん
ことに仙台
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ませんが、中納言様が百五十石なんてえな受取れねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、
と大したもので、なんでも北は会津から、東は水戸、南は薩摩の涯から、赤間ヶ関の親分までが、ズラリと面を並べる
水戸の甚六、困ったものだよ
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人間業に行って行かねえやつなんだ、早い話が、甲府勤番支配駒井能登守が、この大海原の真中の離れ島の椰子の木の下
。悪友以外にまじめに訪問を試みたということは、甲府勤番の役向を別としては、何年にも絶無のことで
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そのうちに土肥庄次郎は、長崎へ行くようになってから、二人の交りはパッタリと絶えて幾久しい間、
長崎警固も厳しくしなさい
お尻が早くて長崎なんぞへ
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、西に向っていることに於て、当然、彦根、大津、京都の本街道を飛んで行くものに相違ないと思いました。
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福井の坊ちゃん、何していなさる
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松山ふんぱつ、感心感心
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讃岐の高松、大和の甲斐さん
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困る佐賀さん、呆れた縫ちゃん
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ちょうど人が自分のポケットの中身をよく知っているように巴里を知っている、彼は夢みる人であると同時に、その夢を支配
いるだけではない、それと親密になっている、たとえば巴里の都のことに就いても、あの町々を幾度も幾度も、裏返し、
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仲間での出雲の神様になりてえ、そうでなければ浅草の粂の平内だ、おれをふみつけさえすれば、男女の縁は結んで
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神尾主膳は、上野へ行って輪王寺の門跡について、覚王院の義観僧都を訪ねまし
ていると見えて、じゃんじゃんの鐘を聞くと、急に上野の地が恋しくなったようなわけで、山へ登ってみましたよ
城にひとしい。この意味から上野は守らなければならぬ、上野が関東の最後の、かつまた江戸での最上の本地となるのだと
城であること京都の二条城にひとしい。この意味から上野は守らなければならぬ、上野が関東の最後の、かつまた江戸での
対峙するような形勢となると、輪王寺門跡のおわすこの上野の山が関東の王座となって、江戸城は、その衛城である
あるということで、それはこのごろ、上方から間諜がこの上野の境内へ入り込んでいる、ドコにどういう奴が幾人入り込んでいるか、
「また今日も上野へ出かけて、坊主に面会して来る、話が長くなるかも知れん
で神尾主膳は、程遠からぬ、根岸からつい一足上りの上野の山へ今日も出かけて行きました。
「そんなにエライ坊さんが、今時、上野にいらっしゃるのですか」
御旗を押立てて起てば、徳川の旗下が挙って上野へ集まる、本来、ここまで来ないうちに、もっと早く、こちらから積極的に
がこっちにいれば、よし江戸の城は明け渡しても、上野の山で持ちこたえる、あいつが軍師で、輪王寺の錦の御旗を押
小栗上野 四十一歳
すなわち、上野の東叡山輪王寺御所蔵の錦旗を盗まんとする不逞の徒が存在
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つい昨晩のこと、五郎魔が、お茶の水の首縊松の下を通ると、若い奴が一人、今にもブラ下がろうと
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「どうも、前のは薩摩の大久保市蔵らしいぜ」
「薩州の大久保でございます、岩倉三位は御在邸でございますか」
「大久保君、よく来てくれた、まあこっちからお入り――」
入魂になっているが、品川は初対面であるらしい。特に大久保が今日、品川を帯同して、岩倉に紹介がてら推参したものと思わ
を見ました。この空気によって見ると、岩倉と大久保の間は入魂になっているが、品川は初対面であるらしい。特に大久保
と大久保が、岩倉三位の手ずから丹精の小庭と、その手にせる鍬を見
大久保も感慨に耽ったが、品川の弥二が、ここで、また改めて岩倉
その居間に通されるのでありますが、品川弥二郎は、大久保と岩倉の後ろ影を見ながら大いに考えさせられているようです。
三人、奥の居間で密談となりました。まず、大久保から岩倉への品川の紹介があったことでしょう。それから、長州の人傑
大久保利通 三十七歳
岩倉も、大久保も、諒解して、いま来訪して来たという山科の骨董商なる
岩倉も、大久保も、品川も、共にその風呂敷の中を無言で見入っている。
から、あらかじめ備えられた一つの彩色図を出して、大久保に示し、
の図面と見比べる。そこへ品川弥二郎が首を突き出して、大久保の調べのあとを追うて仔細に吟味をして見る。
そこで、大久保は大和錦を取り上げて、二三尺ずつ引きほごしては、下なる彩色
甚だ無遠慮で、果ては彩色の絵図面を横手に持って、大久保の繰りひろげた大和錦を片手で引張って、押しつけるようにして較べて見る
の姿勢で、ほとんど膝行頓首の体制のままですから、いま大久保が大和錦と引合わせている彩色の図面が何物だかわかりません。わかろう
、品川も頷く。三位も満足の体。その時に大久保が改めて、
と大久保が保証すると、品川も頷く。三位も満足の体。その時に
、立派に大業を成せる人だと僕は思いました。大久保さん、おたがいにしっかりしないと、薩摩も、長州も、岩倉三位
か、こんな人物を、エライエライと担ぎ上げ、持ち上げるのは、大久保さんにも似合わないことだ、お公卿さんに免じてのお追従だろう、
弥二郎は、はじめて会った岩倉三位に就いての印象を、大久保市蔵に向って右のように物語りつつ、やがて京の町に入り、薩州
、消さんとしても消ゆるものではあるまい。大久保市蔵が岩倉谷に入ると、事実上、日本の枢軸は震動するのだが
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「拙者も、そう思う、そうして、あとは長州の品川弥二ではないか」
「今日は品川君を連れて参りました」
いるが、品川は初対面であるらしい。特に大久保が今日、品川を帯同して、岩倉に紹介がてら推参したものと思われます。
と、岩倉と大久保の間は入魂になっているが、品川は初対面であるらしい。特に大久保が今日、品川を帯同して、岩倉に
と岩倉三位は改めて、ジロリと同行の品川弥二郎を見ました。この空気によって見ると、岩倉と大久保の間
大久保も感慨に耽ったが、品川の弥二が、ここで、また改めて岩倉三位の横顔をじっと見つめまし
を受けて、その居間に通されるのでありますが、品川弥二郎は、大久保と岩倉の後ろ影を見ながら大いに考えさせられているようです
居間で密談となりました。まず、大久保から岩倉への品川の紹介があったことでしょう。それから、長州の人傑の近況が一くさり噂
品川弥二郎 二十五歳
岩倉も、大久保も、品川も、共にその風呂敷の中を無言で見入っている。
ほごしては、下なる彩色の図面と見比べる。そこへ品川弥二郎が首を突き出して、大久保の調べのあとを追うて仔細に吟味を
ように、恐れ慎んで面を上げないのでありますが、品川弥二郎は甚だ無遠慮で、果ては彩色の絵図面を横手に持って、大久保の
と大久保が保証すると、品川も頷く。三位も満足の体。その時に大久保が改めて、
聞いていると、次のようなものであります。まず品川弥二郎が言いました、
品川弥二郎は、はじめて会った岩倉三位に就いての印象を、大久保市蔵に向っ
いうことを、神尾が心肝にこたえつつ、そこを引返して品川へ出ると、海岸の茶屋で、蛤を焼かせて一杯飲みながら、海
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昭和十六年五月十日の東京朝日新聞の映画欄の記者でさえも、こういうことを書いている――
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御成門まで来ると、一隊の練兵が粛々と練って来る。主膳も勢い、道
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、節制ある当今の西洋流と少しも違わない、近頃まで八王子に、信玄当時の槍法が残っていて、毎年二度、その槍
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残らず揃って両国橋から