大菩薩峠 21 無明の巻 / 中里介山

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地名一覧

箱根山

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「石臼とならばドコまでも、箱根山、白糸滝の中までも……」

箱根

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殺され、自分は知らぬ旅の人に助けられて、箱根の湯本で湯治している時に蒔かれた二人の縁が、本郷の妻

本郷

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で湯治している時に蒔かれた二人の縁が、本郷の妻恋坂の雨やどりで芽ぐみ、その後、自分は京の島原の生活から

はさみ、例の杖槍はてばなすことなく、門を出て本郷の壱岐坂方面へ、跛足を引いて歩んで行きます。

庄内

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をつけてやろう。ほかでもないが、相手は出羽の庄内で十四万石の酒井左衛門尉だ、今、江戸市中の取締りをしているの

「ええ、出羽の庄内の酒井様」

「ええ、出羽の庄内で十四万石、酒井左衛門尉様のお手がついたお部屋様を、悪者が盗み出し

上野原

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それまでの間、昨晩も申し上げましたように、これから上野原へお移り下さいまし、あれに月見寺と申しまして、山家にしては

担ぎ上げ、それから本山を経て五十丁峠の間道を、上野原までやろうとするのは、変則であってまたかなりの冒険です。しかし、駕籠屋

「ええ、上野原の方へ。急病人がありましたのでね」

上野原の土地そのものは、盆地ともいえないし、高原ともいいにくい山間の

上野原の月見寺では、お喋り坊主の弁信が、仏前の礼拝を済まして廊下

その夜はこうして明けましたけれど、朝になって上野原の駅路外れ、火の見櫓の下に、一つの恐怖が起りました。

慢心和尚が裏街道を甲州へ入った時分、宇津木兵馬は上野原の月見寺を出て行方不明になりました。行方不明というのは、西の

房総

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から翌年の春にかけては太平洋の岸、東海道は房総の地から武相、伊豆半島から駿遠、或いは紀州から摂津、更に備前、備中

伊豆

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やあ、鎮西八郎、豪勢だな。あの弓でもって、伊豆の大島で、軍船を一つひっくり返したんだから豪勢だ」

畿内

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或いは紀州から摂津、更に備前、備中、備後、安芸等、畿内から山陽道にわたって漂うのを常とし、これらの地を蚊が

ベツレヘム

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「ユダヤいう国、ベツレヘムいうところでお生れになりました」

安芸

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駿遠、或いは紀州から摂津、更に備前、備中、備後、安芸等、畿内から山陽道にわたって漂うのを常とし、これらの地

摂津

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房総の地から武相、伊豆半島から駿遠、或いは紀州から摂津、更に備前、備中、備後、安芸等、畿内から山陽道にわたって漂うの

長者町

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ごらん、幾万人でも押しかけて来てごらん、憚りながら長者町の道庵がかくまった人間を、腕ずくで取り返せるなら取り返してみろ、とこう言っ

さてまた、長者町の道庵先生の屋敷の門前では、子供たちがしきりに砂いじりをして

葛城山

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葛城山へ虹が出た

秩父

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月見草の花が咲いています。遠く水上には、秩父や甲州の山が朧ろに見えるし、対岸の高くもない山や林も、

、秋の武蔵野には大気が爽やかに流れて、遥かに秩父の連山。その山々を数えて見ると、武州の御岳山。

のもので、その高さ二百歩以上のところはなく、秩父から系統を引いているわけではなく、筑波根の根を引いているわけ

大中寺

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「栃木の大中寺というところに、もとの知行所があって、そこへ隠れている」

「栃木の大中寺、たいへん遠いところへお越しになったものですね」

「そのうち、日光へ参詣を兼ねて、一緒に大中寺の御大をたずねる約束をして来たから、近いうちここへやって来ると

栃木の大中寺に逼塞の神尾主膳は、このごろは昔と打って変った謹慎の体であり

この隠居も大中寺へ見えて、主膳とは碁敵になっているが、主膳の方がずっと強い

いや戻り道だ、大平神社の隠居殿を訪ねて、これから大中寺へ戻ろうとするところじゃ」

提灯は断わってしまって、二人が相携えて、大平山を大中寺の方へ、山間の小径を伝うて下ります。

「ははあ、では、その大中寺とやらで、御修行をなすっていらっしゃるんでございますね、御修行が積ん

ほどなく大中寺の門前までやって来た時分に、がんりきの百蔵は、急に主膳

と思うと、神尾は勝手を知った庭を通って、大中寺名代の七不思議の一つ、「開かずの雪隠」の前へいって、

た。油坂は転んではならないところ。そこは、やはり大中寺七不思議の一つ。

本所

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その夜のうちに宇津木兵馬は、ジリジリした心持で、本所の相生町の老女の屋敷へ帰って来ました。この老女の屋敷というの

娘は申すまでもなく、本所の相生町の老女の邸のお松であって、この男を知っているの

「本所の方におります」

「本所――本所はどこだね」

「本所――本所はどこだね」

「本所は相生町でございます」

それとは趣を異にした本所の相生町の老女の家では、南条力が壮士を相手にして、

いうことはなかった。曾て甲府の城下にある時、また本所の弥勒寺長屋を出でて、江戸の市中をさまよう夜な夜なは、この姿で、

飛鳥

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飛鳥の山では火が燃える

相生町

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のうちに宇津木兵馬は、ジリジリした心持で、本所の相生町の老女の屋敷へ帰って来ました。この老女の屋敷というのは、

娘は申すまでもなく、本所の相生町の老女の邸のお松であって、この男を知っているのは、

「本所は相生町でございます」

「相生町――」

あります。そこで、ちょっと福村が、胸の中で、相生町へ当りをつけてみました。相生町辺でしかるべきお屋敷――それも

エート、相生町の一丁目から五丁目までの間には、しかるべき大名旗本の屋敷はないはず

「相生町は、誰のお屋敷?」

それとは趣を異にした本所の相生町の老女の家では、南条力が壮士を相手にして、

は、花やかな歓楽郷。橋一つ越ゆれば目的の相生町。

御門を両国広小路、両国橋を渡り終って、ほどなく相生町の老女の屋敷に着いた宇治山田の米友。ホッと息をついて裏門の潜り戸

邸の裏門から驀然に走り出だした宇治山田の米友は、相生町を真一文字に、両国橋の袂まで飛んで来て、

「相生町の御老女の屋敷から来て、小石川の伝通院の学寮へ帰るんだ、

「もうし、物をお尋ね申したいが、あの本所の相生町というのは、どう参ったらよろしうございますかね」

「相生町へ行きなさるか……」

元町というのがあらあ、それを河岸へ伝って行くと相生町へ出まさあ、左が松坂町……」

も有難うございます。序にお聞き申したいのは、その相生町に、御老女様のお屋敷というのがござりますか」

が、まあともかく、いま言った通りに行ってごらんなさい、相生町へ出たら、もう一度聞いてごらんなさるさ」

その尋ねて行く先は、相生町の老女の家。

のを与八がなだめて、その場を外し、志すところの相生町へ急ぐ。

相生町の老女の家の一間に、まだ新しい仏壇の前で、お松は赤ん坊

江戸

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「あの、昨晩申し上げましたように、わたくしはこの夜明けに江戸へ参ります、それは、いつぞやも申し上げました、わたくしの子供の在所

今、この女は江戸へ行くとのことです。江戸へ行かねばならぬその理由は、よそへ

今、この女は江戸へ行くとのことです。江戸へ行かねばならぬその理由は、よそへ預けておいた行方不明の子供の

「そうですか、お若さんは江戸で御亭主をお持ちなすったそうですが、本当でしょうか」

「それが、どういう縁で、江戸の方へかたづいたのだ」

「いよいよ江戸へ行ってしまうという時に、高尾の若い坊さんが一人、縊れて死ん

山におりました小法師でございまして、あれから一度は江戸へ出て参りましたが、江戸も少しさわることがございましたために、

て、あれから一度は江戸へ出て参りましたが、江戸も少しさわることがございましたために、私に幼少の折から琵琶を教え

通りに道庵屋敷を落ちのびた二人の者は、真夜中の江戸の市中をくぐり抜け、弁信は例の琵琶を頭高に負いなし、茂太郎は

性驚きて周章て騒ぐ処へ、三浦兵六力を得て、江戸、豊島、葛西、川越、坂東の八平氏、武蔵の七党を七手に

のが只事ではないと思って考えてみたが、江戸の侍たちが月見の遠乗りに、この分倍河原をさして来たものでしょう。

こうです。世にはだいそれた奴があればあるもので、江戸のあるお大名の奥方を盗み出して、たしかにこの町あたりまで入り込んだ形跡が

、たしかにこの町あたりまで入り込んだ形跡があるようで、江戸の市中の取締が轡を並べて追いかけて来たということです。いや

からね、二十人ばかりのお侍が馬を飛ばせて江戸から、これへ追いかけて来たんだそうで……」

その翌日、結束して江戸を離れて、例の甲州街道の真中に立った宇津木兵馬。

て、神代の時に遡るほどの歴史を持った土地。江戸の都が、茫々として無人の原であった時分に、このあたりは

ず、着流しに下駄穿きで、近在の世話人が、公事で江戸へ出向いて来たような風采。

があるらしく、目先を変えて同業者をあっといわせ、江戸の人気の幾部分を両国橋の自分の小屋へ吸いとることに、この女の

それとは別に、その晩、江戸の市中の一角を騒がすの事件がありました。

「権現様が旗本をつれて江戸をお開きになった根元というものは、そういったものではなかった

って涙もこぼれない、色里や歌舞伎者にチヤホヤされるのが江戸ッ児だと心得ているくらいだから、刀のさしようは知らなくっても

「それじゃ何かえ、せっかくここまで進んで来た江戸の文化を、昔の田舎気分に引き戻せとおっしゃるのかい。権現様だって

権現様だってなにも、人間を窮屈にしようと思って江戸をお開きになったわけじゃあありますまい。そりゃ戦争の時分は玄米飯を

様の時代と今日とは時代が違いますぜ、今時、江戸に生れて清元の一つも唸れねえようなのは人間とは言われませ

だといったところで、薩摩だといったところで、江戸のさむらいほど京女に持てるのはありゃしませんぜ、京女に鼠なきをさ

ところがその鰡八大尽は洋行の留守中であり、江戸の武家は長州征伐というわけで、風雲の気はおのずから西に走せて

恨みでしたのか、わたくしはすこしも存じませんが、江戸に近い巣鴨の庚申塚というところで、惨たらしく殺されてしまったそうでございます

が、酔眼にもしかと認めたその人影は女。それも江戸の町家、或いは大名の奥などで見るような娘ぶり。

で、一生を埋めておしまいになるつもりでございますか、江戸の方には未練をお残しなさるようなことはございませんのですか」

も知らないで、人もあろうに度し難い畜生共だ。江戸へ押しかけて、福村の奴を取って押えて泥を吐かしてやろうか。

ニ感ズルコトアリ、今朝ヨリ暫時ノ旅行ヲ試ミントス。行先ハ江戸、滞留及ビ往復ノ日数ヲ加ヘテ多分十日以内ナルベシ。留守中ノ事

「江戸の方へお帰りでございますか」

「左様――江戸を出て、甲州の塩山にちょっと知合いがあるものですから、そこへ尋ねて

の城下にある時、また本所の弥勒寺長屋を出でて、江戸の市中をさまよう夜な夜なは、この姿で、この男の動くところには、

かに子供らしいところがあり、草鞋がけでかなりの道中を、江戸までスタスタ歩いて来たものと見えます。

やがてこの道づれは滞りなく江戸の朱引内を出てしまって、例によっての甲州街道を歩み行くうちに

方、恵林寺へ再び戻る気配もなく、東の方、江戸の地へ足を踏み入れた様子もなく、あれから横へ外れて、つまり甲武信

桑名

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から一番船で、七里の渡しを渡って、伊勢の桑名へ上陸の普通の順路を取ったまでだから、それをいまさらいい立てるのは、

小石川

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「詳しい話は拙者のところへやって来給え、小石川の茗荷谷で、切支丹坂を上って、また少し下りると、長屋門のイヤに傾い

遊びにやって来給え――ええと、拙者のところは小石川の茗荷谷、切支丹屋敷に近いところで、いやに傾いだ長屋門を目安に置いて

、ともかくも返答に三日の猶予を置いて、これから小石川へ帰ろうとします。

宇治山田の米友は、夜になって、その宿所なる小石川の伝通院の学寮へ帰って来ました。現在の米友の仕事は、ここ

「間の山……じゃなかった、小石川へ帰るんだ」

「小石川のどこへ」

「相生町の御老女の屋敷から来て、小石川の伝通院の学寮へ帰るんだ、火を貸しておくんなさい」

武蔵野

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頭を挙げて見ると、秋の武蔵野には大気が爽やかに流れて、遥かに秩父の連山。その山々を数えて

方、箱根ヶ崎で終る三里ほどの連岡であります。武蔵野の真中に、土の持ち上っただけのもので、その高さ二百歩以上の

、筑波根の根を引いているわけでもなく、いわば武蔵野の逃水同様に、なんの意味もなくむくれ上って、なんの表現もなく

ました。この辺、数里にわたって、見渡す限りの武蔵野であります。

大菩薩峠

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、あのお松のことでございます。あの子は私が大菩薩峠の上で拾って来た、かわいそうな孤児なんでございます、私だって

「ほんとうに大菩薩峠は、悪魔峠です」

筑波

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筑波、日光、今市――大平山等の地名が交々その話題の間にはさまれるところ

東海道

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太閤秀吉の生れた国と、金のしゃちほこを見落して、東海道膝栗毛もすさまじいや、尾張名古屋は城で持つと、雲助までも唄っていらあ

がどのくらいからいか、それを噛みわけてみねえことにゃ、東海道の神様に申しわけがねえ」

観音院

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百丈の大智は一日作さざれば一日食わず。趙州観音院の和尚は、六十一歳にして、はじめて発心求道の心を起して諸方に

薩摩

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へ行って見さっし、長州だといったところで、薩摩だといったところで、江戸のさむらいほど京女に持てるのはありゃしません

府中

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府中の六所明神に近い大きな欅並木の下で、一休みした時に、さすが

でしょう。それについて、ここはお前、武蔵の国の府中の町といって、この府中の町にはお六所様というのが

はお前、武蔵の国の府中の町といって、この府中の町にはお六所様というのがあって、これが武蔵の国

「府中の町は今、上を下への大騒ぎをやっているね」

府中の宿のこの大騒ぎの避難者の一人に、がんりきの百蔵があります

「お爺さん、気をつけな、府中の宿は今、上を下への大騒ぎだぜ」

おやじは、むっくりと起きて心配そうです。倅の家は府中の町はずれにあって、幾人かの孫もあるはず。

「只事じゃねえ、府中の町をひっくるめて、一軒別に家さがしが始まってるんだぜ」

八幡太郎の欅並木を、なにくわぬ面をして、府中の町へ入り込もうとするがんりきの百蔵を見ることができます。

みて当りのつくはずもねえのだが、さて、いったん府中の町へ入り込んで逃げたとすればどこだ、どこをどっちへ行けばうまく

その心得で考えてみても、どうもこの悪者はまだ府中の宿を離れてはいねえと、こう睨んだのだ、つまり酒井様の

お手のついた別嬪をつれ出した奴が、ほんとうにこの府中の町へ逃げ込んだものとすれば、そうして昨晩つかまらなかったのが本当

なかったのが本当だとすれば、これはまだてっきりこの府中の町のどこかに隠れている。隠れていて、ほとぼりの冷めた時分

いけない、と兵馬は、陣街道を真直ぐに、またも府中の宿へ足を向けました。

があって、ささやかな弁天の祠がまつられてある。府中の六所明神の社頭で兵馬と別れた七兵衛が、ひとり、こっそりとこの弁天

かかった一つの山駕籠と、それからもう一つは、府中の六所明神の前を五六人のさむらいに囲まれて、一散に東へ

丹沢

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陣馬ヶ原の山々は、半ば雲霧に蔽われ、道志、丹沢の山々の峰と谷は、はっきりと見えて、洞然たるパノラマ。その中に

竹生島

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現われましたことでござりまする。また平朝臣経正殿は、竹生島明神の御前で琵琶をお弾きになりましたところが、明神が御感応ましまし

名古屋

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力と機会とを利用して、五十日間の予定で、名古屋から京大阪を遊覧して来ようとの案を立てました。

先生が今度の旅程のうちに、特に名古屋を加えたというのは、先生独得の見識の存するところで、その意見を

、先輩の弥次郎兵衛と喜多八が、東海道を旅行中に、名古屋を除外したというのが不平なのだ。

いう神様があろうとも思われないが、これが先生の名古屋へ立寄る一つの理由となっているのであります。しかし、弥次郎兵衛と喜多

なっているのであります。しかし、弥次郎兵衛と喜多八が名古屋を除外したからといって、故意にやったわけではなく、宮の

、変化の面白味からいって、木曾街道を取り、途中から名古屋へ廻るということに決定しました。

兵庫

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を着て、鏡に向って立膝をしながら、洗い髪の兵庫に、黄楊の櫛を無雑作に横にさして立ち上るところへ、二階から

川越

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へ、三浦兵六力を得て、江戸、豊島、葛西、川越、坂東の八平氏、武蔵の七党を七手になし、蜘手、輪違、

鎌倉

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左近太夫大勢なりと雖も、一時に破られて散々に、鎌倉をさして引退く」

或は鎌倉の窟に投じ

「ナニ、米友が来た! 鎌倉の右大将米友公の御入り! 占めた」

福原

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既になりにけり、秋もやうやう半ばになりゆけば、福原の新都にましましける人々、名所の月を見むとて、或ひは源氏の大将の

き都の月を恋ひつつ、八月十日あまりに福原よりぞ上り給ふ、何事も皆変りはてて、稀に残る家は門前草深くし

須磨

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むとて、或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、須磨より明石の浦づたひ、淡路の迫門を押しわたり、絵島が磯の月

大宮の古き御殿の面影がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の

明石

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、或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、須磨より明石の浦づたひ、淡路の迫門を押しわたり、絵島が磯の月を見る

古き御殿の面影がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の庭の名残りの

難波

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月を見る、或ひは白浦、吹上、和歌の浦、住吉、難波、高砂、尾上の月の曙を眺めて帰る人もあり、旧都に残る人々

甲州

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昨夜の夢を思い起しました。その松林には、はるばると甲州の白根の奥から来た肉づきの豊かな年増の山の娘がいて、

の花が咲いています。遠く水上には、秩父や甲州の山が朧ろに見えるし、対岸の高くもない山や林も、墨絵の

それじゃ、お情けに一つ言って聞かそう。およそ、甲州の裏表、日光の道中筋で、この間中から、俺は三つの怪しい

「それはお前たちのひとりぎめだ、わしは甲州へ行きたいのだ」

「どうじゃ、甲州までこの駕籠はやってもらえないか」

「え、甲州の松里村ですって? のう相棒、それじゃあまた御相談を仕直さなくっちゃ

を今は、大風に通し駕籠でなければ宿次ぎで、甲州へ急がせようとする。

ところを見ると、駕籠屋どもは通しをやるつもりかな。甲州までには、小仏、笹子の両難所を控えて三十余里の道、ひととおりの

「左様――江戸を出て、甲州の塩山にちょっと知合いがあるものですから、そこへ尋ねて行きましたが、

お雪は、兵馬が何故に甲州へ来て、何故に帰るのだか知りません。兵馬もまたこれを尋ね

の説教を聴聞致す次第でござるが、和尚は、今日、甲州の恵林寺から下山致された。御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、

恵林寺の慢心和尚も、同じところを出でて甲州へ帰ろうとするところ。

慢心和尚が裏街道を甲州へ入った時分、宇津木兵馬は上野原の月見寺を出て行方不明になりました

法隆寺

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法隆寺の夢殿で

恵林寺

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で敵の当りがついたのか。松里村には名刹恵林寺があって、そこは兵馬に有縁の地。

それさえもわからず、ようやく甲斐国東山梨、松里村の名刹恵林寺の門前に着いた宇津木兵馬。

恵林寺の慢心和尚に叩き出された兵馬。ここまで飲まず食わずに来たのが

「塩山の恵林寺へ参りましてな、あそこの師家の慢心和尚に、相談をかけようと致した

「恵林寺へおいでになりましたのですか」

「左様、恵林寺では、ヒドイ目に会いましたが、こちらでは温かい御好意を受けまし

を聴聞致す次第でござるが、和尚は、今日、甲州の恵林寺から下山致された。御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、武田信玄

寺から下山致された。御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、武田信玄以来の名刹で、昔、織田信長があの寺を攻めてやき

恵林寺の慢心和尚も、同じところを出でて甲州へ帰ろうとするところ。

になりました。行方不明というのは、西の方、恵林寺へ再び戻る気配もなく、東の方、江戸の地へ足を踏み入れた様子

伊勢

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の宿から一番船で、七里の渡しを渡って、伊勢の桑名へ上陸の普通の順路を取ったまでだから、それをいまさらいい立てるの

読んでしまうと米友が、暗い心になりました。伊勢の古市以来、幼馴染のお君が、今、九死の境にいる。駒井能登

大木戸

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の勧誘に従いました。そうして彼は、四谷の大木戸に待受けて山崎を斬ったのです……ところがそれは当の相手では

「この間、四谷の大木戸で、君は罪のない者を斬ってしまったな、よく考えて見給え

関東

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一年一度行われる関東名物の提灯祭りの夜以外には、絶えてないほどの騒ぎが持ち上ったの

立ちならば随分あっちこっちに大木はあるにはある。いったい、関東でも、この辺の地味は欅にいいんだろう。そういえば上方へ行っ

自讃を致すのもいかがなものでございますが、ともかく、関東としては、ちょっと風味のある品と覚えました故、一献差上げたい

高尾山薬王院

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幼少の折から琵琶を教えて下さいました老師が、あの高尾山薬王院に隠居をしておいでの由を承り、それを頼って参りましたが

はねえ、これから甲州街道を上って行くと、甲州境に高尾山薬王院というお寺があるのよ、そこへ逃げて行こう」

八幡太郎

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やや暫くあって、村山街道の方面から、八幡太郎の欅並木を、なにくわぬ面をして、府中の町へ入り込もうとする

伝通院

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山田の米友は、夜になって、その宿所なる小石川の伝通院の学寮へ帰って来ました。現在の米友の仕事は、ここで、雑巾がけ

「相生町の御老女の屋敷から来て、小石川の伝通院の学寮へ帰るんだ、火を貸しておくんなさい」

四谷

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は南条の勧誘に従いました。そうして彼は、四谷の大木戸に待受けて山崎を斬ったのです……ところがそれは当の相手

「この間、四谷の大木戸で、君は罪のない者を斬ってしまったな、よく考えて

茗荷谷

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「詳しい話は拙者のところへやって来給え、小石川の茗荷谷で、切支丹坂を上って、また少し下りると、長屋門のイヤに傾いだの

やって来給え――ええと、拙者のところは小石川の茗荷谷、切支丹屋敷に近いところで、いやに傾いだ長屋門を目安に置いてたずねれば

夕方になると福村は、しばしば標榜していた通り、茗荷谷の切支丹屋敷に近い長屋門のイヤに傾いだ一方に、福村の名を打って

甲州街道

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上高井戸あたりで夜が明けました。それから甲州街道の宿々を、弁信法師は平家をうたって門附をして歩きます。

両国

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て、二人が命を取られるかも知れない、そうでなければ両国へ知れて、またお前が見世物に出されてしまうかも知れない」

両国の女軽業の親方お角は、

両国の女軽業師の楽屋へ来て、お角を待っている福兄なるものは、御家人崩れの

「一人は両国の女軽業の太夫元のお角さん……」

はじめて米友も、うすら淋しさを感じたが、もう一息で両国。そこは、花やかな歓楽郷。橋一つ越ゆれば目的の相生町。

両国広小路の人混みを離れた一人の大男、三歳ばかりになる男の子を十文字に背

は、これを捨ゼリフの送り詞で、あっちへ向くと、もう両国の盛り場の人混みへ見えなくなってしまいました。

水戸

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「やあ、あなた様は……そうだ、水戸の山崎先生でございましたな」

て、この山崎――この人はもと新撰組の一人で水戸の浪士、香取流の棒をよくつかう人――に楯を突いて来

京都

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て、それに応ずるほどの愚か者でなし、ことに山崎は京都にいた時分には、同じ壬生の新撰組で、同じ釜の飯を

後、自分は京の島原の生活から花園のわび住居、京都、大和路の間でも絶えず頼りつ頼られつして来たその

唸れねえようなのは人間とは言われませんや。京都へ行って見さっし、長州だといったところで、薩摩だといっ

も、女を脅迫することである。兵馬はその例を京都でよく知っている。

奈良

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国府の地。東照公入国よりもずっと昔、平安朝、奈良朝を越えて、神代の時に遡るほどの歴史を持った土地。江戸

甲府

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おお、これはムクだ。甲府勤番支配であった時、わすれもせぬお君の愛犬。その人に

打絶えてこういうことはなかった。曾て甲府の城下にある時、また本所の弥勒寺長屋を出でて、江戸の市中

巣鴨

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提灯の光ですっきりと見えるのであります。これぞ、巣鴨庚申塚のほとりで、不義の制裁を受けて殺されようとした女に紛れ

、ほんとうにお忘れになりましたのですか、あの、巣鴨の庚申塚のことを」

、腹立たしいような、嫉ましいような気持に変ってゆきます。巣鴨の化物屋敷の土蔵の二階で、あの人と机竜之助とが、うん

いる福兄なるものは、御家人崩れの福村のことで、巣鴨の化物屋敷では、天晴れ神尾主膳の片腕でありました。

のか、わたくしはすこしも存じませんが、江戸に近い巣鴨の庚申塚というところで、惨たらしく殺されてしまったそうでございます」

「巣鴨の庚申塚で?」

ながら弁信をたしなめるのも無理はありません。ここと巣鴨の庚申塚とは、数十里を離れているのに、当人は半ばは病気

「では、ここにいる拙者が、巣鴨まで人を殺しに行ったのも本当かも知れない」

つの大きな理由は、例のお喋り坊主の弁信を、巣鴨の化物屋敷で井戸の中へ投げ込もうとした時に、釣瓶が刎ねて

高尾

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でございますけれども、駕籠屋さんが慣れていますから、高尾の裏山を突切ると言いました、五十丁峠の道をわけて、山道

「いよいよ江戸へ行ってしまうという時に、高尾の若い坊さんが一人、縊れて死んでしまいました。それについて

「高尾の山には天狗様がいるという話だが、おれは、三年

小径と、そこで十字形をなしている地蔵辻は、高尾と小仏との間の大平です。

「ええ、さきほどもお話し致しました通り、この高尾のお山には、昔から天狗様が棲んでおいでなさるのです、

しまったあとなのでございます、それ故に、私も高尾がなんとなくつれなくなりましたから、今宵心をきめまして、またも

「高尾の山には、頑入みたような坊さんはいないだろうなあ」

三つの怪しい乗物を見たんだ、その一つは高尾の山の蛇滝の参籠堂から出て、飯綱権現の広前から、大

住吉

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磯の月を見る、或ひは白浦、吹上、和歌の浦、住吉、難波、高砂、尾上の月の曙を眺めて帰る人もあり、旧都

大宮

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なりにける、いま、故郷の名残りとては、近衛河原の大宮ばかりぞましましける」

浦吹く風も漂い、刈り残された雑草のたぐいまでが、大宮の庭の名残りの黄菊紫蘭とも見え、月の光に暗い勾欄の奥

住む草の武蔵の真中の宮柱に、どうやら九重の大宮の古き御殿の面影がしのばれて、そこらあたりに須磨や明石の浦

八王子

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「それは……その、八王子から平塚街道を厚木の方へ出る道をたずねられたものですから、その

、かく申すがんりきは途中からお暇乞いをして、八王子へ出て参ったに相違ございません」

と、もう一つは……ほぼそれと同じ時刻に、八王子の大横町から日光街道を北へ走った、やはり黒い一挺の乗物だ、この

大久保

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まい、貴様は南条なにがしの手引をして、荻野山中の大久保長門守の城下へ入り込んだのだろう」

厚木へおいでになったか、それとも荻野山中の大久保様の御城下とやらへおいでになったか、そのことは一向存じ

浅草

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ですね、ドコへお届けしましょうか、ええと……浅草の観音の五重の塔の下でお目にかかりましょう、時刻は今時分、あの観音

宇津木兵馬は、七兵衛の約束を半信半疑のうちに、浅草の観音に参詣して見ると、堂内の巽に当る柱で噪いでいる

、懐中から畳の上へ投げ出したのが、宵のうち浅草の五重の塔下で、七兵衝から与えられた金包です。

ふらふらと浅草広小路へ出て来た米友は、ここだなと思いました。ここで

たださえ、物見高い浅草の広小路附近に、潮のような群れが溢れ返って、

浅草御門を両国広小路、両国橋を渡り終って、ほどなく相生町の老女の

上野

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、江戸幕下に人物がないとは言えないのだ、小栗上野がある、勝安房がある、永井玄蕃も、水野痴雲も、向山黄村

神田

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、では近いうちぜひ遊びに来給え、住所姓名は、神田お玉ヶ池のなにがしとたずねてみろと教えてくれました。

日本橋

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で、最初日本橋富沢町の大又という質屋へ奉公し、後、日本橋新泉町に一本立ちの質屋を出して大黒屋六兵衛と名乗り、ようやく発展し

「御冗談をおっしゃらないように。日本橋並みで大門まで二朱は大勉強でございますぜ、旦那」

新宿

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「なるほど、これから新宿を突走って、甲州街道を行けるだけ急げとおっしゃるんですか。ようございます

両国橋

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て同業者をあっといわせ、江戸の人気の幾部分を両国橋の自分の小屋へ吸いとることに、この女の功名心が集まって、それが

、またまた奇策をめぐらして、満都といわないまでも、満両国橋をあっといわせることはお手の物だという得意があっただけに、

ここは、両国橋の雑沓が聞えない程度の距離のしもたやで、大抵のお客は断わって、

両国橋の女軽業の小屋を出た御家人くずれの福村は、帰りがけに通油町の

金助という男は、この手で米友を嘲弄して、両国橋から大川へ投げ込まれたことがある。絵師もまた危ない刃渡りをしている

浅草御門を両国広小路、両国橋を渡り終って、ほどなく相生町の老女の屋敷に着いた宇治山田の米友

だした宇治山田の米友は、相生町を真一文字に、両国橋の袂まで飛んで来て、

ものと見えて、跡を見送っただけである。一目散に両国橋の上を走り渡った宇治山田の米友が、

宇治山田の米友は、両国橋の真ン中の欄干の前に突ッ立って、

文字に背負って、極彩色の花の中宿の日傘をさし、両国橋の袂まで来て、

京橋

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通油町の鶴屋で、それ御所望の六歌仙、次に京橋へ廻ってわざわざ求めて来た仙女香」